「最近は将棋ソフトの発達もあって、アマの層も強くなったもんだ」
良い対局だったので感嘆してしまった。また、対戦したいな。
送信してしまうと、再びゲームのホーム画面に戻るが、秀一の頭の中では先ほどの対局のユーザーネームに若干(じゃっかん)の懐(なつ)かしさを覚えていた。
「……《イエロー》か。うん? なんか、昔を思い出すなぁ」
ふと、秀一の脳裏に昔の記憶が蘇(よみがえ)ってきた。……そう、これはまだ将来に夢も希望も持って生きていた少年時代の出来事である。
……昔。
俺は5年前まで未来のプロ棋士を目指して努力していたのだが、諸事情の都合により奨励会(しょうれいかい)を退会(たいかい)している。その際、良きライバルだった面々の一人に、ユーザーネームと被(かぶ)る友人がいたのだが、まあそれはこちらの勘違いだろう。
昔のことと現在のことを考えるのは正直、秀一にとって憂鬱な内容であった。故に、それ以上回想は思考放棄によって強制的シャットダウン。あまり考えても楽しくない内容は考えない――それが五年間で逞(たくま)しく育ったニートの矜持(きょうじ)だった。
終局まで並び終えた感想戦の画面を閉じると、秀一は勝利の余韻に浸りながら、サイト内の物色作業を始めた。週間ランキングに名前が載っているのを確認し、ついでに月間の勝利数の方もチェックしておく。こちらは上位層には食い込んでいるものの、入賞まではまだまだ余裕があった。
そういえば――
ふと作業をする手が止まる。
マウスをいくつか動かして、目的の画面を出現させた。
「あっちゃ~。……今回は手当たり次第に総当たりしすぎたな。今ので、100人抜きか。やれやれ、また目立つ記録できてしまったか……」
画面には戦績と書かれた大きな表が存在し、
【 アカウント名 《クマッチ》
勝負数 100戦 勝敗 100勝0敗 】
某県の有名ゆるキャラの名を冠したアカウントとその情報が出現する。
「こりゃあ。また、アカウントが有名になっちゃうよなぁー。いや、もう有名か。だとしたら。そろそろ潮時なるのかなぁ~。なかなか、面白いサイトではあったんだがなぁ……」
やれやれと思いつつ、ポリポリと頭を掻く。
毎回、アカウント名を考えるのも楽でないのだ。
なぜなら秀一にとって、この部屋にあるものが世界の全てであり、それが常識だった。常識でない物から引用するのは難しい。棚には目一杯の将棋本が収まっているが、本の内容をそのままアカウントに転用してしまえば、明らかに玄人向けの名称になってしまう。正直、最初の方はそれでも構わないと思っていたのだが、勝利を重ねれば重ねるほどアカウントの知名度も高くなり、むやみやたらと詮索(せんさく)する迷惑な輩(やから)が出てきてしまった。そうそう、以前こんな事件があった。どうして割れたのか分からないが、一人のプレーヤーが個人チャットに潜り込んできて、直接的なアプローチを取ってきたのだ。
『これは《パンプキン》氏の個人ログですか?』
『は? あなたは一体……』
『いやー、忘れられてしまうなんて酷いなぁ~。私はあなたの大ファンですよ。ほら、今もハアハアしてますよ。《パンプキン》氏が妙手を指される度に、心にえも言えぬ快感が込み上げてきまして、ああ~もうたまりませんなぁ~ハアハア』
『……』
『そうだ。今度我々のクラブで交流会をする予定なんですけど、《パンプキン》氏もどうですか。あっ! どうですかなんて、半端な意見で良くないですね。是非来てください。大歓迎です。愛してます♡ Welcome I love you~』
『……』
その直後、無言でアカウントを削除したのを覚えている。
一連の動作を行っている間、身の震えが収まることはなかった。まさか、これほどの変態が頭脳明晰と謳われる将棋ユーザーの中にいるとは思わなかった。いや、逆か……。頭が良すぎる故に、常人には理解できぬ結論に至るのかも知れない。しかし、だとしてもネット上を甘く見ていた自分が許せない。というか、明らかに男性だと分かる文面で、♡とか付けちゃダメだろ。しかも、内容も正気の沙汰とは思えんし、たとえ冗談だとしても笑えないレベルだ。
秀一は自身の過ちに気付いた瞬間だった。
……狂信的なファンほど怖いものはいない。
ネット上の闇を垣間見た気がした。