その日の晩、英二は私の住むマンションを訪ねてきた。
 ここはかつて私達が同棲していた場所であり、今は私が1人で住んでいる。ピンポーンと呼び鈴がなり、外を確認せずにドアを開けた私の愚かさよ。

「美雪。考え直した方がいい。お前、路頭に迷うぞ」
「……」

 無言でドアを閉めようとすると、慌てて英二が鞄をドアの隙間に滑り込ませた。鞄の金具にドアが当たり、ガキャッと嫌な音がした。

「美雪、待てよ! なにも辞めることはないんだ。少し話そう」

 ドアの隙間から眉間に皺を寄せた英二がこちらを覗き込む。私は英二を睨みつけた。

「私は話す事なんてない。話なら散々したはずよ? 私とこの先も一緒に歩むのは無理って言ったのは英二でしょう? 望み通り英二の前から居なくなるんだから、万々歳でしょ?」
「それとこれとは別だろっ!」
「とにかく、私は話す事なんてない。もう帰って。帰らないと警察呼ぶわよ?」

 表情を歪めた英二の腕から力が抜け、鞄がズルリと落ちた。信じられないものでも見るかのような目で、私を見下ろす。私はそんな英二から咄嗟に目を逸らすと、バシンとドアを閉めた。
 すぐにコツンコツンとドアから遠ざかる足音を聞きながら、私は玄関に崩れ落ち、両手で顔を覆った。