真っ白な空間に寝そべっていると、ひた、ひた、と頭のつま先の方から裸足の足音が聞こえた。
立ったままの相手の顔は見えなくて、俺は開いた目を僅かに凝らしてみる。お迎えかな、なんて縁起でもないことを思ったら起きてください、と声が俺を呼びかけた。
『まったく、世話の焼ける人ですね』
そう言った影は、声は、拓真は、頭側からしゃがんで俺を見下ろしている。拓真のやさしい微笑みはほんの僅かな切なさを灯していて、俺にいつも生きるためのヒントを託してくれた。
声は、ノイズ全部を掻き消した透明。
『ちゃんと見てください』
「…なにを?」
『目には見えない大切なもの』
目元に手をかざされた途端、次第に意識が遠くなる。
『忘れないんでしょう、だって。
人間。失くしたくない本当に大切なものは』
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───
「…まただ」
もう何度目かのそれに、俺は天井を見たまま呟いた。
最近、目が覚めると泣いている。
法則がある。昼寝や仮眠の時には現れず、それは決まって眠りについてから、夜を越え、朝を迎えた時にのみ溢れているのだ。
事故に遭って意識を取り戻した患者が精神的ショックから突発的に“記憶のぶり返し”を起こすことは珍しくないらしく、医師には正常な防衛反応だと言われた。
人間の脳は元々、寝ている間、記憶するに値しない夢の処理は行わない。明け方に見る夢やその内容を思い出せなかったりするのは、目まぐるしく情報処理を行う前頭連合野という部分が取捨選択を行い、不必要な映像を切り捨てるからだ、と聞いたことがある。
今回のこれもそれに近しいのだという。要するに俺が思ってるより俺の身体は事故に怯えていて、脳が記憶するより前に傷ついて叫んでいる…と、そういう理屈。俺の意思そっちのけで。
「…女々し」
てかそんなのあんのか。
意識を取り戻してから、事故った足や腹は痛いけど容態は安定してる。ある程度療養したら退院して学校にだって行ける。…それなのに。
なんでかずっと虚しい。
心にぽっかりと穴が空いた。そんなふうに、昼夜問わずずっと空を眺めてる。探しても、願っても、
あの子はもういないのに。
「………歩こう」
三秒間。人が死ぬのに有する時間。
地球上では多くの国で、指を3つ折る間に人が死んでいる、というのは前に古典の教師が言っていた言葉。
俺が今、松葉杖で一歩を踏み出すたび、命の産声を上げた赤子が絶命してる。当たり前みたいに血が流れて、傷つけあって、それでも何事もなく笑ってる裏側の世界がある。その様はなんだか異質だ。
でもそれを口に出して慮ったら、それはそれで奇異の目で見られる。
────────忘れないんでしょう、だって。
自販機のボタンを押してペットボトルが落ちるのと同時に、拓真の声が浮かんだ。大丈夫だ。ちゃんと覚えてる。夢の中で過ごした日々のこと。ひとりひとりが伝えてくれた言葉。死んだみんなが生きてる俺に話してくれた。忘れてなんかない。俺は、何も。
何も。なのに。
「───でさぁ、聞いてよ。この前席替えしたんだけどそれが超、超、超最悪でっ!」