だからわからなかったんだ。その名前がなんて読むのか、結局、最期まで。


 泣き声がした。

 誰かが一人で泣いていた。

 行って、傍にいてやらないと。


 そう思うのに、自分以外の景色が、世界が途端速度を増して遠ざかっていく。俺自身にだけ急激にクローズアップし、そのうち景色だけが四角い箱の中で繰り広げられているのが遠くに見えて、気付いたら真っ白な空間に背中から投げ出されていた。

 泣いている声がする。その声は遠ざかっていくのに、でも頭の中、鼓膜の奥、すぐ近くで聴こえて、やがて吸い寄せられていく。





















 心電計の音がする。


 ふ、と開けた視界の端で、誰かが一人で泣いていた。それは黒い影だった。懸命に目を凝らしてみれば、次第に視野の靄は晴れていく。


「───あの、あの…っ、お兄ちゃん、お兄ちゃんいつ目を覚ますんですか?」

「円ちゃん落ち着いて…気持ちはわかるけど、先生からも気長に待ちましょうってお話があったじゃない。それよりあなた自分のこと」

「もう一ヶ月も経つんですよ!? お兄ちゃん返してください! お願いだから助けてください!!」

「…………ま どか……?」


 息苦しくて、声が思うように出なかった。やっとの思いで絞り出した声にそれでも気づいてくれたのか、妹は、看護師ははっとして振り返る。


「──────お兄ちゃん!? お兄ちゃん!!」

「507号室の久野さん意識戻りました!! 誰か、誰か早く先生呼んできて!!」


 騒々しい外野の音に頭が打ち付けられて痛い。呆然としてる間にも妹は俺の胸で泣き喚いている。




 そこで俺はようやく、目を、覚ました。