食事処は、住んでいる家を建て替えて一階に開業した。

開業前に店の名前を考えていたとき、色々なものが候補に上がった。家族の名前を取ったり、子供達が好きな文字を挙げたりして案を出した。

最終的には、現在と同じこうのはなになった。幸せの花というつもりで、幸せを音読みにして送り仮名を抜いた。開業のきっかけとなった少年の、花のような笑顔が由来だ。一人でも多くの方に幸せの花が咲くようにとしげさんと考えた。

提供する料理は簡単なものばかりだったが、こうのはなには多くの方が訪れた。何度かは危ないところまで行ったが、しぶとく営業を続けているとまた多くの方が訪れるようになった。

休日には子供たちも営業を手伝ってくれた。彼女らもお客様には好評だった。


こうのはなの開業からおよそ十年後、恵子と婿入りした旦那さんとの間に娘が生まれた。その子には雅美という名が付けられた。数年後、その雅美ちゃんが姉になった。

二人の孫娘も、小学校入学から数年経った頃から店の手伝いをしてくれた。その頃には、子供達は皆家を出ていた。