『な? 見惚れて、窓から落ちるなよ』

「そんなドジじゃないわよ」

『まあ、万が一落ちたら受け止めてあげるから、安心して、かぐや姫。むしろ、俺の胸に落ちてきて』

「何言って……え?」

 笑いながらなにげなく下ろした視界の中で、うちの前の道路に突っ立っている背の高い影に気づく。


「上……坂?」

『よ』

 携帯を持っていない方の手を軽く上げて、上坂が笑った。


「なななな……!」

『し。夜中なんだから、静かに』

 あわてて私は口元を押さえると、通話を切って部屋を飛び出した。早くなった鼓動を押さえながら、極力足音を忍ばせて階段をおりる。大兄だけが起きているみたいだったけど、どうやら気付かれることはなかった。


「こんばんは」

 玄関をあけると、やっぱり上坂が立っていた。

「何やってんの、こんなとこで!?」

「今帰りなんだ」

「帰り? こんな時間までなにやってたのよ? というより、どこの帰りならこんなとこ通るの?」


 高校から徒歩十五分の私の家のまわりは住宅街で、夜中に遊ぶような場所はない。確か上坂の家は榊台だって言ってたから、路線を考えたら渋谷で遊んでその帰りというわけでもないだろう。


「美希と見たかったんだ、あれ」

 笑いながら、上坂は半分の月を指さす。思わず、ぽかんと口を開いてしまった。

「それだけで? ばかじゃないの」

「なんだよ、せっかく逢引きしようと思って会いに来た彼氏に、ばかはないだろ」

「だからってこんな夜中に……」

「だってさ」 

 上坂が、私の顔をのぞきこむ。いつもより近いその距離に、どきりと胸が鳴った。


「美希の顔が見たかったんだよ。昨日は一緒に帰れなかったし、今週はデートできないし」

「なら、もう見たんだからとっとと帰りなさいよ」

「つれないなー。ま、しょうがないか。美希を、いつまでもそんな可愛い恰好で外に置いとくわけにいかないしね」

 は、と気づけば、私は部屋着のままだった。


 今夜は暑かったから、お風呂上りに着たタンクトップとショートパンツ。適当にアップにしてゴムで止めただけの長い髪は、えりあしの辺りなんかほつれて髪が乱れている。そして、あわててつっかけてきたのは、家族みんなと共用のサンダル。

 驚いてうっかりそのまま飛び出してきちゃったけど、とても外に出るような恰好じゃない。


 瞬時に頬が熱くなって、とっさに自分の体を抱きしめた私を、くすくすと上坂が笑った。

「美希って、スタイルいいんだ。おいしそう」

 言いながら、あらわになっていた私の襟首に腕を回す。直に素肌が触れて、さらに心臓が跳ね上がった。


 え? ちょ……

 どうしていいかわからず、私は固まったまま動けない。そんな私を抱くように上坂は顔を近づけて……


「おやすみ」

 耳元で一言だけ囁いて、ゆっくりと離れていった。柔らかい笑みを浮かべたまま見下ろしてくるその顔を、私は、ただ見つめることしかできない。


「また来週ね」

 ゆるりと手を振って、上坂は駅の方へと歩いていく。

 ようやく私が動けるようになったのは、その後ろ姿が完全に見えなくなってさらにしばらくしてからだった。