道路に面した一面だけはガラス張りの、4階建。2階の窓際には観葉植物が飾られているのがガラス越しに見える。その建物の1階のドアを開けると、私は元気よく挨拶をした。

「おはようございます!」
「おはよー」
「おはよう」

 既に出社していた桜木さんと綾乃さんと「おはよう」と声を掛け合った。自席に着くと、先ずはパソコンのスイッチを入れる。そして、自分は給湯室へ。パソコンが完全に起動するまでの時間を利用して、給湯室でコーヒーを淹れるのだ。インスタントコーヒーの粉を入れたマグカップをポットの下に置く。ジョボジョボとお湯の注がれる音とともに、コーヒーの香りが漂った。
 コーヒーの入ったマグカップを持って自席に戻ると、私の相棒(パソコン)は準備オッケーな状態になっている。

 私はマグカップをデスクに置き、ワークチェアに腰を掛けた。青いワークチェアは人間工学が何たらかんたらという、社長イチ押しの一品だ。
 いつものようにパソコンにIDとパスワードを入れていると、横から視線を感じて私はそちらをパッと見た。綾乃さんが神妙な面持ちで、じっとこちらを見ている。

「?? どうかしました?」
「なんか……藤堂さんが最近綺麗になった気がするのよ」
「え?」

 狼狽える私に、椅子に座ったままで綾乃さんはずいっと間合いを詰めた。綾乃さんのファンデーションのノリ具合がしっかり見えてしまうほどの距離の近さ。

「うん、間違いないわ。綺麗になった。前より垢抜けたと言うか……ねえ、桜木もそう思うでしょ?」

 綾乃さんは自分の正面に座る桜木さんに話を振った。
 突然綾乃さんから話を振られた桜木さんは、パソコンから顔を上げて困惑した表情を浮かべている。それでも、次の瞬間には話題になった私の顔を見た。黒目の大きな切れ長の瞳がこちらを見つめる。桜木さんにまっすぐに見られて、私は顔が急激に赤くなるのを感じた。
 いつも優しくて仕事ができる桜木さん。好きになるなという方が無理がある。いつか熱い眼差しで見つめられたいと思うけれど、これは何かが違う。晒し者にされたような恥ずかしさを感じる。

「うーん、……そう…かな? 元々綺麗だと思うけど?」
「はぁ? あんたの目、節穴? 元々綺麗が益々綺麗になったの! 不動産にしか審美眼が働かないの??」
「え…?」
「あ、綾乃さんっ!」

 綾乃さんが眉を寄せて桜木さんに文句を言う。私はそれを慌てて止めた。いや、もう居たたまれないからやめてくれ。

 正直言うと、私の顔を見たまま眉根を寄せた桜木さんを見て、嬉しさ半分、落胆半分だ。
 『元々綺麗』と言われてお世辞でもめちゃくちゃ嬉しい。でも、ここは嘘でも『益々綺麗になった』と言って欲しかった。
 そんな私の心の内など知るよしもなく、桜木さんはじっとこちらを眺め、ますます目を細めた。私は自分のまわりに視線を走らせ、咄嗟にデスクの脇に置いてあったファイルで自分の顔を桜木さんからパッと隠した。

「あ、ほら。審美眼の無い先輩だから嫌われたー」

 綾乃さんがからかうように桜木さんに言う。
 デスク越しに物凄い視線を感じる。美術品を鑑賞すると言うよりは、珍獣を観察するような視線。私は耳にかけていた横の髪の毛をおろすと、いつもより顔が隠れるようにコソッと直したのだった。

 実は、綾乃さんの指摘通り、最近色々と頑張っている。
 朝の髪の毛のセットも念入りにしているし、雑誌のメイク特集を見ながら自分なりにメイクの練習したり、つい先日は生まれて初めてまつげエクステをしてみたりもした。
 何色ものアイシャドーを重ねると、目元がいつもより大きく見えた。ピンクのチークをのせると、表情がパッと明るく見えた。化粧品コーナーの美容部員さんと選んだローズレッドのリップグロスはプルンと唇を艶やかに彩った。エクステで付けたお人形のように長いまつげがクルンと上を向いて、気分も上がる。

 なぜって?
 そりゃあ、好きな人に少しでも可愛いと思われたいというのが乙女心でしょう? 

 綾乃さんが気づいてくれたのだから、少しは効果があったのだと思う。けれど、肝心の私の好きな人は、さっきから私が以前に比べて綺麗になったかどうかさっぱり分からないといった様子で眉根を寄せている。
 うーむ、まだまだ努力が足りないようだ。