私はチラリと隣に座る桜木さんを窺い見た。既に反対側を向いて、隣にいる尾根川さんと何か会話している。
 私はビールグラスに入れられた泡がたっぷりの琥珀色の液体をぼんやりと見つめた。シュワシュワと泡が上がっては消えてゆく。

 桜木さんが、私がお酒に弱いことに気付いて気に掛けてくれた。それはほんの些細なことだけど、私は堪らなく嬉しく感じた。

 飲み会の後は恵比寿ガーデンプレイスの中のオフィス棟の上層階のレストランフロアから見える夜景を見に行こうと綾乃さんに誘われた。高層階のレストランフロアには、無料の展望スペースがあるのだそうだ。都心を高層階から眺める夜景は、街の灯りがまるで宝石のように煌めいていた。

「美雪ちゃん! 東京タワーだよ」

 綾乃さんがぶんぶんと手を振って私を呼ぶ。綾乃さんは酔っぱらうと私を『藤堂さん』では無く、『美雪ちゃん』と呼ぶのだ。綾乃さんが興奮して指さす先には、東京タワーが根元までしっかりと見えた。赤と白の躯体が幻想的にライトアップされている。

「本当だ。綺麗ですね」
「以前、藤堂さんと東京タワーから景色を見たよね」

 いつの間にか隣に桜木さんがいて、懐かしそうに呟いた。

「そうですね」

 私も小さく返事する。それはついこの間の事なのに、ずっと前の事のように感じる。

「ええ!? さくらぎぃ! いつ美雪ちゃんと東京タワーデートしたのよ?」

 私達の小声の会話を聞き逃がさなかった綾乃さんは、眉を寄せて桜木さんを追求し始めた。

「デートじゃ無くて、仕事だよ」

 桜木さんが相変わらずの酔いっぷりの綾乃さんを適当にあしらう。

「しごとぉ? なんだ、つまんなーい」
「何だよそれ?」

 口を尖らせる綾乃さんを見て、桜木さんは呆れ顔だ。桜木さんが『仕事』と言ったのを聞いて、ちょっとだけがっかりする自分がいる。

 ──あの食事も、ただの仕事?

 ふとそんな疑問が浮かんだけれど、臆病者の私は口に出して聞くことが出来ない。英二にこっぴどい振られ方をした私は、自分に自信がない。

 私は楽しそうに桜木さんに絡む綾乃さんと、呆れ顔で対応する桜木さんから視線を移動させ、見渡す限り光り輝く東京の夜景を眺めた。

「よし。明日からも頑張ろっと」

 キラキラ煌めく光は星のようだ。なんだかその光に応援されているような気がして、私は小さく自分にカツを入れた。


 ***


「藤堂さん、どうやって帰る?」

 お開きの時、桜木さんにそう聞かれて私は首をかしげた。

「バス以外に、なにかあります?」
「歩いても15分かからないよ」
「本当ですか?」

 住み始めてもうすぐ3か月経つというのに、私は全く位置関係が分かっていなかった。恵比寿ガーデンプレイスは恵比寿駅より私の家に近い側にあるらしい。

「帰り道が分かりません」
「途中まで方向が同じだから、一緒に帰ろうか?」
「いいですか?」

 一緒に帰って頂けると、正直、非常に助かる。実は、バス停の場所もよく分かっていなかったから、あの人で溢れる恵比寿駅にもう1度戻るしかないかと考えていたところだったのだ。

 帰り道、ふと気付けば、歩道についた街灯がビールジョッキだった。2つのビールジョッキを馬車が牽くような、変わったデザインをしている。そのビールジョッキはちょうどビールを注ぐような、絶妙な角度に傾いている。

「なんか、この街灯可愛いですね」
「通りの名前がビール坂って言うくらいだから、昔はこの坂を馬車がビールを運んでいたのかもね。さっき、見学ツアーで言ってなかったっけ?」

 街灯を見上げ、桜木さんは少しだけ眩しそうに目を細めた。黄色いライトはビールをイメージしているのだろう。
 ビール工場は数十年前まで、今は恵比寿ガーデンプレイスになった場所に存在していた。自分のおばあちゃんの時代くらいまでは、ここをビールを乗せた馬車が行き交っていたのかもしれないと思うと、とても不思議な感覚だ。

 歩道を歩いていると、ちょうど羽田空港と恵比寿ガーデンプレイスにあるホテルを繋ぐエアポートリムジンが通り過ぎた。白にオレンジ色のラインが入ったバスには、何人かが乗っているのが見えた。

「桜木さんは、夏休みにどこか行かれるんですか?」
「俺? 実家帰るだけだよ」
「へえ。どちらなんですか?」
「兵庫だよ。兵庫県神戸市」
「関西なんですか? 意外です」

 私は隣を歩く桜木さんを見た。桜木さんは少しだけ首をかしげた。

「そう?」
「だって、関西弁が全然出ないですね」
「そう言えば、そうだね。向こうに戻れば出るよ」
「ふーん……」

 桜木さんはいつも落ち着いた口調で喋る。関東人の私からすると、関西弁は少しテンション高めなイメージだ。その関西弁で桜木さんが喋るところが想像がつかない。

「藤堂さんはどっか行くの?」
「私も帰省です。栃木なんですけど、私の住んでるところは何もない田舎なんです」
「普段が都心真っ只中だから、メリハリがあっていいね」

 桜木さんは両方の口の端を持ち上げた。肩越しに見える道路を走り抜ける車のヘッドライトが、ふわりふわりと揺れて見える。

「藤堂さん、俺こっちだから。気をつけてね」

 お喋りしていたら、時間が経つのは本当にすぐだった。いつの間に来たのか自宅近くの交差点に着いたとき、桜木さんは我が家とは違う方向を指差した。ここまで来れば流石に私も見覚えがある。我が家はすぐそこだ。

「はい。ありがとうございました」

 私は桜木さんにお礼を言うと、笑顔で手を振り、家路へとついた。