「見事な上腕二頭筋ね」
「……薬学部らしい感心の仕方だな。こういうの、解剖とかしてみたい?」
「それは医学部。でも、これほど見事な筋肉だと、そそられるわね」
話しながら、私はその腕の筋をなぞってみる。この筋がこー通ってここにつながって……
薬学部では確かに解剖はしないけれど、人体には興味ある。ここまで発達した筋肉を間近で見るのは初めてだったから、ついまじまじと見てしまった。どこになにがあるか、すごくわかりやすい。
「梶原くらいなら簡単に持ち上げられるぞ」
言いながら、仁田は私の首に腕を回してきた。
「ちょ……苦しいって」
すると仁田は、そのままの姿勢で私の耳元でこそっと囁いた。
「お前、今、彼氏とかいるの?」
彼氏。
「……いない」
会えない。話もできない。そんなのはきっと、彼氏なんて言わない。
「すげえ、綺麗になったよな」
「誰が?」
「梶原が。だから、男でもできたのかと思った」
「できてないし、変わってもいない」
「自覚ないのかよ。……まあいいや。彼氏いないなら、俺と付き合わねえ?」
「は?」
驚いて顔を上げれば、仁田が思いがけず真面目な顔をしていた。
そういえばこれ、後ろから抱きしめられているみたいな恰好だわね。でも、全然どきどきしない。
私をどきどきさせることができるのは、多分、たった一人だけ。
「なにばかなこと言ってんのよ、酔っぱらい」
「酔ってねえって。俺……」
「美希、電話」
ふいに向こうの山口と話していた冴子が、私の携帯を差し出した。冴子の後ろに私のバッグ置いてあったから、バイブに気が付いてくれたらしい。
受け取って表示された名前を見た私の心臓が、どくん、と跳ね上がる。
私は、あわてて仁田の腕をほどいて立ち上がった。
「ちょっと、ごめん」
通話を押しながら、私は部屋を出る。
「もしもし!」
『美希?』
耳に届いたのは、懐かしい声。それだけで、涙が出そうになる。
『にぎやかだな』
部屋を出ても、ほぼ満席の店の中はざわめきが大きい。
「ん、今日同級会なの」
『何?』
「どーきゅーかい! で、今……」
『ごめん。うるさくて聞こえない。そこ出てよ』
「うん、ちょっと待ってて」
私は店を出ると、ドアを閉めてから、もう一度携帯を耳に当てた。
「もしもし、聞こえる?」
「『ばっちり』」
「え……?」
耳元と、そして背後からリアルな音声が聞こえて、私は振り向いた。
そこには。
「よ」
「上……坂……」
通話を終了させて、ドアの横に立っていた上坂が、ゆっくりと近づいてくる。
「久しぶり」
上坂だ。
私は、いきなり現れた上坂に、呆然と立ち尽くす。
ジーンズにTシャツ、ジャケットを羽織った上坂が、高校生の時よりずっと落ち着いた雰囲気を伴って、そこにいた。
☆
上坂と二人で、近くの川沿いをぶらぶらと歩く。裏通りになる細い道路には、かすかなざわめきが漏れ聞こえるだけで誰もいなかった。
「なんで、ここがわかったの?」
「ぐっさんに聞いた。今日、二組が同級会やるって」
「そうなんだ」
「ん。美希、酔ってるだろ」
「え? そんな、飲んでないよ」
「その割には、顔赤いぞ」
「……中、暑かったら」
ちらり、と隣の上坂を盗み見る。
少し、痩せたかな。見た目は、高校のときより、少し骨っぽくなった。背も伸びたかも。
会うのも話すのも、卒業以来。普通に話せてるのが、ちょっと不思議。
「美希、日本レディースコレクションって知ってる?」
唐突に、上坂が言った。
「名前だけは……」
それは、少し嘘。
高校の時からケンジさんの美容室に通いつめていた上坂は、卒業後すぐにケンジさんのアシスタントとして仕事を始めていた。その姿を追うように私は、以前は手にすることもなかったファッション誌なんかを読むようになった。だから、日本レディースコレクションについても、実はよく知っている。
日本レディースコレクションは、東京で開かれる国際規模の大きなファッションショーだ。海外のブランドも集まって、パリコレとはいかないまでも、ファッション界では定評のある伝統的なショーのはず。
「……薬学部らしい感心の仕方だな。こういうの、解剖とかしてみたい?」
「それは医学部。でも、これほど見事な筋肉だと、そそられるわね」
話しながら、私はその腕の筋をなぞってみる。この筋がこー通ってここにつながって……
薬学部では確かに解剖はしないけれど、人体には興味ある。ここまで発達した筋肉を間近で見るのは初めてだったから、ついまじまじと見てしまった。どこになにがあるか、すごくわかりやすい。
「梶原くらいなら簡単に持ち上げられるぞ」
言いながら、仁田は私の首に腕を回してきた。
「ちょ……苦しいって」
すると仁田は、そのままの姿勢で私の耳元でこそっと囁いた。
「お前、今、彼氏とかいるの?」
彼氏。
「……いない」
会えない。話もできない。そんなのはきっと、彼氏なんて言わない。
「すげえ、綺麗になったよな」
「誰が?」
「梶原が。だから、男でもできたのかと思った」
「できてないし、変わってもいない」
「自覚ないのかよ。……まあいいや。彼氏いないなら、俺と付き合わねえ?」
「は?」
驚いて顔を上げれば、仁田が思いがけず真面目な顔をしていた。
そういえばこれ、後ろから抱きしめられているみたいな恰好だわね。でも、全然どきどきしない。
私をどきどきさせることができるのは、多分、たった一人だけ。
「なにばかなこと言ってんのよ、酔っぱらい」
「酔ってねえって。俺……」
「美希、電話」
ふいに向こうの山口と話していた冴子が、私の携帯を差し出した。冴子の後ろに私のバッグ置いてあったから、バイブに気が付いてくれたらしい。
受け取って表示された名前を見た私の心臓が、どくん、と跳ね上がる。
私は、あわてて仁田の腕をほどいて立ち上がった。
「ちょっと、ごめん」
通話を押しながら、私は部屋を出る。
「もしもし!」
『美希?』
耳に届いたのは、懐かしい声。それだけで、涙が出そうになる。
『にぎやかだな』
部屋を出ても、ほぼ満席の店の中はざわめきが大きい。
「ん、今日同級会なの」
『何?』
「どーきゅーかい! で、今……」
『ごめん。うるさくて聞こえない。そこ出てよ』
「うん、ちょっと待ってて」
私は店を出ると、ドアを閉めてから、もう一度携帯を耳に当てた。
「もしもし、聞こえる?」
「『ばっちり』」
「え……?」
耳元と、そして背後からリアルな音声が聞こえて、私は振り向いた。
そこには。
「よ」
「上……坂……」
通話を終了させて、ドアの横に立っていた上坂が、ゆっくりと近づいてくる。
「久しぶり」
上坂だ。
私は、いきなり現れた上坂に、呆然と立ち尽くす。
ジーンズにTシャツ、ジャケットを羽織った上坂が、高校生の時よりずっと落ち着いた雰囲気を伴って、そこにいた。
☆
上坂と二人で、近くの川沿いをぶらぶらと歩く。裏通りになる細い道路には、かすかなざわめきが漏れ聞こえるだけで誰もいなかった。
「なんで、ここがわかったの?」
「ぐっさんに聞いた。今日、二組が同級会やるって」
「そうなんだ」
「ん。美希、酔ってるだろ」
「え? そんな、飲んでないよ」
「その割には、顔赤いぞ」
「……中、暑かったら」
ちらり、と隣の上坂を盗み見る。
少し、痩せたかな。見た目は、高校のときより、少し骨っぽくなった。背も伸びたかも。
会うのも話すのも、卒業以来。普通に話せてるのが、ちょっと不思議。
「美希、日本レディースコレクションって知ってる?」
唐突に、上坂が言った。
「名前だけは……」
それは、少し嘘。
高校の時からケンジさんの美容室に通いつめていた上坂は、卒業後すぐにケンジさんのアシスタントとして仕事を始めていた。その姿を追うように私は、以前は手にすることもなかったファッション誌なんかを読むようになった。だから、日本レディースコレクションについても、実はよく知っている。
日本レディースコレクションは、東京で開かれる国際規模の大きなファッションショーだ。海外のブランドも集まって、パリコレとはいかないまでも、ファッション界では定評のある伝統的なショーのはず。