「つき合ってみて、あいつのことよく知れば嫌いになれると思ってたの。でも……」

「彼、そんないい加減な人じゃなかったのね」

 私は、またこくりと頷いた。

「これ以上好きになっちゃったら、きっと別れるのがつらくなるでしょう? それが、怖いの。そんな思いをするくらいなら、約束通りこのまま笑って……」

「美希ちゃん」

 莉奈さんが、穏やかな笑顔で私を見た。なぜか、拓兄は天をあおいでいる。


「もう、遅いのよ」

「……え?」

「それだけ好きになっちゃったんだから、今別れようといずれ別れようと、もう遅いの」

「……」


 好きだった。そう認めたら、ずっと封じ込めていた気持ちが、溢れて止まらなくなる。

 好き。大好き。

 あの時莉奈さんは、幸せそうな笑顔でその言葉を言えたのに。私の中の好きって言葉は、どうしてこんなに切なく響くの。


 ぽろぽろと涙を流す私の肩に、莉奈さんが、そ、と手を置いた。

「でもね、泣くには早いわよ? まだ終わってはいないんだから」

「莉奈さん……?」

「このまま、終わらせることもできる。けれど、まだ続けることだって、きっとできるわ。彼だって、諦めないって言ってたじゃない。だから、もし美希ちゃんが彼のことを好きなら、その気持ちを諦めることはないんじゃないかしら」

 優しくなだめるような莉奈さんの言葉に、濡れた目をしばたく。

「でも……だけど……」


 諦めるつもりだった。これで終る、はずだった。

 満月のその先を、考えてはいなかった。


 期限付きの付き合いだったから、上坂の彼女、という立場に甘んじることもできた。けれど、その期限がなくなってしまったら、自分のことを上坂の彼女なんて言う自信が、ない。

 あんなかっこいい人の隣に、自分は不釣り合いだと、どうしても思ってしまう。かわいくもないし、おしゃれでもない。それは、意図して自分でしたきたことだけれど、いまさらまわりの女子たちみたいに変わることなんて、できない。

 そう言ったら、莉奈さんは笑った。


「でも、彼が好きになったのは今の美希ちゃんでしょう? なら、今の自分と、美希ちゃんを好きだと言ってくれる彼を、信じてみたら?」

「……いいのかな? 信じてみても」

「いいんじゃない?」

 それは、私にとって受験よりも難題な気がする。


「美希……本当にあれでいいのか?」

 拓兄が心配そうに聞いた。

「どうかな。どちらにしても、今の私は受験生だもん。そんなことに時間を割いている暇、ない」

 鼻をすする私に、そんなこと、と拓兄が顔をしかめる。

「受験の事なら、国立にこだわることはないんだぞ? お前の成績なら私立でも十分いいとこいけるし、父さんも母さんも学費のことは心配するなって、言ってるし」

「でも、拓兄も大兄も国立じゃん。まだ双子にもお金かかるし、学費は極力かからないにこしたことはないわよ」

「双子が受験の頃には、俺も大地も社会人だ。しっかり稼いでやるさ」

「うん、ありがと。でも、無理して国立を選んでいるわけじゃないから大丈夫よ。一応、私立でも学費の安いところはあるから、ちゃんとそれも視野に入れてる。ただね」

 私は、さっきの騒ぎでほどけかけてたゴムを髪から引っ張って抜く。


「自分を甘やかして、最初の目標をさげることはしたくないの。今は、そのことだけ考えたい」

「お前は、本当に真面目だなあ」

 私は、思い切り眉をひそめて拓兄を仰ぎ見た。拓兄にまで言われた。拓兄は、目を細めて笑っていた。


「まったく。あいつ、こんな意固地な娘のどこがいいのかな」

「私もそう思う」

「拓巳」

 莉奈さんにいなされて、拓兄が、ぶ、とふくれた。二人のやり取りが微笑ましくて、つい私にも笑みが浮かぶ。


 涙を拭いて顔をあげると、目の前の空に月が上りかけているのが見えた。まだ完全な丸になりきれていない、不完全な丸い月が。

「まずは私たち、それぞれの夢を叶えなくちゃね」

「夢? お前は薬剤師だろ? あいつに夢なんてあるのか?」

「内緒」

 すまして言ったら、莉奈さんが、ふふ、と笑った。なんだか、莉奈さんにはいろいろ見透かされているみたい。


 自分の夢も、自分の気持ちも。両方うまく追いかけられるほど自分が器用だとは思わないけど……まだ、どちらも諦めなくていいのなら。

 ちょっと、がんばってみてもいいかな。


 とりあえず、帰ったら上坂にメールしよう。

 明日のお弁当、何がいいのか。