最初にそのお客様──水谷様がいらした時、私は彼女のことを、きっとこの人は恋愛など全く興味のない、仕事一筋のバリバリのキャリアウーマンなのだろうな、と思った。
 36歳独身、誰もが知る一部上場企業の副課長職。淡い茶系のアイシャドーは陰影をつけるために何色か重ねられ、リップは赤みのあるはっきりとした色合い。しっかりと施された化粧は、彼女が社会で戦うための鎧のように見え、少しだけ吊った目尻は彼女をより強い女に見せていた。

「会社の独身寮の退寮期限が迫っているの。だから、自分が住むためのマンションの購入を考えているのよ」

 水谷様は私と会うとニコリと笑い、そう言った。背筋がピンと伸びた凜とした佇まいはいかにも仕事が出来るオーラを纏っており、胸元には私も知る有名ブランドの花形のネックレスが光っていた。

「今日はこちらのマンションの見学でよろしいですか?」

 私は1枚の物件案内を水谷様に差し出す。

「ええ、お願い」
「畏まりました」

 水谷様が見学を希望されたのは東京都東部の、とある駅から離れた河川沿いにある、タワーマンションだった。周囲を運河で囲まれた半島のような形状になった場所に、何棟ものタワーマンションが建ち並ぶ、再開発された都心でも特徴的な新しい街だ。大型ショッピングモールも近くにあり便利だし、都心までも電車に乗ればすぐに着く。ただ、物件から駅までは徒歩10分以上はかかる。

「ご案内の前に、どのような物件をお探しか、事前にヒアリングさせて頂いてもよろしいですか? 皆様にお伺いしておりまして、ご迷惑でなければお願いしたいのですが」
「ええ、もちろんいいわよ」

 私はアンケート用紙を水谷様にお渡しした。記入頂く間に、裏でお客様用のコーヒーを用意してお出しする。小さな接客室はコーヒー独特の芳ばしい香りで満たされた。しばらくすると、水谷様は「書けたわ」と言って私にアンケート用紙を手渡した。

 私はアンケート用紙の回答を見て面を食らった。希望エリアは都心部、城東、城西、沿岸部など全てに丸が付いているし、希望間取りも1DK~2LDKまで幅広い。決まっているのは予算の4500万円だけだ。まるで、『どんな家にするか全く決めていない』と言われているようだった。

「少しだけ確認させて頂いてもよろしいですか?」
「ええ」 
「エリアに、なんとなくのご希望はありませんか? やはり、今回見学される東京都東部がよろしいですか??」
「それが、迷ってるの。私は実家も遠方だし、特にこだわりは無いのよ。ただ、通勤しやすい場所がいいわ。とは言っても、私の仕事は転勤も有り得るから、具体的な場所は無くて、交通の便がいいところ」

 水谷様は落ち着いた口調でスラスラと答えてゆく。アンケート用紙を見ると、水谷様の勤務先は大手町となっている。これは、確かに今回の見学を希望されたマンションからは通いやすい。

「ご希望の間取りも幅広いですが、お1人でお住まいの予定ですか?」
「……そうよ。独身だし、結婚の予定も無いし」

 水谷様は私の顔を見つめてクスリと笑う。ただ、私はその答えの前に水谷様に一瞬だけ間があったように感じた。しかし、次の瞬間には何事も無かったように自然に答える水谷様を見て、やっぱり気のせいかと思った。その後も、私はいくつかアンケート用紙を見ながら確認し、質問を終えた。

「では、早速物件にご案内させて頂きます。タクシーでよろしいですか?」
「ええ。お願いするわ」

 水谷様が頷かれたので、私はオフィスから出て外苑西通りでタクシーを捕まえると、見学先の物件へと向かった。
 実は、物件案内の際にタクシーではなく公共交通機関のご利用をご希望される方も多い。住むに当たって、周辺環境や駅からの経路を見ておきたいと考えるからだ。