私は手袋を外し、セーターの袖を折り返した。黒い痕は、すでに指先にまで到達している。黒い蛇がうねうねと這っているみたいな柄。
「最初は、一点のしみのような痕でした。でも、この数日でどんどん広がって。全身に回ったら、私も連れていかれます。この世でもあの世でもないところへ」
「これ、響のしわざなの? 女の子に、こんなことって。ひどい。響はやさしい子だったんだよ。傷つけてしまうからって、言い寄る女の子を断れないぐらい。それで、響は女の子たちに挟まれて、心を病んでしまっていて。私の身体が元気になってきたから一年ぶりぐらいで上京してみたら、驚いた。苦しんだ響は、とっくに薬漬けになっていて、かわいそうだった。だってさ、取り巻きの女の子が、十人……ううん、二十はいたかも。響が断れないのをいいことに、勝手にローテーションを組んで毎晩ひとりずつ、響の部屋に泊まっていたの。好きでもない女の子と、毎晩だよ。あいつ、やさしかったから」
「ひどい」
「でしょ。だから言ったの。『一緒に死のう』って。私、響にめちゃくちゃたくさん睡眠薬を飲ませて、服を脱がせてベランダに放置したの。十一月とはいえ、夜は冷えた日だった。自分も飲んだんだけど、量が足りなかったみたいでさ、起きちゃって。でも、響はいつになっても静かな顔して目覚めないから、怖くなって、通報して。私は、逃げた。自殺幇助どころじゃない、響は私が殺したんだ。ひどいよね」
 優子は俯いたまま、黙ってしまった。
「優子さん、今からでも遅くありません。一緒に来てください」
 答えない優子の肩を、私は揺さぶった。
「朝香くん、いいえ私はわけあって、彼のことをリョウくんと呼んでいますが、リョウくんは優子さんの名前を聞いて確かに動揺していました。あなたに、言いたいこと、あるいは思い残していることがあると思います。どうか、一緒に来てください」
 優子は私の手をやさしく払いのけた。明らかに、拒否されている。
「……一緒に来てって、警察かなにか? いやよ。悪いことをしたとは思っている。でも、響はとても苦しんで、死にたがっていたもの」
「いいえ、警察ではありません。うちに来てください。彼が、待っています」
「万が一、あいつの霊がいるとして、今さらどんな顔をして会えって言うの。無理だよ」
「リョウくんの顕現力は、半端ないです。なにせ、生きている人間の生気を吸っていますから。優子さんにも、きっと見えます」
 私はもう一度、黒く染まった腕を出して優子に見せた。それが決め手となったらしい。
「信じられないけど。今日は、あいつの命日だったね。仕方ない。騙されたと思って、行ってあげるわ」
 ようやく、優子は頷いてくれた。
 しかし、雪は次第に吹雪へと変わってしまい、飛行機も遅れた。自宅に着いたのは、日付が変わるぎりぎりの時間だった。