スミくんと花火大会に行くことになった。────なんてのは嘘で、もちろん、断ってしまった。

6月下旬、夏の気配がやっとやってきた頃、この街で今年一番はじめの花火大会。6月といえどもうかなり蒸し暑い。

スミくんはあれから数回わたしを花火大会に誘ってきたけれど、私がそれに頷くことはなかった。だって、もちろん、春まつりと同じ。毎年シュンと一緒に行っているからだ。


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「ねーシュン、似合う? 浴衣!」
「ああ、うん、いいんじゃない」
「もう、相変わらず淡白だなー、興味ないでしょ!」
「別にそんなことないけど」
「じゃあ可愛い? 今年は大人っぽく白地にしたんだよー」
「うん、いいんじゃない、似合ってる」


ちえ、シュンってば、澄ました顔して全然興味がなさそうだ。

せっかくの花火大会、家の近くの公園で待ち合わせたシュンは私の浴衣姿なんて気にもしていないみたいだ。

今年は白地に紺色花柄を添えた浴衣を選んだ。高校3年生、大人っぽくなりたいわたしには大満足の綺麗な模様。お母さんに頼んでセミロングの髪だって上手にアップスタイルにしたのに、シュンのバカ。

花火が綺麗に見える川沿いは、私とシュンの家から割と近くて徒歩15分。歩けば人の賑わいが見えてくる。春まつりに負けない勢いで屋台が並ぶ中、大勢の人が行き交って活気がこもる。

まだあたりは暗くないけれど既に提灯がライトアップされていて、立ち並ぶ屋台からはいいにおいが鼻をくすぐる。焼きそばかな、たこ焼きかな、何を食べようか迷ってしまう。


「おかーさん、最近シュンが来ないからさみしがってたよー」
「別に迎えに行ってもよかったけど」
「いや、待ち合わせっていうシチュエーションにロマンがあるんだよねえ!」
「ロマンね」


はあとため息をついて呆れている。相変わらず白シャツに黒いパンツ、首からカメラをぶら下げたシュン。顔立ちは整っているんだから、あとはこの長い前髪をどうにかしたらもっと素敵になるんだろうけど。

あ、でも、そうしたら変な虫が寄ってきてしまうかもしれない。それなら今のままでいいのかも。


「わたし冷凍ミカン缶食べたいなー」
「ミカンの缶詰買って凍らせた方が安いよ」
「ねえなんでそんなロマンのないことばっかり言うのー、バカシュン」
「だからロマンってなんなの」
「シュンには一生わかりませんよーだ」


べえ、と下を出すとシュンが肩をすくめた。
夕方17時。花火が打ち上がるのは確か20時半だったかな。混雑する前に、と余裕を持って集合したけれど、少し早すぎたかもしれない。

わたしはお目当ての屋台を探してきょろきょろと辺りを見回す。チョコバナナ、金魚すくい、りんご飴、射的に綿菓子。お祭りってどうしてこう、子供心をくすぐるんだろう。本当はぜんぶ食べたいくらい。

人混みの中、ふと、スミくんも来てるのかな、と思う。

数回の誘いを断ったくせに、クラスメイトがスミくんを今日のお祭りに誘っているのはしっかりと聞き耳を立てて聞いていた。人当たりのいいスミくんのことだ、きっとあの賑やかなクラスメイト数人とこの人混みのどこかにいたりするんだろう。

そういえば、スミくんとは学校以外で会ったこと、ないな。

放課後アイスを食べたときはあったけど、学校終わり。どんな私服を着るんだろ。シンプルなものな気がするけど、意外と派手な色を着ていたりして。待ち合わせは早く着くタイプか、遅れてくるタイプか、どっちだろう。スミくんの性格上、人を待たせたりなんてしなさそうだけど。

知らないことばかりだな、当たり前だけど、知ろうとしていないから、彼のこと何も知らない。


「あれ、スミくんかな、」
「スミ?」
「いや、ごめん、違った、なんでもない」


うわ、思わず、考えていたことが口をついて出てしまった。

スミくんのことを考えていた時に、彼に背丈が似ているひとが通りかかったから。思わず声を出してしまった。シュンも突然のことでびっくりしたと思う。私から現彼氏の名前が出てくるなんて、中々ないことだ。

わたし、何してるんだろう。

シュンとお祭りに来ているのに、スミくんのことを考えてるなんて、どうかしてる。


「珍しいね、ナツノから彼氏の名前が出ること」
「そんなことないよ、こないだも、スミくんの話したじゃん」


シュンの誕生日の日も、プール掃除をサボった日、写真部の部室からスミくんのことを見つけたあの時も、別にシュンの前でだって、スミくんの話をしていた。


「それはおれから話を振ったからだと思うけど」
「そ、それより、何か食べるとか、屋台楽しもうよ」
「金魚すくいしたいの?」
「えっ?」


わざとらしく話題を変えたはいいものの、適当に口を滑らせたのに。

シュンの声に我にかえると、確かにわたしは金魚すくいの屋台の前で立ちすくんでいる。スミくんのことを考えるなんてどうかしている、うん、本当にどうかしてる。


「持って帰るの大変だからやめたら。前もちゃんと飼育できてなかったし」
「別に飼いたいわけじゃないもん、」
「なら、尚更」
「わかったよう」


小学生の時かな。そういえば、うちで買っていた金魚は、シュンとハルカと行った花火大会の金魚すくいでおまけにもらったんだった。

水の中をいとも簡単に泳いでいく赤色の金魚に、あの時はひどく憧れた。

とは言っても、きちんと水槽の手入れをしないので、お母さんにはよく怒られたなあ。懐かしい。あの金魚も、私が中学生に上がる頃には寿命を迎えてしまったのだけど。水面をすべっていく尾びれを見ながら、ふよふよと浮いていく水疱に、私もこんな風に泳げたらいい、と願ったあの頃。


「あの金魚、名前なんていうんだっけ」
「わーヒドい、シュンが名付けたんじゃなかった?」
「え? 違うと思うけど」
「嘘だよーだって一緒にいった夏祭りで貰った金魚だもん」
「それは覚えてるけど」
「私が金魚すくいしたいって駄々こねてさ、やったはいいものの一匹もとれなくて、屋台のおじさんが情けで一匹くれたんだよね」


金魚すくいによくある薄い紙を貼った円状のもの。そういえば、あれは《ぽい》と呼ばれる物らしい。物知りなシュンが後で教えてくれたことだ。シュンって知らないことはすぐに調べる癖があるんだよね。おかげで私も変な雑学を知っていたりする。

金魚を欲しいといったものの、上手くすくえないわたしはすぐに薄い紙の膜を水に溶かして泣いてしまった。我ながら我儘で幼稚な小学生だ。そんなわたしを見かねて、お店のおじさんは『どれがいい?』と大量の金魚が泳ぐ水面を指さして言ったのだった。


「懐かしいなー、シュンはあの頃から『持って帰っても飼えない』ってやらなかったよね」
「うん、そのとおりでしょ」
「私の金魚の名前はその時決めたんだよ、泳いでる金魚の中でいちばん綺麗な赤色をしてたから、りんごみたいだねって、りんちゃん」
「そうだっけ、」
「うん、シュンでしょ? そう言ったの」
「いや、だから、違うよナツノ」


え? そうだったかな。確か小学5年生の夏。
『どれがいい?』と私に尋ねたおじさんの声に、真っ先に反応したのは────


「ハルカだよ、りんごみたいだって、りんちゃんにしようって言ったのは」


ドクリと心臓が鳴った。同時に蘇ってくる。『りんごみたいだから、りんちゃんにしよう』と言ったハルカの声が。

あれ、わたし、そんな大事な記憶を、どうして忘れていたのだろう。


「そう、だっけ、そっか、そうかもしれない」
「うん、そうだよ」


ハルカの記憶。シュンとハルカの話をするのだって、何年ぶりだろう。できるだけハルカの名前が出ないように、できるだけ私たちふたりの間にある記憶を上塗りしないように、最善を尽くしてきたのに。

思い出す。水色の浴衣を着て、髪をお団子に結ったハルカの姿。一番きれいでかわいい私たちの幼馴染。覚えている、思い出せる。

けれど確実に、薄れて、いる。

春、いつもの春まつりで、川に桜の枝を流したとき。忘れたい記憶は、ずっと色濃く残っているものだと思った。ずっと鮮明に覚えている物だと思っていた。だって、忘れるはずがない。3人でいた、あんなに楽しかった時間。大好きなシュンとハルカのこと。それが時間を変えて、色を変えて、手を繋いだふたりの背中を見てしまった自分のこと。

忘れるはずがない。忘れたいといいながら、私本当は、大事にしまっていた。誰にも触れさせない場所で、まるで水面に閉じ込めるように、そっと、隠していたはず。

でも、確実に、薄れている。どうして。

「……ごめん、シュン」
「なんで謝るの」
「ううん、なんとなく」
「スミのこと、気になってるんじゃない、ナツノ」


え、何。

驚いて横を見ると、すたすたと金魚すくいの屋台を追い越して、人混みを縫って歩いて行く。私はそれを慌てて追う。突然スミくんの話になったこと、ハルカの記憶が薄れていること、全部、自分でも理解できない。したくない。

ねえシュン、わたしは、シュンとハルカ以外、《どうでもいい》って思ってるよ。

川沿いを埋め尽くす屋台の列は終わりが見えない。人混みは絶えず、飾られた提灯や人が行き交う音でシュンが消えてしまうんじゃないかってこわくなる。置いていかないでほしい、それ以上、どうかシュン、歩いて行かないで。


「シュン、」
「うん?」
「怒ってる?」
「いや、怒ってなんてないよ」
「じゃあどうして変なこと言うの」
「へんなことって?」
「……スミくんのこと」
「ああ、でも、事実だから」
「事実って、そんなのシュンにはわかんないし、関係ないでしょ」
「わかんないわけないだろ、ナツノ」


『何年一緒にいると思ってんの』と。よく聞くシュンのフレーズが、鈍器で頭を殴られたように勢いのある衝撃で降ってくる。


「記憶にはキャパがあると思う、新しい何かをいれれば、ゆっくりと過去のことは薄くなる」
「何それ」


まるで私が、ハルカを忘れていくみたいなこと、どうしてそんな風に言うの。


「でも、それでいいと思ってるんだ、むしろ、そうしなきゃいけないんだよ」
「意味わかんない、シュン、本気でそんなこと言ってるの?」
「うん。こういうの、タイミングっていうんだと思う」
「タイミング……」
「ずっと、こうなったらいいなと思ってた。ナツノが他の誰かを好きになればいいって」


人の気持ち、考えられないシュンのことだ。思ってもいないことは口にしない。だからきっと、これも、本心なんだろう。
突然伝えられたそれを飲み込むには、あまりに熱くて固くて飲み込めそうにない。喉はからからで、乾いた砂漠みたい。震える唇から、なんとか声を絞り出す。


「……シュンはそうであるべきだと思うの?」
「うん、ずっと、そう思ってた」


あ、最悪だ。大事にしてきた物ぜんぶ、ひっくり返った。シュンは、シュンだけは、ずっと私の味方だと思っていた。わたしたちは、ずっとおとなにならずに、ハルカがいたあの頃のままで、いるのだと思っていた。

気持ちの変化を受け入れられない、受け入れたくないのはわたしだけだった? シュン、きみを置いていくことなんてできないと思っていたけれど、ずっときみを留めていたのはもしかして私だったのかな。


「……帰る、シュンの顔見たくない」


いつも思っていた。シュンがいなくなったら、わたしが生きる指針のようなもの、方位磁石のようなものは、消えてしまうって。