「ねえ、もう一回笑ってよ」

「楽しいこともないのに、笑ったりできないわ」

「ならさ」

 とん、と、上坂が軽く私の肩をついた。ふらついた私は、そのまま、道沿いの塀に背を押し付けられる。

「何を……」

 どん。

 その状態で上坂を見上げた私の顔の横に、やつが手をついた。

 ……あー、これ、知ってる。あれだ。

 壁ドンってやつ。

「俺とつきあったら、楽しいよ。梶原さんの知らない、気持ちいいこと、いっぱいしてあげる」

「……私なんかの、何がいいの?」

「何言ってんの。梶原さん……いや、美希って呼んでいい? 美希は、素敵だよ」

 少しだけ顔を傾けて、上坂が私に顔を近づけてきた。

「美希…………ぐあっ!!」

 膝をまげて体を落とした私は、かがんでいた上坂の顎に、思い切り頭突きをかましてやった。のけぞった上坂は、その場にどすんとしりもちをつく。

「ってえええ……」

「許可もなく女性に触れようとするとこうなるの。覚えておいて」

 殴り返されても仕方がない覚悟でやったけど、上坂はあごをさすりながら、けたけたと笑い出した。

「すげえな、美希って。気に入った」

「この状況で気に入られても、あまり嬉しくないわね」

 私は路上に放り出されたバッグを拾って、立ち上がった上坂に彼のカバンを渡した。

「うち、すぐそこだから。送ってくれてありがと」

「いやいや、もう暗いから。女の子ひとりじゃ危ないって」

「こんなかわいげのない女、襲う物好きなんていないわよ」

「じゃ、俺、物好きなんだ」

 上坂は、何事もなかったように私の横に並んで歩きだした。その様子があまりにも自然だったので、私は、謝る機会を失ってしまった。

「……そうね。がり勉だの真面目だのはよく言われるけど、私のこと女の子扱いする人なんて、上坂くらいのものよ」

「ええー? そうかな。美希って、可愛い……つか、綺麗だと思うよ」

「上坂、目悪いの?」

「両目とも、二.〇」

「勉強もしないくせに学年十位以内ってむかつく」

「むしろ勉強するときだけめがねです。遠視だから近くの字がきつい」

「ご年配の方だったんですね」

「ほほほ、若輩者よ、敬いなさい」

 気色悪い笑い声をたてながら、上坂は私の顔を覗き込んだ。

「嘘じゃないよ」

「何が?」

「美希が綺麗って事。みんな知らないんだよ」

 ぐ、と一瞬言葉につまる。

 よく臆面もなくそんな台詞をはけるものだわ。

「なるほど。いつも、そうやって女子を口説いてんのね」

「んー、あんまり自分から口説くことってないかな。何もしなくても、たいていは向こうから寄ってくるし」

 うわー、さらっと言ったよ、このチャラ男。

「なら、そういう人とつきあっとけばいいじゃない」

「えー? そんなに俺とつきあうの、嫌?」

「……いいわよ」

「ん?」

「つきあっても」

「マジ?!」

 それを聞いた上坂は、ぱ、と花が開くように満面の笑顔になった。私は、表情を変えないまま続ける。

「そうね。だいたい一週間もあれば、私がどれだけつまんない人間かわかると思うし」

 すると今度は、困ったように眉をひそめた。ころころと表情は変わるけれど、もとがいいとどんな顔でも似合うのね。