「俺さ」

「うん」

 それでもしばらく迷った後、上坂ははっきりと言った。

「メイクアップアーティストになりたいんだ」

 松井さんから前もって聞いていたから、それほど驚きはしなかった。


「それって、どんなことするの?」

 上坂は、立ち上がって私に椅子を勧めると、自分もキャスターのついた椅子に腰かけた。

「こないだここで、ケンジさんにヘアメイクしてもらったろ?」

「うん」

「簡単に言っちゃうと、あれが、そう」

「美容師とは違うの?」

「メイクアップアーティストには資格は必要ないから、乱暴な言い方をすれば、ヘアメイクができればそれはすでにメイクさんって呼ばれることになる。今は、あまり区別しないで使う人もいるよ。ただ、美容師と名乗るには、ちゃんと国家資格が必要になる。どっちにしても、やることは、お客さんをきれいにする仕事」

「そういえば、ケンジさんの事メイクアップアーティストって言ってたね」

「あの人はもともと美容師で、そこからメイクの世界に入った人なんだ。この店、ケンジさんのだし、自分でヘアメイクのプロダクションも持ってるよ」

 ケンジさん、本当にすごい人だったんだ。


「ずっと、ケンジさんのとこにいたの?」

「そう。俺、あの人の弟子だから。っつっても、押しかけ弟子だけどな」

「弟子? って、美容師の」

「うん。えーと……」

 上坂は言いにくそうに、視線をあちこちへとそらす。

「聞かせて」

 私は、椅子の上で姿勢を正した。上坂はしばらくためらっていたけど、一度目を閉じて深呼吸すると、覚悟を決めたように話し始めた。



「……これ、誰にも話したことがないから、内緒だぞ」

「うん」

「俺、実は高校に入る前から、ずっとメイクの世界に興味があったんだ」

「そんな前から?」

「そう。子供の頃は、メイクなんて女がやるもんだと思ってたからさ、男でヘアメイクに携わってるやつがいるって知った時、正直、バカにした。きっと、なよなよした女々しい奴がやってるんだろうな、って思ってた。けど中学二年の時、母さんについて行った先の美容室に男のヘアメイクさんがいて……それが、ケンジさんだった」

 話しているうちに、上坂の目に力が入ってくる。私は、その横顔を黙って見ていた。



「男のくせに、ってバカにできたのは、最初だけ。その手でみるみる母さんが変わっていくのを見て、俺は言葉が出なかった。派手な色を付けるわけじゃない、なのに、確かにその手で人が変わっていく……美容師ってこんなことができるんだって、すげえ感動した。ちょうどケンジさんが独立してここに店を開いたころだったんで、俺は頼み込んで無理やり弟子入りさせてもらって、こっそりとヘアメイクの基本を教わり始めたんだ」

「え? なら、高校になってから、ずっと……?」

「うん。ここで、雑用みたいなバイトをしながら、少しづつ勉強を重ねてきた。親にも友達にも、誰にも言ったことがないから、俺がこんなことしてるの知ってるのは、ここ……『アダマース』の関係者だけだ」

 じゃあ、渋谷でよく見かけるって……遊び歩いているんじゃなくて、ここに通っていたのを見られてたんだ。

 ん?

「友達……にも?」

 私は首をかしげると、上坂が、ふ、と微笑んだ。


「誰も、知らない。ここに知り合いを連れてきたのは、美希が初めてだよ」

「……じゃあ、なんで私なんて連れてきたの?」

 てっきり、歴代の彼女たちをここで飾り立てていたのかと思ってた。

 上坂は笑んだまま、それには答えなかった。