ティーリーフは1人1杯なので、2人なら2杯。それをティーポットに入れる。キッチン沸かしていたお湯を、そのティーポットに注いだ。湯気に混じってふんわりとフレーバーティーの甘い香りが漂う。私は砂時計できっちり2分測って蒸らすと、それをティーカップに注いだ。

「はい。どうぞー」
「ありがとう。わあ、いい香り!」

 私からティーカップを受け取って顔を寄せた真理子は表情を綻ばせた。
 今日は、前の会社の同僚で友人の真理子が我が家に遊びに来てくれている。

「いやー。美雪が思ったより元気そうでよかったわ」
「ありがと」

 ホッとした表情を見せる真理子に、私は笑ってお礼を言った。そう、なぜ真理子が今我が家にいるのか。それは私を心配してくれたからに他ならない。

──あなたが好きです。付き合って下さい!

 あの日、まるでテンプレートを読み上げた中学生のような告白をした私を見つめ、桜木さんは驚いたように目をみはり、そして、困ったように眉尻を下げた。

「藤堂さん。ごめん……」

 小さく呟かれたその言葉を聞いた時、「ああ、駄目だったんだ」と悟った。桜木さんは私を後輩としか見ていなんだなってことがわかって、急激に気持ちが凍り付くのを感じた。

「ご、ごめんなさい。変なこと言って。今のは忘れて下さい。酔っ払いの戯れ言だと思って下さい。明日からはまたいつも通りに接して頂けると嬉しいです」

 私は慌てて弁解の言葉を述べた。『好きです』というのはあんなに勇気がいったのに、弁解の言葉はスルスルと口から出てきた。こんなことで会社の雰囲気を壊したくなかった。そんな私を見て、桜木さんはぐっと唇を噛んだ。

「違うんだ。藤堂さんの気持ちは凄く嬉しいんだけど、俺、藤堂さんに言ってなかったことがあって」

 桜木さんの沈んだような声が怖い。言ってなかったこととは、彼女がいるということだろうか。桜木さんに彼女がいないと聞いたのは夏前のことだ。こんなに素敵な人ならとっくのとうに売れてしまっていておかしくない。でも、それを今本人から言われるのは精神的にきつい。

「実は俺、今度の3月でイマディールリアルエステートを退職するんだ。それで、実家に戻る」
「え??」

 予想外の言葉に、私は私は桜木さんを見上げた。桜木さんは淡々と語る。

「俺の実家、不動産屋やっててさ。イマディール不動産には家業を継ぐ前の修行のつもりで入社したんだ。元々5年間って最初から決めてて、今度の3月末で丸5年経つ」

 桜木さんの実家の家業。それは夏ごろに綾乃さんから聞いたSAKURAGIのことだろう。あの時綾乃さんは4年以上前のことだって言ってたから、つじつまも合う。

「そう……なんです…か?」
「うん。だから、今藤堂さんと付き合始めても3ヶ月ちょっとしか一緒にいられない。だから、それを言っておかないと、どうぞよろしくお願いしますって言いづらい」
 
 桜木さんは少しだけ眉を寄せた。
 桜木さんの実家は以前、神戸だと聞いた。つまり、付き合った場合は3ヶ月半で東京と神戸の遠距離恋愛になるということだ。
 まず最初に思い浮かんだのは、大学卒業の時に付き合ていた彼氏とのことだった。卒業式の時は『離れても好きだよ』って言い合って、卒業直後は毎日のようにメールも電話もしてた。それがいつからか2日に1回になって、1週間に1回になって、月に数回になって、メールすら無くなって……気付いた時には殆ど連絡を取り合わなくなっていて、最後は電話でさようならを言った。
 
 桜木さんと付き合ったところで、そうなるのだろうか。大学生の時の彼は1年半付き合ったのにそうなった。3ヶ月半しか一緒にいないで離れ離れになったら? あっという間に私は忘れられてしまうかもしれない。だって、桜木さんはハンサムだし、優しいし、向こうに行ったら会社の御曹司だし。モテないわけが無い。

 ぐるぐると頭の中を色んな事が回って私が反応できずにいると、桜木さんがコホンッと咳ばらいをした。

「藤堂さん。それでも良ければ、俺と付き合って下さい」

 目の前に右手が差し出された。見上げると、切れ長の目の奥の黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見ている。
 それを見たら、なんだかどうでも良くなった。3ヶ月半だろうが、遠恋だろうが、私はこの人が好きだ。それに、この人も私を好きって思ってくれている。なんて素晴らしい奇跡。それだけで十分だ。

「はい。私でよければ、よろしくお願いします」

 私も右手を差し出した。成約した時のようにぎゅっと手を握られる。恋人同士のそれというよりは、握手に近い握り方。でも、初めて触れ合った手から温もりを感じ、私は心まで温かくなったような気がした。

「あー、離れがたいから今から家に行きたいけど……」
「今からですか?」
「うん。でもやめとく。酔ってるし舞い上がってるから自制できる自信がない。がっついてると思われて嫌われたくないし」

 桜木さんが苦笑いする。その子どもみたいな笑顔を見たら、やっぱり好きだと思った。