私はこの日、あたかもモデルルームに遊びに行くかのような感覚で桜木さんのマンションの現地調査に同行した。けれど、実際は想像していたのと全然違った。

 まず、物件近くに到着したら、駅から物件までのルートを確認し、卑猥な店舗が立ち並ぶなどの査定マイナスポイントがないかを実際に目で見てチェックする。
 次に、マンション周囲を1周歩き、周囲に日照を遮る高層ビルはないか、ごみ屋敷や騒音屋敷などの問題のある住宅がないかを確認した。
 マンションに到着したら、オートロックはあるか、管理人は常駐か、ゴミ出しは24時間OKか、共用部の掃除が行き届いているか、建物のちょっとした修繕がきちんとされているかなどをくまなくチェックし、やっとのことで部屋に入る。
 部屋に入った後もやることは沢山。部屋では間取りを見ながら、各部屋を確認してゆく。リノベーションするので、ここでは、内装の良し悪しは問題にならない。代わりに、パイプシャフトの場所の確認や壁がコンクリート壁でないことを軽く叩いてチェックする。コンクリート壁だと、壁がマンションの構造を担っていることがあるため、壁を抜く大規模なリノベーションは出来ないのだ。窓からの景色、天井高さ、マンション規約の室内修繕規定などをくまなく確認し、やっと1件目の現調が終わる。それを3件分やるのだから、結構大変だ。

 3件目を見終わったとき、私はもうぐったりだった。もう、足が棒だ。
 そんな私を尻目に、桜木さんは鞄から会社支給のスマホを取り出すと、どこかに電話を始めた。物件案内を見ながら真剣な表情で話しているので、私は邪魔しては悪いかと思って、桜木さんとは別の部屋に移動し、窓から外を覗いた。
 リビングダイニングの窓からは、ちょうどビルとビルの隙間を縫うように東京タワーが大きく見える。その東京タワーのふもとのあたりには、緑が広がっているのが見えた。それをぼんやりとか眺めていると、電話を終わらせた桜木さんがひょこりと顔を出す。

「藤堂さん、待たせてごめん。社長のOK出たから、ここ行こう」
「ここ行こう?」
「ああ、ごめん。ここ、買おう」

 桜木さんの言葉を聞き、私は驚いた。まるで洋服を選ぶように「買おう」って言うけれど、そんな軽々しく買おうと言えるような価格ではない。
 私は物件データを見た。築22年、最寄りは東京メトロ日比谷線の神谷町駅と都営三田線の御成門の2駅利用可で、どちらも徒歩5分以内だ。つまり、都心地区の巨大ターミナルにはどこも30分以内に到着できる、極めて便のよい高級地である。
 私が今日見た限りでは、管理体制はしっかりしていた。マンションエントランスには壁面間接照明が使われ、観葉植物が飾られており、24時間の有人受付体制。
 見るからに高級そうという言葉がぴったりのこのマンションは、今日来るときに桜木さんから聞いた話から判断すると、『値崩れしにくいマンション』だ。でも、値崩れしにくいというだけあって、価格はかなりのものだった。私の年収何年分ですか?? っていう価格。

「ここ、売り主さんに事情があって売り急いでるみたいなんだ。俺の感覚的には安いと思う。早く決めないと売れちゃうから」

 桜木さんはすぐに売主さんの仲介業者と話を始めた。呆然と見守る私の横で、そのマンションはあれよあれよという間にイマディール不動産でお買い上げの手筈となったのだった。


 ***


 全てが終わったとき、私は両腕を上に伸ばしてうーんと伸びをした。

「藤堂さん、疲れた? お疲れさん」
「桜木さんもお疲れ様です。あの価格のマンションをあんなにあっさり決めちゃうなんて、びっくりしました」
「ははっ。不動産は結婚と一緒だから。これだと思ったらすぐに決めないと」

 桜木さんは切れ長の目を細めて楽しそうに笑った。不動産は結婚と一緒ですぐに決めないと、か。そういう話はよく聞くけど、どちらも私には縁がなさ過ぎて実感が沸かない。

「桜木さんは不動産同様に、結婚もすぐに決められる人ですか?」
「そうだといいんだけどねー。そうだったら、もう結婚してるでしょ」

 桜木さんは肩を竦めてみせる。確かに、桜木さんは独身だ。以前、綾乃さんと同じ歳と聞いた気がする。ということは、32歳だ。世間一般的には結婚していてもおかしくない年齢ではある。

「結婚しないんですか?」
「残念ながら、今は相手がいない」
「へえ、意外。モテそうなのに」
「それ、誉め言葉だよね?」

 目を丸くする私に、桜木さんは器用に片眉を上げて見せた。

「もちろん、誉め言葉です!」
「ありがと」

 桜木さんがはにかむ。

「もう5時だけど、ちょっと歩いて街散策マップのネタ集めする? もう疲れたなら直帰でもいいけど……」

 桜木さんは腕時計を確認してから、私の顔を見た。

「行きます!」

 私はさっきまでの疲れも忘れて勢いよく返事をした。最近は雨ばかりだったけれど、今日は珍しく晴れている。絶好の散策日和だ。桜木さんはそんな私を見てクスクスと笑った。

「じゃあ、行こう。ここだと、やっぱり東京タワーは外せないかな」
「ですね!」

 私達は並んで東京タワーを目指して歩き始めた。私はその赤と白の構造物を眺めながら、ふと思い付いた疑問を桜木さんに聞いた。

「東京タワーが見えると、やっぱり物件価格は上がるんですか?」
「そうだね。プラスにはなる」
「へえ! じゃあ、もっと背の高い、東京スカイツリーが見えるとすごく値が上がるんですか?」
「残念ながら、そういうわけでもない」

 桜木さんが首を振ったので、私は首をかしげた。