「今時、マニュアルの乗用車なんてあるんですね」薫子は隣でシートベルトを着用しながら言った。「坂道でエンストとやらが起こるやつですよね」

僕はシートベルトを着用しながら笑った。「クラッチ繋ぐのが早いとね」

「恭太君もやりました?」

「まあ、慣れないうちはね」今日もやるかもね、と僕は笑った。えっ、と表情を引きつらせる薫子へ冗談だよと笑う。


「そういえばわたし、車に関する悩みがあるんです」家を出てしばらくしてから、薫子は静かに言った。

「悩み?」

「はい。あの……高級車のボンネットなんかによく付いてる、飾りあるじゃないですか」

「ああ、ボンネットマスコット」

「そんなポップな名称なんですか、あれ」

「僕も少し前に知った」

「それで、あれを見ると……なんて言うか、取りたくなるんですよね。そして、あひるの人形に付け替えたくなるんです。そういう衝動に駆られて……」

「へえ……そう」

「おかしいですかね?」

「たぶん……いや、きっと」

「そうですか。いやだってなりませんか、あひるに付け替えたく。バネで付けるんですけど、びよんびよーんって動くんですよ? 黄色いあひるの人形が。かわいげのない高級車のボンネットで愛らしい黄色が踊るんです」

かわいげないって、と僕は苦笑した。

「洒落た車に洒落た飾り付けたら絶対に洒落たものにしかならないじゃないですか。見るからにお金を持っていそうな美女が高級ブランドの鞄持ってるような。もう、高級ブランドの鞄持った金持ちそうな美女からなんて、もう金しか見えないじゃないですか」

「まあまあ、それはわからないでもないけど」

「反対に、金持ちそうな美女がスーパーとかでポテチ買ってたらなんか親近感湧くじゃないですか。そんな感じで、高級車にもボンネットであひるの人形をびよんびよんさせて、親近感を感じられるようにした方がいいとも思うんですよね」

「どうした、薫子は高級車で誘拐でもされたの?」

まさか、と薫子は笑った。「わたしの体にも家にも、そんなことする価値はありませんよ」