「あ、決して責めているわけではないよ? 上坂君と梶原さんの組み合わせには驚いたけれど、こういうことって理屈ではないからね。大変かもしれないけど、僕は君たちの味方だよ」

 小早川先生は、なんだかわかったような顔をして一人でうなずいている。

 ……先生、なにか変な誤解をしているんではないだろうか。冴子、一体どういう風に私たちのこと話したんだろう。『理屈ではない』大変な恋をしているのは、どっちだ。

「つきあってる、ってほどのことでもないですけど……」

「上坂君の進路のこと、何か聞いている?」

 唐突に、小早川先生が聞いてきた。

 上坂の……進路?


「さあ……聞いたことないですけど。どうしてですか?」

「そっか。彼女ならもしかしたら知ってるかな、と思ったんだけど……一応、進路調査票には進学になってて、志望校には有名国立大がずらずらと並んでいたんだけどさ」

 先生は首をかしげる。

「僕と話した感じでは、どうも進学よりも他に何かやりたいことがありそうなんだよね」

「やりたいこと……」

『俺の話も、聞いてくれる?』

 そう言っていた上坂の夢。上坂は、何になりたいんだろう。


「うん。ほら、あそこおうちが国会議員さんでしょ? この春の進路相談の時に話したんだけど、家の人は、上坂君ももちろん政界入り、って言っているんだって。けど、そう話してくれた上坂君の顔が……なんていうか、笑っていてもすごくなげやりに見えて。それは上坂君の本心じゃないと、直感的に思ったんだ」

 確かに、上坂は議員になるつもりはないって言ってた。

 先生、ぼーっとしているようでいて、よく見ているな。侮れない人だ。

「上坂君て、学校ではふらふらしてていい加減に思われているみたいだけど、そんな人間があの成績はキープできないよ。きっと彼には、何か心に決めたことがあって、でも何か迷いがあって言い出せないんじゃないかと、僕は思っている」

 小さくため息つく小早川先生を、私は目を丸くして見ていた。

 意外。一人一人の生徒、そこまで見ていてくれるんだ、この人。

 そうか。これが、冴子の選んだ人か。


「親が、最善だと思う未来を子供に歩ませたいと願うのは当然のことだ。けれど、もしそれが、子供本人の希望を潰しているとしたら、両者の間にはきちんとした話し合いが必要になる。もし彼が本当は政界入りを目指していないのなら、僕はもう一度、彼の親御さんとそのことを話し合ってみなければならない」

 翻訳したような話し方は、英語教師のくせなのかな。

「へー、弘さん、まるで先生みたい」

「まるでじゃなくて、これでもちゃんと先生です」

 苦笑しながら冴子を仰いだ小早川先生の顔は、普段見ている英語教師、とはやっぱりどこか違った。その笑顔のまま、私の方に向き直る。


「今回のことがそのことと関係があるかどうかはわからないけれど……もし梶原さんが彼の心の声を聞くことのできる人なら、話をきいてあげて欲しい。彼には、そういう人が、きっと必要なんだ」

 そう言って先生は、机の上の書類をごそごそと探り始めた。

「もちろん僕もそのつもりではいるよ。でも、教師という立場じゃ心を開いてくれるまでまだ時間がかかりそうだし……あ、あったあった」

 抜き出してきた書類から、先生は何かをメモに書き写す。


「はい、上坂くんの住所。彼を、よろしく。それで、なにかわかったら、こっそり僕にも教えてくれるかな。絶対に、他言しないから」

「はい。ありがとうございます」

「これから行くの? 私も一緒に行こうか?」

「ううん、とりあえず、一人で行ってみる」

 私は、その小さな紙を握りしめた。

 上坂に会えたら……何を、言えばいいんだろう。