「親父なんて、素直に俺の話を聞くような人間じゃないよ」

「聞かせるのよ。ここで上坂が身に着けた知識や技術を、ご両親はまだ知らないわけでしょ? だから、レポートの一つだと思って準備してみれば? 題して『メイクアップアーティストを職業とした場合の上坂蓮に関しての一考察』」

 身を乗り出して話す私に、上坂はぱちくりと目を丸くした後、屈託なく笑った。


「なるほど。現在、俺と親の間には、メイクアップアーティストに関する意識の相違が生じているわけだ」

「そうよ。その無駄に賢い頭を、存分に発揮するときよ。がんばって」

「そっか。……やっぱ美希って、頭いいな」

「だてに学年一番はとってないわよ。それだけが取り柄だからね、私」

「それこそ、何言ってんだよ」

 ぎ、といすを鳴らして立ち上がると、私の目の前に立って上坂が私をのぞきこんだ。

「美希はかわいいって。もっと自信持てよ。……そのワンピース、やっぱりかわいい。足きれいだから、そういう靴も似合うな」

 お世辞とはわかっていても、頬が熱くなる。うつむいた視界に、自分の腕時計が映った。約束の時間にはまだ早かったけど、なんとなく居心地悪くなって私は立ち上がる。


「もう、帰らなきゃ」

「まだいいじゃん。帰り、送るよ?」

「ううん、もう少ししたら、松井さんが迎えに来るの。ここまで車で送ってくれたのよ」

「で、俺を連れて来いって?」

 少しばかり嫌味を含んだ口調で、上坂が言った。私は、首をかしげる。

「私もそうなのかと思ったけど、松井さん、連れ戻せとは言わなかったのよね。ただ、話してこいって言っただけで……でも、一緒に帰る?」

 小早川先生も、話を聞いてあげて欲しいみたいなことは言ってたなあ。

 誘う私に、上坂は少し考えるように視線を落とした。


「……いや、自分で帰るよ。今、ケンジさん、外出中なんだ。お世話になったから、黙って帰るわけにはいかない。今夜きちんとあいさつをして、明日になったら一人で帰る。自分で出てきたんだから、帰る時もちゃんと自分の足で帰らないと」

 そう言った上坂に、いつもの軽薄さはない。


 会えなかった一週間の間、上坂は何を考えていたんだろう。未来を形にする決心をした上坂は、いつものへらへらしてる時とは全然違う顔をしていて……私は無意識のうちに、見惚れていた。

 ぼうっと、その顔を見つめながら、何も考えずに言葉が零れ落ちる。


「上坂、ちょっと変わったね」

「そうか?」

「うん。ちゃんと、目標が定まったせいかな。前からカッコよかったけど、今の上坂は地に足がついている感じで、すごく、素敵……に……見え……」

 私の言葉を聞いていた上坂の目が、丸くなっていることに気づいて、口をつぐんだ。自分の言葉がようやく頭の中に入ってきて、頬が瞬時に熱くなる。


「私……帰る、またね!」

 私はあわてて身体をひるがえした。ドアノブを掴んだ瞬間、その手を上からノブこと握られる。上坂のもう片方の手が、私の身体に巻きついて……気がつけば私は、後ろから上坂に抱きしめられていた。

 心臓……口から飛び出しそう。

 上坂は、その姿勢のまま、何も言わなかった。


「あの……」

「ん?」

「は、離して……」

「やだ」

「でも……」

 私の体に回された腕に、わずかに力がこもった。上坂の体温を、首筋に熱く感じる。息苦しいほどに、心臓が跳ねていた。


 どうしよう。どうしたら、いいの。


 頭が真っ白になって何も考えられないまま、めちゃくちゃ早くなっている自分の心臓の音だけを聞いていた。

 だめだ、私。数学ができても英語ができても、こんな時にどうしていいのか、全然わかんない。


「美希」

 私の手を掴んでいた上坂の手が、ゆっくりと体をあがってきて、私の顎にかかった。そっと、私の顔を横にむける。目の前には、少しだけ緊張したような上坂の、顔。