見学先は、築13年のタワーマンションだ。32階建ての16階に位置している、65平方メートルの2LDK。まだ築13年と比較的新しいため、大規模なリノベーションは行っておらず、リフォームを施したのみだ。それでも、部屋の中はまるで新築のように美しく、自信をもってご案内できる物件だ。
 水谷様は室内を順番に見て回り、最後にオープンキッチンで作業台をさらりと手で撫でて、そこから見渡せるリビングダイニングルームを眺めていた。

「藤堂さん、ここはお幾らだったかしら?」
「4200万円です」
「そう。新築時は幾らだったの?」
「5080万円です」
「ふーん。だいぶ下がってるのね」

 水谷様は小さく呟くと、リビングルームに移動して窓から外を覗いた。

 タワーマンションは1棟の世帯数が多いので、こう何棟も同一地区に乱立してしまうと中古市場では供給過多に陥りやすい。このマンションの場合、乱立しているタワーマンションの中でも最も駅から離れていることがマイナス要素として大きかった。ただ、新築では手が届かなかった方達にも買える価格になるという点で、購入者層が広がる利点はある。

 私は水谷様の背中越しに窓の外を見た。この部屋は東向きなので、バルコニーからは隣接するタワーマンションの合間を縫って都内郊外の住宅街がはるか遠くまで見渡せた。奥の方は、もしかしたら千葉県なのかも知れない。

「ありがとう。素敵なところだったわ」
「こちらは大規模マンションなので共有スペースがございます。見て行かれますか?」
「例えば、どんな?」

 水谷様に聞き返され、私は手元の物件案内を見た。

「共用会議室、ゲストルーム、キッズスペースです」

 大規模なマンションになればなるほど、こう言った共有スペースは充実してくる。少額を管理費として負担しあうだけで維持費が確保できるからだ。中にはジムやカフェ、プールがある大規模マンションも最近はあるが、ここは共有スペースとゲストルームとキッズスペースの3つだった。

「うーん。やめとく。せっかく時間を取って貰ったのに、ごめんなさいね」

 水谷様は曖昧に微笑むと、申し訳なさそうに眉じりを下げた。その表情を見て、私は今回も契約は無しだと悟り、内心でがっかりした。

「そうですか。今後、水谷様にいいと思われる物件があった場合、ご案内させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ。お願いするわ」

 私は最寄りの駅まで水谷タクシーでお送りすると、背筋のピンと通ったその後ろ姿に深々とお辞儀をした。


 ***


 オフィスに戻った私はパソコンの前で項垂れた。
 何でだろう。
 マンションのような高額物件が月に何件も売れるとは思わないけれど、こんなに売れないなんて。
 きちんとご希望の物件にご案内しているのに、自分の何がいけないのだろう。
 自分なりに考えても、答えは分からない。

 項垂れた私は、机がコツンと鳴る音で顔を上げた。そこにはマグカップに入ったコーヒーが置かれていた。綾乃さんが何も言わず、こちらを見ていた。

「……また駄目でした」
「そっか。どんなお客様をどこに案内したの?」

 綾乃さんに聞かれ、私は水谷様の事を話した。綾乃さんは真剣な顔でそれを聞いていたが、話を聞き終えると大真面目な顔で私を見た。

「ねえ。その人、迷ってるんじゃない?」
「迷ってる?」
「うん。確かに36歳でそのスペックだとどう見てもバリキャリだし、仕事命っぽく見えるけど、本当は家庭を持つ選択肢も考えてるんじゃないかなぁ?」
「家庭を持つ選択肢を考えてる人が、1人暮らしのためにマンションなんて買いますか?」
「だから、それが迷ってるってこと!」

 綾乃さんはずいっと人差し指を立てた。

「65平方メートルの2LDKって、そもそも1人暮らしの女性が買うには広いと思うのよ。もしかしたら、将来結婚したときに一緒に暮らせるように保険をかけてるんじゃない?」

 綾乃さんに言われて、私は水谷様のことを思い返した。落ち着いた雰囲気、凜とした佇まい、いかにも出来る女風のキャリアウーマン。一見、彼女は仕事と結婚しているように見えた。
 けれど、実際は? 
 例えば自分が水谷様だと考えたとき、やっぱり仕事一筋の人生は不安があると思う。この先の長い人生で、体を壊したときにすぐに助けてくれる人も、辛いときに寄り添ってくれる人もいない。仕事には誇りを持っていても、家庭を持つ選択肢も視野に入れているのではないかと思えてきた。仕事が出来る女性が恋しちゃいけない、結婚しちゃいけない、子どもを産んじゃいけないなんて決まり、どこにもない。

 65平方メートルは確かに1人暮らしには広い。そして、物件価格が新築時より下がっていると知ったときの水谷様あの表情。
 色々考えると、水谷様は将来に備えてマンションは欲しい。けれど、家庭を持つ可能性は捨てたくない。そして、将来的に自身が体調を崩すなどの万が一の事態に備えて、マンションに資産価値を求めている。
 そんな風に思えてきた。

「私、その可能性を視野に物件のご案内してみます」
「うん。頑張れー」

 ぎゅっと胸の位置で拳を握った私を見て、綾乃さんはにまっと口の端を持ち上げた。