「…あれ?」


 頭を押さえたまま、無人の病室をきょろり、見回す。

 目の前には確かに将棋盤と、たった今まで対局していた跡があるのに、変だ。


「じいさまー?」


 トイレだろうか。松葉杖を引き寄せて、ぐっと床に力を込める。片足でバランスを取って立ち上がると、病室を出て、てけ、てけ、と辺りを見回す。が、周辺には人の気配が一切感じられない。


「…じい、」


 がしゃん、と背後で音が鳴る。

 とっさに振り向くとそこに、じいさまが抱えていた黒の貯金箱が落ちていた。500円硬貨を入れるのでお馴染みの、円柱型の貯金箱。屈んで拾い上げると、俺がさっきまで襟に挿していたはずの壱万円札が、下敷きにされていた。


「恭平?」

「あ、ミオ」


 ナイスタイミング。

 偶然通りかかったミオは恐らく、検査の帰りか何かみたいだ。屈んだままの俺を一瞬訝る表情をしたが、構わず貯金箱を持って振り返る。


「なぁ、今爺さん通り掛からなかったか。俺の肩くらいの身長で、白髪で、こう、岩みたいな顔した」

「…は、爺さん? すれ違わなかったけど」

「…そっか」


 撫でつけられた頭に片手を乗せて、釈然とせずにぽりぽりとそのまま掻く。夢、でも見てたんだろうか、俺は。でも貯金箱ここにあるし、対局だってちゃんとした。こういうの白昼夢っていうんだっけ、なんてぼんやりしていたら、ミオに心配そうに覗き込まれているのに気がついた。

 だけど、目があった途端ぱっと逸らされる。更にムッと口を結んで。


「…お前は? 検査の帰り? 今から小児病棟戻んの」

「…」

「なんだよ、まだむくれてんのか」

「むくれてねーわ!」


 はい予想通りの反応。

 ぎゃん、と相手が咆哮する前に耳に小指を突き立てた俺がにし、と笑って見せると、ぷいっと顔を逸らしたミオの首元で何かが強く光った。

 なんだ今の。距離を詰め、何気なく相手の髪をよけて覗き込むと、鎖骨の辺りできら、と雫型をした硝子の中、蒼い砂が煌めく。


─────────ペンダント、だろうか。


「………お前これ、」


 なに、って聞こうとして、目を見開く。

 ミオの顔が真っ赤だったからだ。それはもう、──────耳から湯気でも出さんばかりの勢いで。