イマディール不動産では、8月のお盆に1週間ほどの夏休みがある。そのため、7月も後半に入ると、夏休みも近いことからなんとなくオフィスは浮き足立った雰囲気に包まれていた。

「藤堂さん。お盆入る前に、暑気払いするから来てね」
「暑気払い?」
「月末の金曜日に恵比寿ガーデンプレイスのビアホールで。ついでに有志でビール工場見学するよ」
「ビール工場? あんな都心にビール工場があるんですか?」

 私は目を丸くした。恵比寿ガーデンプレイスと言えば、雑誌やテレビで見たお洒落なデートスポットのイメージしかない。あんなところにビール工場があるなんて、全然知らなかった。
 驚く私に対し、綾乃さんは「違う、違う」と顔の前で手を振った。

「ごめん、正確にはビール工場見学じゃないかも。あそこって元々ビール工場があった跡地だから、その名残でビールについての見学が出来る施設があるのよ。ついでだし、行かない?」
「行きます!」

 私は一も二もなく、コクコクと頷いた。実は私、こんなに近所に住んでいながら、恵比寿ガーデンプレイスには行ったことが1度も無いのだ。

 恵比寿ガーデンプレイスは、大型総合複合施設の再開発における先駆け的存在として、1994年に誕生した。広い再開発エリアの中には、オフィスビル、デパート、映画館などの商業施設、レストラン、住宅、美術館などがある。元々はビールの製造工場で、恵比寿駅もビールを運ぶための貨物駅だったらしい。今はお洒落なイメージしかない恵比寿だけど、何十年か前までは全く違う景色だったのかもしれない。


 ***


 暑気払いの日、ビールの見学のために早めにオフィスを出て日比谷線で1駅隣の恵比寿駅に向かった私は、あまりの人の多さに目をパチパチと瞬かせた。

「な、なんか凄い人じゃ無いですか??」

 日比谷線を降りて地上に出ると、辺りは人・人・人! 人気テーマパークのような混雑具合だ。

「今日は盆踊りだからね。藤堂さん、こっちだよ」

 すぐ近くを歩いていた尾根川さんが、JRの駅ビルへと繫がるエスカレーターを指差した。

「盆踊り?」

 私はおしゃれな恵比寿らしからぬ単語に目をパチクリとさせた。確かに、駅前の広場にはピンク色のぼんぼりが沢山ぶら下がり、中央には社が組まれている。
 尾根川さんによると、恵比寿駅前で毎年行われる盆踊りは、いつも、もの凄い人出なのだという。なんと、2日間で6万人も参加するらしい。

「夜はもっと凄い人だよ」
「へえ」

 これより人が多かったら、ぶつかって盆踊りが踊れないんじゃ? と余計な心配をしつつ、私はエスカレーターからその景色を眺めた。

 恵比寿駅から恵比寿ガーデンプレイスまでは、連絡通路で繫がっている。真ん中に歩道、左右に動く歩道があるその連絡通路を使うと、暑い今の季節も快適なままで恵比寿ガーデンプレイスまで到着することが出来た。

 連絡通路を出て道路を渡るとまず最初に見えた広場には、テレビドラマでおなじみの石のオブジェがあった。その前で観光客が写真撮影をしており、背後にはかつてここにビール工場を構えていたビール会社のオフィスが見えた。
 茶色い煉瓦タイル貼りのお洒落な外観で、恵比寿ガーデンプレイス全体がその茶色い煉瓦タイルと統一感があるデザインになっていた。

 私はそのオブジェがある時計広場から、ガーデンプレイスの中心であるセンター広場までの下り坂を眺めた。右手に近代的なオフィスタワー、左手に低層のデパート、真ん前には高い屋根の緑色のアーチがあり、下り坂の両脇に並木と花の植栽。その向こうには西洋館のようなお洒落な建物が建っている。

「あれ、ミシュランガイドで毎年3つ星をとるレストランだよ」

 綾乃さんが西洋館のような建物を指さした。建物はライトアップされており、まるで白く浮き上がる小さなお城のようだ。

「へえ、よく知ってますね?」
「うん。旦那と結婚記念日に来た」
「わぁ。ラブラブですね。羨ましい!」
「ふふっ。ありがとう」

 綾乃さんは照れくさそうに笑った。否定しないところを見ると、本当にラブラブなのだろう。羨ましい!

 ビール工場見学はセンター広場からデパートを通り抜けた先の少し分かりにくい場所に入り口があった。
 館内は無料で自由見学も出来るし、受付でお金を払うとガイドさんの解説付きのツアーに参加できる。みんなで早めに切り上げたかいあって私達は予約していたガイドツアーに間に合ったのでそちらに参加することにした。
 ツアーガイドは前半は恵比寿にちなんだビールの歴史を学び、後半はガイドさんによる美味しいビールの注ぎ方レクチャーとビールの飲み比べだ。

「藤堂さん、大丈夫?」

 グラスに注がれた2杯のビールをちびちびと飲んでいると、隣にいた桜木さんがこちらを見ていた。私は何が大丈夫なのかと首をかしげると、桜木さんは私の顔と並々と注がれたビールグラスとを見比べた。

「あんまりお酒強くないよね?」
「あ……はい」

 桜木さんのご指摘の通り、私はあまりお酒に強くない。すぐに顔が赤くなるし、飲み過ぎると気持ち悪くなる。だから飲み会では出来るだけ弱いお酒をちびちびと飲んでやり過ごすタイプだ。
 このビールツアー、試飲と侮るなかれ。結構しっかりとした量のビールが出てきた。時間が短いので、確かに私にはやや多すぎるのだ。

「せっかく美味しく入れて貰ったので、これは飲みます」
「そう? 無理しないようにね」
「ねえ、注ぎ方だけの違いなのに、凄く美味しく感じるね。何でだろう?」

 反対隣がいた綾乃さんはいつの間にか一瞬で2杯とも飲み干しており、こちらを見て頬を綻ばせていた。
 私は慌てて「そうですね」と目の前のビールグラスを持ち上げて口に含んだ。確かに、中身は同じなのになんだかいつもより美味しい気がした。