リョウの実家、朝香家は郊外の一軒家だった。最寄の駅から徒歩十五分。額が汗ばんだ。
 周囲はとても静か。宅地に並んで畑も残っている。ネギ、ほうれん草、小松菜。さつまいもは収穫した蔓が隅っこに寄せられて山になっている。私の実家も農家なので、なんだか懐かしい。実家住まいのころは田舎過ぎてうんざりした光景に、落ち着いてしまう自分がいた。
 はじめは億劫だったインターフォン攻撃にも慣れた。自分の命がかかっているのだ、恥ずかしいとか言っていられない。
「こんにちは。私、朝香くんの同級生で、長谷川桃花と申します」
 という無難な設定にしておいた。対応に出てきてくれたのは、リョウの母だった。
「ありがとう。あの子の命日が近いものね。うれしいわ。最近は、お線香をあげにきてくれる子もすっかりいなくなって。どうぞ、狭い家ですが」
 横顔が、リョウによく似ている。ああ、母親なんだなと感じた一瞬。私は目を細めた。
「これ、おみやげです」
 リョウの母に、和菓子の紙袋を差し出した。
「お気遣い、ありがとう。あの子の仏前にあげてくれるかしら。二階なの。さあどうぞ、ごゆっくり」
 仏壇は、生前のリョウの部屋にあった。大学進学後はあまり使われていなかっただろうが、リョウの母はこまめに掃除をしていたようで、よく整っている。正直、私の部屋よりもきれい。
「わ、遺影」
 笑顔のリョウ。高校生のときの写真らしく、制服を着ている。後ろに校舎や桜が写り込んでいるから、卒業式だろうか。
 今と、なにも変わらない。強いて言えば、部屋にいるリョウはもっと顔立ちが細いだろうか。
 なにはともあれ、お線香を供えよう。
 これを見たら、本人はなにを思うだろう。地縛霊になったあとも、同じように時間は流れている。リョウの分まで、私は必死に祈った。どんな些細なヒントでもいいから、くださいと。
 お参りを終えた後、私はそっと階段を下りた。リョウの母に話を聞くつもりだった。母も、そのつもりだったようで、お茶を用意してくれていた。
「お時間があるようなら、座ってちょうだい」
「はい」
「遠いところを、わざわざありがとう」
 私は緊張しながら腰を下ろした。大学時代の同級生と説明してしまったが、実は三つ年下である。リョウが大学でなにを勉強していたかなんて、知らない。確か、法学部だった。自分は文学部、法律の知識なんて常識程度にしか持ち合わせていない。
 不審がられないように、慎重にならなければ。素直に『あなたの息子さんが地縛霊で、困っています』なんて言ったら、外に投げ出されかねない。リョウに会わせてあげたい気持ちもあるが、いっそう現世に執着されても困る。
 どう切り出そうかと私が考えていると、リョウの母から話しかけてくれた。
「うれしくて。ごめんなさいね。おばさんの話し相手なんて、苦痛でしょうに」
「いいえ。朝香くんのお母さん、すごくおきれいです。朝香くん、お母さん似なんですね」
「若いのにお上手。おばさんよ、おばさん」
 しまった。私は失敗してしまった。大学の友人を騙ったということは、知り合い前提で話をしなければならない。リョウの大学時代のエピソードなど、ひとつも知らない。訪問する順序を間違えてしまった。適当に話を合わせるどころではない、今さら『どんなお子さんでしたか』なんて聞けやしないのだ。私は拳を握り締めた。せめて、かわいい嘘を、つこう。
「私、実は朝香くんのこと、あまり知らないんです。すてきだなって、遠くから見ていたぐらいで。ここの住所も、友人の友人に聞いたんです。勝手なことをして、ごめんなさい。でも、朝香くんがどんなところで育ったのか、知りたかったんです。お気を悪くしてしまったなら、帰ります」
 そう言って、立ち上がろうとした。これで突き放されたらおしまいだ。私の一世一代の演技。
「そんな気がしていたの。あなた、あの子のお葬式のときも、来なかったわよね」
「……は、はい」
 来られるわけがない。リョウが死んだときの私はまだ、なにも知らない田舎の高校生。
「こうしてあの子をとむらってくださるだけで、うれしいわ。ありがとう」
 リョウの母は、私の手を握った。なんだか、ひどい罪悪感。
「リョウく……じゃない、事件前の朝香くんはなにかに悩んでいた様子でしたが、ご存知ですか」
 図々しく、私は重ねて尋ねた。
「それが、ちっとも。こういうことは、幼なじみの優子(ゆうこ)ちゃんのほうが詳しいはずだけど、もう」
「ゆ、優子ちゃん? どなたですか、その方は」
「あの子の幼なじみで、うちの隣に住んでいた女の子よ。でも、引っ越してしまって」
 新しい手がかりを知り、私の心臓はどきどきと跳ねている。優子ちゃんという人物に、ぜひ会いたい。
「どちらへ? 連絡、できますか」
「転居先が東北だったの。最初は、そのあとも引っ越しを繰り返したみたいで、今は居場所が分からないの。優子ちゃんは生まれつき身体が弱くて、療養のための転地だったのね。家族ぐるみのお付き合いで、優子ちゃんはとてもいい子だったのに、残念。でも、あの子のことは悲しい知らせになるから、知らせないでいたほうがいいのかも」
「朝香くん本人が、優子ちゃんと連絡を取り合っていたという可能性はありませんか」
 それでも食い下がる。この重要参考人は逃せない。
「大学へ入学してからは、ちょっと。家にいたときは、なんでもよく話していたから、もしかしたらってことはあるけど、あの子の身の回りの品は片づけてしまって」
 事件解決の糸口が見つかったと思ったのに、音信不通とは。会いたかった、優子さんに。
「今日はお墓参りもしたいと思っているのですが、この近くですか」
 リョウの母は驚いた顔になった。
「あの子の骨は、朝香家先祖のお墓の中なのよ。近くにあるとつらいって、主人が遠くへ納骨してしまって。北海道の函館」