私が雑誌で見たのは62平方メートルで3LDKという間取りだった。廊下などの不要部分は徹底的に排除してあり、全ての部屋がリビングインと呼ばれるリビングと扉で繋がった間取りだ。
 玄関から入り、廊下とも呼べないような短い廊下を超えるとリビングがある。そのリビングの壁に扉が幾つもついており、各部屋に繋がるのだ。
 ただ、廊下やトイレ、風呂の無駄を排除するといっても限界はある。この物件の場合、寝室のうち2部屋は4畳半しかなかった。

 私は雑誌を閉じ、現在売り出し中の物件を見返した。久保田様の予算内で1番広いのは佐伯様の物件だ。58平方メートルのこの物件の立地は悪くないのだが、今のところまだ買い手がつかない。現在4580万円で売り出しているが、期限までに売れなかった場合は3800万円でイマディール不動産が下取りする事になっている。この場合、イマディール不動産で全面リノベーションされて売り出される。

 不動産売買と言うのは、とても難しい。
 すんなり決まる場合は本当にすんなり決まる。中には売り出して最初の内覧のお客様がそのままお買い上げということもある。
 一方、すんなり決まらない場合はなかなか決まらない。イマディール不動産の営業チームの人達に聞いた限りでは、売り出して3ヶ月経っても買い手が付かない場合は値下げを考えるべきだと言うのが皆の共通意見だった。

 佐伯様の物件に関しては、既に売り出しから4カ月が経過している。佐伯様自身も再来月には引っ越しされるので、そろそろ決まらないとかなり厳しい。


 ***


「リノベーション……ですか?」

 私の提案に、久保田様は目をぱちくりとさせた。眼鏡の奥の奥二重の目が、忙しなくパチパチと瞬いている。

 私はこれまでの売買実績から久保田様の望む物件が出て来る可能性が限りなく低いこと、現在売り出し中の物件にも希望にそうものは無いことをまずご説明した。久保田様は目に見えてがっかりして落ち込んでいらした。その上で、私はこの提案を行った。

「現在売り出し中の物件で、最も久保田様の希望に近いのはこちらになります」

 私がお見せしたのは、もちろん佐伯様の物件だ。今は2DKの間取りで、広さは58平方メートルだ。

「こちらに、リノベーションのサンプル図面を用意しました。このサンプル図面でのリノベーション費用がだいたい650万円程度になります」

 久保田様は私の用意した図面に見入った。私が提案したリノベーションプランでは、ユニットバス交換、トイレ交換、キッチン全面交換、フローリング、壁紙貼り替えに加えて壁も一部を抜いて3LDKへの改造をしている。ただし、58平方メートルで3LDKはさすがにきつかった。リビングダイニングは10畳確保できたものの、他の部屋は全て4畳や5畳しかない。収納スペースも殆どない。

「もう1つご参考に。こちらは標準的な間取りの場合です。かかる費用は同程度です」

 私はもう1枚、図面を差し出した。そちらは2LDKになっている。いわゆる、イマディール不動産だったらこの物件はこうするという間取りだ。11畳のリビングダイニングの両脇に、7畳と6畳の部屋がついている。収納スペースもあり、よく見る一般的な2LDKだった。

 久保田様は暫くそれらをじっと見ていらしたが、「家族とも相談してみます」と言った。
「承知しました。こちらの物件ですが、現在売り出し中でして……」
「わかりました。早めにどうするか考えます」

 久保田様は小さく頷くと、お見せした図面をクリアファイルに挟み、それを鞄にしまった。布製の黒いトートバックを肩に下げ、ペコリと頭を下げてオフィスを後にした。

「ありがとうございました」

 私は久保田様を見送った後、接客室に戻り図面の控えをじっと眺めた。
 きっと、久保田様が求めていた理想の物件はこれではない。
 もっと広くて、家族4人で過ごすのに適したゆったりとした住まいだ。

 けれど、私の力ではこれ以上はご紹介出来そうになかった。綾乃さんや桜木さんにも聞いてみたが、首を振られるだけだった。やはり、物件の希望と予算が噛み合っていないと言わざるを得なかった。
 口惜しいがこれが限界だ。私は久保田様にご提案させて頂いたあの3LDKを、ご家族が気に入って下さればいいな、と思った。


***


 久保田様にリノベーションをご提案して2週間が過ぎたこの日、私はお電話で佐伯様とお話していた。
 電話って、わくわくするものとどんよりするものの2種類があると思う。今のこれは、間違いなく後者だ。

「こっちも内覧の時間合わせて家に居るようにしてるんですよ?」
「はい。重々承知しております」
「とにかく、頼みますよ。本当に」
「はい……。お力になれず申し訳ありません。またご連絡させて頂きます」

 相も変わらず佐伯様の物件は売れていなかった。先日内覧にお連れしたお客様からよい反応が得られなかったことを、私はまたもや電話でチクリと言われていた。