「ここ、親父と喧嘩するたびに、よく来るんだ」

「彼女連れて?」

「女連れなら、こんなとこ来ねえよ。だいたい女って、こんなとこよりヴィーナスフォートとか夢の国とかの方が好きじゃん」

「こんなとことは失礼ね。あんたより、ずーっと前から人の役に立っている立派なタワーよ。電波塔としての役目を終えたからって、この存在感はたいしたもんじゃない」

 真面目に言ったら、上坂が声をあげて笑った。そうして、私との間の距離を縮めて、肩を寄せる。




「ね、俺、美希の彼氏だよね?」

「……今のところは」

「キスしていい?」

「だめ」

「いいじゃん」

「だーめ」

「ちぇー。ちょっとはさあ、この雰囲気に流されてみようとは思わない?」

「全然。言ったでしょ? 好きでもない人と、キスなんかするもんじゃないって」

「俺、美希のこと好きだよ? だから、心だけじゃなくて、身体も美希とつながりたい」

 はずみで口をついたさっきの言葉を持ち出されて、か、と私の頬が熱くなる。黙ってしまった私に、上坂は、ここへ来たときとはうってかわって楽しそうな顔で言った。




「あのさ」

「何よ」

「美希は、ちゃんと俺に返せるもの、持ってるよ」

 耳元でささやかれた声に、どきりと胸が鳴った。

 返せるって、まさか……

「それ、ちょうだい」

 けれど、予想に反して上坂が指さしたのは、私が手にしてたランチバックだった。この暑さの中でコインロッカーに入れといたら悪くなっちゃうと思って、お財布をこっちに移してずっと持ち歩いていたのだ。




「多少見た目が悪くたって、まだ食えるって」

「見た目って……上坂、見てたの?」

 目を丸くした私に、上坂はやんわりと微笑む。

「だめだよ。こんなの……」

 私はあわててそれを背中に隠す。

 保冷材を入れてあるから食べるのに支障はないけれど……人にあげられるようなものじゃない。




「やっぱさ、一日一回美希の料理食べないと、調子悪くて」

「せ、製作者として、不出来なものを食べさせるわけには……」

「出来が悪くても、愛がこもっていれば美味しいって言ってたじゃん」

「な……愛なんて、これっぽっちだって入ってないんだから!」

「はいはい。それ、俺以外の人間が食べるの禁止な」

 笑いながら言った上坂に、ふと、気付く。

 もしかして……服を買ってくれたり食事に連れてってくれたのは、あの場面を見てたから……? 

 あの時、うっかり泣きそうになった私の事、上坂なりに慰めてくれた……?




「……上坂」

「ん?」

「あの……お金はちゃんと払うけど……このワンピース、ありがと」

 頬が熱くなって、少しだけ上坂から視線をはずす。

「こんなかわいい服、着たことなくて……すごく、素敵。似合うって言ってもらえて、嬉しかったわ。ありがとう」

 黙ったままの上坂が、どんな顔していたのかわからない。しばらくして、上坂が笑い声混じりのため息を吐くのが聞こえた。

「どういたしまして」




 それから、上坂は何かをふりきるように勢いよく伸びをした。

「よーし! あと、二週間。張り切って口説くぞー!」

「……ホント、物好き」

 私は苦笑しながら、肩を抱こうとした上坂の手をパシリと叩き落とした。