透き通る水色の空を彩るのはピンク色の額縁だ。ニュースでは東京は7部咲きと言っていたけれど、今日中に満開になりそうなほど、どこもかしこもピンク色で溢れている。
 楽しい時間とは、どうしてこんなにも時が経つのが早いのだろう。私は空を彩る桜を見上げ、眩しさに目を細めた。

 桜木さんとの交際はとても順調だった。
 もうお互いアラサーの2人だ。若いころに彼氏としたような、例えば他の女の子と楽しそうに喋っていただとか、せっかくかけた電話に出なかっただとか、見たいテレビ番組が違うとか、そんな馬鹿げた理由の痴話げんかは殆どなく、私達はゆったりとした時間を共有した。

 交際約1ヶ月目のお正月には、原宿駅の近くにある明治神宮に2人で初詣に行った。3が日はとっくに過ぎた頃に行ったのだけど、辺りは初詣の人たちで大賑わいだった。はぐれないようにと繋いだ手がとても温かくて、胸の奥がむず痒い。おみくじを引いたら2人揃って大吉で、柄にもなくハイタッチして喜んだ。
 神社の売店で2人でお揃いの根付を購入して、私はそれを通勤鞄の内側のファスナーに付けた。鞄をあけてそれがチラリと見えるたびに、心が温かくなる気がした。

 2月のバレンタインデーには料理好きな私は気合を入れてガトーショコラを焼いた。一応失敗した時用に有名パティスリーのチョコも用意していたので、私はガトーショコラと市販のチョコの両方を桜木さんに渡した。
 桜木さんはガトーショコラを食べながら『美味しい!』と何回も言ってくれて、有名パティスリーのチョコより私の作ったガトーショコラの方が美味しいと思うと笑ってくれた。

 3月の3連休には一緒に静岡県の伊豆へ旅行に行った。品川駅から修善寺に特急スーパービュー踊り子号で向かい、宿は奮発して客室露天風呂のある部屋に宿泊した。レンタルの浴衣を借りて竹林で有名な『竹林の小径』をお散歩して、宿に戻ると温泉に入って一緒にテレビを見ながらのんびりと過ごした。春なので夕食には新筍や菜の花を食材に使った会席料理が出てきて、舌鼓を打った。
 
 そして3月の最終の週末である今日、私は桜木さんと千代田区にある北の丸公園にお花見に来ている。北の丸公園は、皇居の北側に隣接する大きな公園で、その名の通りかつては江戸城北の丸があった場所だ。広い園内には300本もの桜の木が植えられているそうで、芝生の広場には多くの家族連れやカップルたちがレジャーシートを敷いてのんびりとお花見を楽しんでいた。 
 所々には大学生グループらしき人達もおり、何十人ものグループで宴会を開いていた。もしかしたら、サークルの送別会なのかもしれない。

「美雪。あっち行ってみる? 来るときに見えた、千鳥ヶ淵緑道の方」

 隣を歩く桜木さんが武道館の方向を指さす。ここに来る途中、皇居をぐるりと囲むようにある千鳥ヶ淵の広いお濠沿いには見事な桜並木があるのが見えた。北の丸公園も桜が沢山だが、千鳥ヶ淵緑道の方も桜の名所として有名だ。水辺に並ぶ桜並木は、遠目に見るだけでも絶景だった。

「うん、そうだね」

 私は笑顔で頷く。
 武道館の脇を抜けたら現れる田安門は木製の大きな門で、いかにも日本の城を思わせる。身長の何倍もある圧倒的な大きさと、周囲に石垣と白塗りの壁の名残が残り、ここがかつて江戸の中心であったことを強く伺わせた。
 かつて江戸城を外敵から守るために造られたお濠には、今は橋の片側は蓮が生い茂っており、もう片側には多くの人がボートを漕いでいるのが見えた。端の方には鴨が泳いでいた。それはまるで幸せを絵に描いたようなのどかな光景に見えた。
 私は今来た北の丸公園の方を振り返った。残念ながら今は天守閣は残っていないが、もしも天守閣があったならば圧倒的な存在感であったことは想像がつく。

 ふと桜木さんがポケットからスマホを出して、確認するのが視界の端に映った。私は繋いだ手が離れないようにぎゅっと握る。それに応えるように、握られた手に力がこもった。

 千鳥ヶ淵緑道は緑道沿いに桜並木がずっと並んでおり、さながら桜のトンネルを通っているかの錯覚を覚えた。見上げれば一面のピンク色。本当に、見事な絶景だった。風が吹くと花びらが舞い、紙吹雪のように景色を彩る。

「もう満開だな」

 桜の木を見上げながら桜木さんが片手を目の上にやり、ピンク色の合間からこぼれる日ざしをよけるように手でかさをつくった。見惚れる私に気付いてこちらを見下ろすと、目を細めて「美雪と一緒に見られてよかった」と笑顔を見せてくれた。

 桜木さんがまたポケットからスマホを出して画面を確認する。私は胸にチクンと痛みを感じ、握られた手にまた力をこめた。