リョウと私は、日を追うごとに仲よくなった。一緒にいたい。外出する時間が惜しい。なぜ、リョウは人間ではなく、地縛霊なのか。生きて出逢えれば、最高だったのに。
「ぼくは、この姿になったから、桃花ちゃんと出逢えたと思っている」
 胸を震わせるようなことばも、さらりと告白してしまう。
 充実した時間が増えたけれど、私は体調の変化に気がついた。だるい。重い。疲れる。正直、起き上がるのもやっと。病院へ行ったけれど、異常なし。引っ越しによる環境の変化でしょう、と言われておしまい。
「無理しなくていいよ、桃花ちゃん。ゆっくりしていて」
 やさしいのはリョウだけ。頭を撫でてくれる手にぬくもりはないけれど、落ち着ける。
「ありがとう。熱はないし、かぜでもないみたい」
「うん。いいよ。分かる」
 当然、と言わんばかりなリョウの態度に、私は違和感を覚えた。
「分かる?」
「ぼくと一緒にいると、桃花ちゃんの身体がしんどいんだよね。この部屋を前に出て行った人も、そんなことを言っていた。ぼくは顕現し続けるために、身近にいる人、つまり桃花ちゃんの生気を吸い取るみたい、あはは。ごめんね」
 あははって、明るく笑われたらさらに力が逃げていきそう。
「元気を奪うんだね、私から」
「奪うっていう言い方はよくないな。分けてもらう、ぐらいだよ。ぼく、桃花ちゃんが好き。桃花ちゃんだって、ぼくのことが好きでしょ。だったら、少しぐらいいいじゃん。なにしろ、ぼくは死んでいる。桃花ちゃんは生きている。ぼくがこの形を保つために、協力して」
「要するに、私が部屋を離れるか、あなたにいなくなってもらわないと、不調は治らない?」
「そうみたい。でも、安心して。ぼく、桃花ちゃんがこっちの世界に来てくれたら、大歓迎。ふたりで中有をさまようなんて、すてきだよ」
 相変わらずの笑顔で、リョウは私を抱き締めてくれた。胸が震え、ぞわりと鳥肌が立った。少し前までは、これを恋のときめきを勘違いしていた自分が悲しい。リョウに抱きつかれるたびに、体温がじわじわと下がってゆく。
 私はリョウの両頬を手のひらでしっかりととらえた。
「私、不調の治しかた、もうひとつ知っている。それは、あなたを消すこと」
「消す?」
 かわいく首を傾げるリョウのしぐさに心を動かしそうになりながらも、私は続ける。
「しばらくあなたが消えていたとき、地縛霊のことを調べたの。この場所に強い未練を残しているから、動けない。だから、いつまでも成仏できない。この部屋に執着している理由が分かれば、きっと天に還れる。成仏できるはず」
「いやだ。ぼく、離れたくない。生まれ変わりたくない」
「あなたは死んでいる。私の次に、この部屋を借りる人にも迷惑だもの。私がリョウくんを成仏してあげる」
「ぼくは桃花ちゃんと一緒にいられればいいんだ。『次の人』なんて、さみしいことを言わないで」
「大学を卒業したら、私は実家に戻る。この部屋に住めるのも二年少し。できれば私もリョウくんとずっといたい。でも、これ以上は無理」
「どうしたの、桃花ちゃん。急に怖いよ」
「なるべく、リョウくんが傷つかないようにがんばる。あなたは学生だった。十八歳。なにかが起きて、この部屋で自殺した」
「やめて、苦しい。思い出したくない」
「そのあとは、これから調べる。堂々と、立派に死んでほしい」
 お芝居ではなく、リョウはほんとうに苦しそうだった。
「ぼくがいなくなっちゃってもいいの? 桃花ちゃんの薄情者。ぼくが大切って何度も言ってくれたのに。全部、嘘?」
「嘘じゃない。でも、このままじゃいけない」
「残された時間、ごはん、作るよ。掃除、するよ。おふろにも入るし、一緒に寝てあげる。気持ちいいこともしてあげるのに、それでもいや?」
「好きだけど、私……まだ死にたくない!」
 リョウは冷めた顔つきになった。
「じゃあ、時間を区切ろう。だらだら調べているような時間はない。ぼくの見立てでは、桃花ちゃんの命はあとひと月ってところ。自由に動けるのは十日、いや一週間ぐらいかな。一週間以内に全部が解明できなければ、ぼくのものになるんだよ」
「ひと月後に、死ぬの? 私」
「うん。ぼくに憑かれてね。でも、痛くも苦しくもないから、心配しなくていいよ。ただ、すうっと魂が抜けるだけ。ああ、ひとつ言っておくけど、ぼくから逃げることはできないよ。ぼくは、桃花ちゃんにしるしをつけた」
「しるし?」
「うん。首筋の、キスの痕」
 私は首筋につけられたリョウの痕をさすった。日に日に赤黒く、色が濃くなるのでどうしたものかと思い、外出するときはマフラー巻いたりして隠していたが、リョウの仕業だったとは。
「しるしがある限り、ぼくの桃花ちゃんへの思いは消えない。ひと月後、このしるしから化け物が生まれて桃花ちゃんを喰らいつくすよ。どこにいても、ね」
 きれいな顔で、平気で怖ろしいことを口にするリョウ。今さら、私は引っ越したことを激しく後悔した。逃げるようなことはしないで、ストーカー本人と話し合ったり、周囲にもっと相談したほうがよかったのではないだろうか。
「ばけもの……」
 でも、過去は変えられない。
 私はチャンスだと思うことにした。リョウを成仏させるよいチャンス。ここで、リョウに癒された自分は確かにいる。否定したくない。リョウがいたということを、忘れたくない。憑かれても、好き。
「分かった。一週間以内に、やってみる。リョウくんのこと、好きだからこそ成仏してほしいの。すてきな人なのに、これからもずっといやがられたり、恐れられたりするなんて、かわいそうだもん。できたら、新しいいのちに生まれ変わって、また生きてほしい。そして、生きている者どうしとして出逢えたら、もっとうれしいよ」
 ほんとうは自分だって、リョウを恐れはじめている。けれど、視線を逸らしたくない。私は震える身体を己の腕でつかみながら、語った。
「そこまで……ぼくのこと。桃花ちゃんみたいな子は、初めてだ。絶対に、ほしいな」
 ほしい。リョウのことばが、私の胸をえぐる。死ぬのもいやだし、成仏できない世界に連れて行かれてしまうなんて、怖い。
「期限までにできなかったら、観念する。正直、話しているのもつらい。だからリョウくん、これから一週間は見ているだけにして。動くたびに、私の元気を奪っていくんでしょ」
「うん。ぼくは食べたり飲んだりしないぶん、生きている人の生気を分けてもらうんだ。でも、見ているだけでいいの? 桃花ちゃんに、いろいろできなくなるよ」
 リョウは私に顔を近づけてきた。
「い、いい。しなくて、結構です。リョウくんはこのソファから離れたら、だめ。私、さっそく動く」
 携帯を取り出し、不動産屋へ電話した。強気な態度で、このマンションの担当者を呼び出す。
「今すぐ、私の部屋へ来なさい! でないと、この部屋に鮮明な地縛霊がいるって、テレビ局にネタを売っちゃうからね。三十分以内に来ないと、情報提供するから」