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 予備校の講習が終わると、私は携帯をカバンからとりだして電源を入れる。けれどそこには、期待したようなメッセージは入っていなかった。


 結局今週は一度も、上坂からは連絡がなかった。というより、学校にもきていないし、どうやら他の人も上坂とは連絡がつかないみたいで何人かに上坂のことを聞かれたりした。


 連絡……してみようかな。でも、用がなくて私に連絡してないんだとしたら、『何?』とか言われたら話が続かない……


 そんな風に悩んでいる自分がおかしくて、ついつい苦笑する。

 ホントに、何やってるんだろう。あんなやつ、放っておけばいいのよ。

 でも……

「憂い顔も綺麗だね」

 ふいに声をかけられて顔を上げると、岡崎さんだった。


 同じ国立医大系の岡崎さんとは講習がほぼ重なっていて、改めて見てみれば、いつも同じ教室にいた。どうりで、見たことがあるはずだ。

「お疲れ様、美希ちゃん。そんなに今日の講義って難しかった?」

「むしろ、文法は、今までの疑問が解決して安心しました」

「じゃあ、恋の悩み? だったら俺、よろこんで講師やるけど」

「謹んでお断りいたします」

 笑う岡崎さんに構わず、私は帰り支度を続ける。


「今日も蓮は迎えに来るの?」

「さあ。でもたぶん、来ないと思います」

「いつも約束しているわけじゃないんだね。それなら、俺が誘ってもいい?」

「一応あんなんでも彼氏なんで、他の方とのデートはお断りします」

「美希ちゃんって、真面目だなあ。じゃあ、駅まで一緒に帰ろう?」

 真面目……また言われた。ケンジさんと話してなかったら、真面目って悪いことなのかと思っちゃうところだわ。

 私が何も答えないのをいいことに、岡崎さんは私のあとについてきた。今日も、階段だ。



「岡崎さんは、彼女いないんですか?」

「いるよ。今は新宿のOLさん」

「年上……じゃあ、その彼女が他の男と遊んでいても平気です?」

「そうだね、あんまり気にしないかな。どうせそろそろ飽きてきたから別れようと思っているところだし、理由ができてちょうどいいかも」

 ああ、やっぱりこの人も上坂と同じ人種なのね。本人はともかく、そういうのって相手はどう思っているんだろう。フった方とフラれる方、どっちが傷つくのかな。

 そこで、ふと、気付いた。

「もしかして、怖いんですか?」

「……何が」

「Sな趣味はありませんので、それ以上は控えます。生意気言ってすみません」

「美希ちゃん、なにか怒っている?」

「八つ当たりです。気にしないでください」

 ついつい、連絡のない上坂に岡崎さんを重ねてしまった。


 しばらく黙っていた歩いていた岡崎さんは、ふいに、私の肩に手を回してきた。

「きっと蓮だって、今頃どこかで別のオンナと遊んでいるかもしれないよ? だからさ、こっちはこっちで……」

 仰ぎ見た私の顔に、岡崎さんの影が落ちた。端正な顔が近づいて……


 ぱしっ。


 気持ちいいほどきれいに、平手が入った。あたりを歩いていた人がみんな振り返ったけど、悪いのは岡崎さんだ。

 これって、はたから見たらただの痴話げんかだよね。

 もの珍しそうに視線を向けた人たちも同じように思ったのか、すぐに視線をそらしてそれぞれに歩いていく。


「どうして、よけなかったんですか?」

 私の平手がよけられないほど、運動神経が悪いとは思えない。ちなみに、平手は振りかぶるから簡単によけることができるけど、下からの拳や頭突きは避けにくい。以前、私が上坂にやったようなやつ。あごが上がるとフロントががら空きになるから、そこを狙うと不埒な輩から逃げられる可能性が高くなる。女子にはためになる話。

 閑話休題。


 自嘲するように、岡崎さんは笑った。

「なんでかな。ちょっと君に殴られてみたかった」

「そういう趣味なんですか?」

「どちらかというと、普段はいじめる方が好きだけど」

 ああ、そんな感じ。