文化祭が終わって最初の月曜日の放課後、何故か東雲は複雑そうな顔で部屋に入ってきた。
まぁ加茂が服の破けた真相など話すわけもないので、おそらく写真を撮ったことを根に持っているんだろう。
特に気にもせず、いつものようにソファーで休息を取っていた。
夢の中で、何故か東雲がへらへらと笑っている。
それはもう思い切り嬉しそうに。
そしてその目の前にいたのは誠太郎だった。
見たことも無いほど愛おしそうに東雲の頭を優しく撫でている姿に、一気に血の気が引く。
気がつけば跳ね起きていた。
そしてふと視線を向ければ、まさに東雲の頭を誠太郎が撫でている瞬間だった。
俺に気がつき、一瞬で誠太郎は手をのけると何事も無かったように顔を俺から背けた。
「えっと、まだ1時間経ってないよ?」
・・・・・・お前、途惑ってるのは好きな男に撫でられてるのを見られて、ばつが悪いせいか?
以前諦めたなんて言ったが、どうみても諦めたようには見えない。
未だに誠太郎と話す時、嬉しそうにしている癖に。
「もう少し寝てたら?」
「・・・・・・喉が乾いた」
俺が起きたらまずかったのかよ。
イラッとして起きた理由をこじつけた。
俺の言葉を聞いて、誠太郎が反射的に動こうとしている。
「東雲、紅茶」
思わず出た、子供じみた邪魔の仕方に自分でも呆れた。
案の定そんな俺が面白いのか、誠太郎が必死に笑いを堪えている。
その言葉を聞いて、東雲はきょとんとしたあと、少しため息をついた。
「はいはい。
用意してあげるからもう少し横になってなさい」
そう言って苦笑いを浮かべて東雲は席を立った。
結局こいつのこういうところに俺は甘えてしまう。
こんな俺でもこいつなら許してくれるんじゃないかと。
遙かに年下の高校生にそんな事を思う自分が情けない。
ぼんやりしていると、目の前に紅茶の入ったマグカップが差し出される。
優しい香りがふわっと漂い、何かに包まれている気がした。
「大丈夫?起きる?」
言葉だけ聞いていれば母親の言葉なのか、それとも恋人の言葉なのか。
俺の顔を少し中腰で見ている東雲を見上げる。
「腹が減った」
「はいはい、今用意するから」
困った子供を扱うように言われる。
本来なら男として情けないのに、何故かこんなことですらホッとしてしまう。
「すみません、うちの子がお腹を空かせてるようで」
「はい、どうぞ。
あんな大きな子供、さぞかし相手が大変でしょう」
「・・・・・・おい、聞こえてるぞ」
東雲は誠太郎から菓子をもらいながらそんなやりとりを始めた。
子供なのは俺が一番分かってるよ。
笑いながら東雲が俺に菓子を渡す。
「急いで食べないようにね?光明くん」
「・・・・・・後で覚えてろ」
うわー、反抗期!と笑う東雲に、本当に大変ですね、と誠太郎が笑っている。
その空気が何故かとても心地よくて、俺は少し俯いた。
今までこんなに気を張らないで済む時間なんてなかった。
こいつが俺の側を離れれば、それはこの時間の終わりを意味する。
初めて『怖い』、という感情を持った。
そして段々とこいつに関わるようになって、「怖がられたら」、「嫌われたら」という事を意識していることに気がついた。
今まで、誰にどんな風に思われようがなんとも思わなかったのに。
それがまた『怖い』と思ってしまう。
「ほんと大丈夫?」
さっきまで笑ってた東雲が側にきてしゃがむと、不安そうな顔で俺を覗き込んでいる。
そんな顔をさせるなんて情けないと思う気持ちと、純粋に自分を心配をしてくれる相手がいることに安心する。
「悪い。眠かっただけだ」
そういって、カップを持ってない手で東雲の頭を撫でた。
東雲はきょとんとした顔をした後、ふわりと笑った。
「無理はダメだよ?」
「あぁ」
俺はいつか、こいつの顔が溶けるほどの安心を与えてやれるのだろうか。
「コホン!
あーすみません、東雲さん、紅茶のおかわりいりますか?」
わざとらしく咳払いをしてから、誠太郎が声をかけ、東雲はそちらを振り向くと、いります!と嬉しそうに返事をした。
俺は思わず誠太郎を睨む。
そんな顔を向けられても、誠太郎は柔らかく眼を細めるだけだった。
まぁとりあえずは目の前の菓子でも食うか。
俺が菓子を食べているのを、二人が穏やかな顔で見てるなんて知らないままで。
12月に入り、目の前には見事なほどのテストの山。
数百あるこれを採点することも今は平気だが、教師になったばかりの頃は毎度うんざりしたものだ。
校内で自室として使っている英語教師室でもうとっぷりと日が暮れた中、一人黙々と採点をしていたら、横に置いていたスマートフォンが震えた。
手にとってメールの送信相手を確認すれば大学時代の友人。
なんとなく嫌な予感がして中を読む。
『久しぶり!
合コンやるから来てくれ』
クリスマスも近い。
一人で過ごしたくないという男女で利害が一致したのだろう。
断りの言葉を簡単に打って送信すると、添削に戻った。
するとすぐにスマートフォンがまた震えている。
今度は電話の着信だ。
表示されている相手の名前を見て、ため息をついて通話ボタンを押した。
『来てくれよ!』
「忙しいんだよ」
第一声がそれか。
『何だよ、既に相手いんの?』
「この時期は、テストの採点やらなんやらで忙しいんだよ」
『誰もいないって訳だよな?
お前が来てくれると女が喜ぶから来てくれよ』
「俺は客寄せパンダか」
『但し持ち帰れるのは1名だけな。
こっちも死活問題なんだ』
「知るか。そもそも持ちかえらねぇよ」
うんざりと椅子の背もたれにもたれかかれば、ギシリと音がした。
『お前みたいに座ってるだけで女が寄ってくる男なんざ本来敵なんだけどな』
「じゃぁ呼ぶな。
要件済んだなら切るぞ」
すると電話の向こうから待て待て!と慌てた声がした。
『見た目格好良いのも呼ぶって言っちまったんだよ。
だから来てくれよ、居て飯だけ食ってけばいいだろ』
「なんで自分で金払ってそんなめんどくさい事しなきゃなんないんだよ」
『可愛い系から美人まで揃ってる、らしい』
「お前、騙されてるんじゃないか?」
よほど必死なんだろう、何だかその必死さが段々可哀想になってきた。
『頼むって!後生だから!』
話す言葉が悲鳴に聞こえる。
「・・・・・・日程が合えばな」
ため息をついて、仕方なくそう答えてしまった。
「「「かんぱーい!!!!」」」
全員でグラスを持ってスタートした。
余程力を入れたかったのだろう、ただの合コンのはずなのに、ホテルにある夜景の綺麗なイタリアンレストランで広めの個室を貸し切っていた。
参加者は男女7人ずつ。
最初は定番の自己紹介から始まる。
こういうのには仕方なく何度か出たことがあるが、最初いつも身につけていたものを気にせずしていったら、そういうものを自動で金額に計算する女というのがいることを知り、それ以降、こういう場に参加する時は出来るだけ質素にしていた。
どちらにしろ教員の仕事の後だったので、一旦家に戻って、そのままのシャツと下だけジーンズにしておいた。
もちろん、いつも浄化され結界の張られた安全な学園外で過ごすので、伊達眼鏡はしている。
そんな格好の自分に比べ、俺以外の男は全員スーツだ。
女性陣は見事なほどワンピース率が高い。
むしろラフな俺が1人浮いている。
まぁどうでもいいが。
「で、こいつが例の藤原。女ホイホイ」
「ふざけた名前つけるなよ」
仕切ってる友人からふざけたあだ名と共に、自己紹介の順番を振られる。
一斉に注目を浴びるが、ため息をつきたいのを押さえて特に表情もかえず答えた。
「藤原光明です。高校で英語教師やってます。
はい、次ぎどうぞ」
他のヤツが趣味やら仕事の事を詳しく話す中で、俺はそれだけ話して次ぎにバトンを投げたので、次のヤツも、女性陣も目を丸くしている。
空気を悪くするつもりもないが、はっきりいって面倒くさい。
幹事をしている友人の顔を潰す訳にはいかないが、既に帰ることしか頭に無かった。
そしてお決まりの自由時間がやってきた。
今回の席はわざとだろうが立食も出来るほど高いテーブルと椅子なので、みな席に座らず、各々飲み物を持って立ちながら話している。
そんな中で端の席に座ったまま、一人バーボンのロックを飲みつつナッツを摘んでいたら、香水の香りが近づいた。
「藤原さんでしたよね?」
穏やかな笑みを浮かべた黒髪の女と茶髪で少しウェーブヘアの女が二人で話しかけてきた。
「えぇ」
「全然他の人と話してないようですけど」
「今日もテストの採点に追われて疲れていましてね」
苦笑い気味に答えると、黒髪の女は大変ですね~と笑顔で返してきた。
「もしかして嫌々参加ですか?」
ウェーブヘアの女が尋ねてくる。
「12月は特に忙しいので勘弁して欲しいと言ったんですけどね」
「お住まいは都心の分譲マンションにお一人とか」
「えぇ、まぁ」
黒髪が突然そんな話題をふってきた。
そう話しかけながら、ちらりと俺の腕時計を確認したのに気がついた。
腕時計と靴を見てまずは判断するタイプか、残念ながらどれも安物だよ。
黒髪の女は清楚そうに見せてるけど、本来のモノが全く違う。
伊達眼鏡をしてきても、それなりに視る力を押さえていても、それでも相手が強いモノを出していれば嫌でも視えてしまう。
一見清楚そうに見える女と一見遊んでそうに見える女は、外見と中身が逆だ。
どうしても下心を強く持つ者が近づいてくると即座に選別してしまうのが、無意識に癖付いている。
つくづく東雲にはこういう女達のようになって欲しく無いと思うが、あいつだけは清廉なまま大人になっていくのではと、勝手に期待してしまう。
ぼんやりそんな事を考えていたら、ウェーブヘアの女の声で意識を戻された。
「凄いですね、教師のお仕事ってそんなに安定してるんですか?」
「マンションは父のですよ。
単に住まわせてもらっているだけです。
教師なんて安月給に決まってるじゃないですか」
自己名義でそれも全額キャッシュで買ったマンションだが、そうでも言わないと食いつかれて恐ろしいことになるのは目に見えている。
それでも二人は俺と話すことを止めようとせず、思ったより相手が簡単に諦めない事に妙に感心した。
ふと目線の端に、酔ったヤツが後ろをみないでふらふらと下がってきているのに気がついた。
案の定、目の前にいたウェーブヘアの女の背中に思い切りぶつかり、彼女が前のめりに転びそうになったのを、素早く立ち上がって肩に片手を回し支えた。
「大丈夫?」
「あっ、はい」
「おい、酔って何やってんだ」
彼女に確認して、手をすぐに離す。
酔った友人に声をかければ、何が起きたのか理解していないのかきょとんとしている。
「彼女にぶつかったんだぞ?
で、言う事は?」
「あ、すみません」
俺の言葉に、酔ったヤツは自分がぶつかったことをやっと気がついて慌てて彼女に謝った。
それを他の友人が面白そうにみている。
「いやー、藤原ってやっぱ教師なんだなぁ」
「こんなので実感しないでくれよ」
苦笑いすると、さっきの女達が近寄ってきた。
「ありがとうございます」
「転ばなくて良かった」
今度は立っているので二人に見上げられているが、何だか急にウーェーブヘアの目が獲物を狩る目になっている気がする。
なんでだ?
のらりくらりと二人の会話に答えていたが、さっきの男達が二人に声をかけ、彼女たちもそちらと話しをし出したので、俺はこっそりと盛り上がっている部屋を出た。
レストランから外に出ると誰もいない絨毯の敷かれた通路を少し歩き、人の居ない場所で都会の夜景を映し出す大きな窓にもたれて、スマートフォンをジーンズのポケットから取り出す。
中身を見て、来ているのは差し障りのないメールだけで緊急の案件が無い事を確認した。
急に呼び出される場合もあるが、緊急時は基本先に誠太郎が動いている。
だからこそ、俺が呼び出される時は絶対にでなければならない。
東京は陰陽師の人数だけならそれなりにいるが、能力別で考えれば、大きな仕事を任せられる人数は限られていてる。
俺自身は立場上、国を表で司っている人間達と会う必要もあるため本来現場に出る回数は少なくすべきなのだろうが、現実問題としてそうはいかない。
まともに眠れない日なんてざらだ。
そもそも深く眠った記憶なんて思い出せなかった。
だけど今は、唯一深く眠ることが出来る月曜日のあの一時間が、俺にとっては大切な時間になっている。
ふと再度メールの受信欄を眺める。
当然だが、東雲からメールなんて来ていない。
そもそも滅多にしないのに、今日はなんとなくしてみたくなった。
合コンに出ているといったらどう反応するか、ようは知りたかったのだ。
『勉強はかどってるか?』
それだけ送ってみた。
まだあのクラスはテストが残っていたはず。
本来教師が生徒に、それも試験中にメールを送るなんて御法度なんだろうが、うちの学園で俺の立場は特殊なので、学園側から誰も俺に注意することはない。
そもそも教師をしている時は立場を使うことはあまり無いが、どうしても東雲に関することになると、それくらい良いじゃないかと自分の規律を緩めてしまっているのは自覚しているが。
返信は早々には来ないだろうと思ったらすぐに来た。
『はかどってないよ!そっちはまだ仕事?』
むっとしながら怒っている顔と、すぐに俺を心配する顔が浮かび、自然と口元が緩む。
そして、例の一文を送ってみた。
「いや、合コン中」
さて、どう返ってくるだろう。
画面を見ていたらすぐに返ってきた。
そして開いてみればそこにはたった2文字しか無かった。
『不潔』
たったそれだけの漢字なのに、もの凄く軽蔑の眼差しが含まれているのが痛いほど伝わって、思わず顔に手をあてた。
しまった、逆効果だったのか。
考えて見れば、どう反応して欲しかったのだろうか。
少なくともたかが合コンでこんなにも軽蔑されるとは思わなかった。
どう返信すべきか腕を組んで考えていたら、人が近づいてくる。
目線をゆっくりとそちらに向ければ、例の黒髪の女だった。
「誰かにメールですか?」
にっこりと微笑みながら声をかけてきた。
ここの場所はトイレに行く道でもない。
俺を探してわざわざ近づいてきたのはさすがにわかる。
「そろそろ二次会の場所決めでもしてるんじゃないですか?」
「もしかして彼女がいらしたんですか?」
わかりやすいほど別の話題を振ったというのに、そのまま続けるのは凄いなと、また感心してしまった。
しかし、これ以上居心地の悪い気をまとう女につきまとわれるのも面倒だ。
「いえ、難攻不落の城に文を送ってみたんですが、けんもほろろでしてね。
どうしようかと思案していたところで」
少しだけ笑ってそう答える。
美しい笑みを浮かべるだけで異様な迫力を醸しだし、相手を潰せるのは誠太郎だが、あいにく俺にはそういう能力は無い。
すると目の前の女は目を丸くした後、少し首をかしげながら微笑んだ。
「そんな面倒なことをされるより、身近に目を向けてみられては?」
「・・・・・・それじゃぁ面白くないんですよ」
ゆっくりと言葉を発しながら、薄く笑みを浮かべれば、相手の笑顔が引きつったのがわかった。
「自分が良いと思う女を落とせる男の方が・・・・・・良いでしょう?」
少しだけ眼を細めて相手を見れば、目を見開いてびくり、と一瞬身体を震わせた。
「・・・・・・そろそろ戻られたほうが良いんじゃないですか?」
「あ・・・・・・そう、ですね」
何故か相手は急に顔を真っ赤にして、踵を返すと足早に去っていった。
「まぁ落とすわけにも落とせもしないんだけどな」
ぼそりと呟き、再度スマートフォンに浮かび上がる厳しい二文字を見る。
「この場合の次の手ってどうすりゃいいんだよ」
自分で盤面を難しくしておいて、自分で詰むという馬鹿をやって頭を抱えた。
あの後悩みに悩んで、友人に必死に頼まれて嫌々参加している、という思い切り自己保身の返信を返した。
こんな内容しか思いつかないなんて、なんて情けない。
また厳しい言葉が返ってくるのも恐ろしいので返事を待たず、ポケットにスマートフォンを突っ込むと、あの賑やかな部屋に足を向けた。
明日も仕事だからと二次会は断って幹事に参加費を支払い、その場を離れようとした。
「あの」
さっきの黒髪の女が小走りに寄ってきたかと思うと、恥ずかしそうな顔をして何か無理矢理俺の手に握らせ一つ微笑むと戻っていった。
手を広げて見てみれば会社の名刺。
裏にはご丁寧にプライベートの連絡先まで書いてあった。
俺は仕方なくそれをポケットに突っ込み、その場を後にした。
タクシーに乗り自宅に帰る途中、スマートフォンが震え、手にとって確認すれば相手は東雲。
今度はなんて返ってくるのやら。
怖々中を見てみた。
『そっか、お仕事忙しいのに大変だね。
疲れちゃうだろうから、あまり遅くならずに帰るように』
思わず口に手を当てる。
まずい、にやけている。
そして不純な動機で試すようにメールをした俺に、純粋に心配をされたことに少しだけ心が痛む。
送らなければ良かったと後悔する気持ちと、送ったからこそこういう返信が来た事への嬉しさに複雑な心境になった。
ようはただやりとりした事すら嬉しさを感じてしまった自分に気がつき、異様に恥ずかしくなる。
中学生か何かか俺は。
考えて見たら、俺よりも遙か前から誠太郎と東雲は連絡先を交換していたわけで、それでたわいもないことを二人でやりとりしていたのかと思うと、妙に腹が立ってきた。
誠太郎は月曜日いつも菓子を持ってくるが、気がつけば必ずあいつのリクエストを聞いてそれを作ってくるようになっていた。
餌付けはとっくに誠太郎がしてしまっている。
何かもう少し、こちらに意識を向けさせるようなことをしたい。
考えて見ればもう少しでクリスマス。
見事にクリスマス含め、夜も週末も全て二種類の仕事で埋まっている。
クリスマスプレゼントという手もあるが、急にプレゼントを贈るというのも不自然だ。
というか、付き合ってもいないのだから、特に理由もなくモノなんて贈れない。
でもそんな子供じみた馬鹿な事を悩んでいるのがなんだか心地良い。
「さて、どうするかな」
返信内容を考えながら、合コンに出て良かったかもしれないと、俺は初めて思った。
12月に入り、気がつけば今年も残りわずか。
テストも一段落し、後は年末の大イベントであるクリスマスについてクラス内では盛り上がりが起きていた。
既にこのクラスでも彼氏が出来た、彼女が出来たという話題はそれなりに耳にして、既に落選モードの生徒や全く興味のない生徒など、結局の所クリスマスはどう過ごすか、という事についての話題が絶えなかった。
「クリスマスかー」
私のぼんやりとした呟きに、一緒に昼ご飯を食べていた実咲と塔子が顔を見合わせる。
「彼氏が欲しかったの?」
「いや、別に欲しいわけじゃ・・・・・・」
実咲の言葉に私は少し口ごもりながら答える。
私が藤原と過ごすことはありえない。
きっとクリスマスは婚約者と一緒に過ごすんだろなと考えて、ここの所凹んでいた。
「私は面倒だからいらない。
家族と過ごすからそれで十分」
塔子はきっぱりそう言うと、実咲が苦笑いを浮かべた。
「うーん、私は、欲しいけどまだいいかなぁ」
「えっ、誰か好きな人いるの?!」
少し遠い目をした実咲に私は思い切り驚く。
誰か好きな人が居るなんて気がついていなかった。
「あーいや、憧れている人はいるけど、好きというのではないかなぁ。
それとは別に、やっぱり恋人と過ごすクリスマス自体に憧れがあるというか」
恥ずかしそうにする実咲に、なんだかきゅんとする。
実咲は空手部でもかなり強いと言うけれど、実は可愛いものが好きだったり、乙女なとこは私達三人の中で一番かも知れない。
「とりあえず、いつも通りのクリスマスになりそうだよね」
私の諦めに似た声に、三人で顔を見合わせて笑うと昼ご飯を再開した。
「ゆいちゃん」
図書室で本を選んでいたら、にこにこと笑みを浮かばせて加茂君が声をかけてきた。
「加茂君も本を借りるの?」
「ううん、ゆいちゃんを探してたの」
私はその言葉に首をかしげた。
「24日、予定無ければ僕とデートしない?」
「へ?」
私は思わず変な声を出した。
「予定もう入ってる?」
「いや無いけど・・・・・・もしかしてまた何か手伝うとか?」
私の不審そうな目に、加茂君はびっくりしたような顔をして必死に手を振って否定した。
「実はね、24日と25日だけ、とあるカフェで限定デザートが出るんだけど、それがカップル限定なんだ。
東京に来たら絶対一度はそのお店に行ってみたかったんだけど、25日はすぐ実家に戻らないといけないから、もしゆいちゃんの予定が大丈夫なら付き合ってもらえないかなーと」
少し恥ずかしそうに頬をかきながらそういう加茂君に、あぁそういうことなのかと合点がいった。
「でも加茂君なら他の女の子に声かけたら誰でもOKすると思うよ?」
「急に動かないといけない時もあるし、相手の本性がわからないと気が抜けないでしょ?
そんな状態で楽しみにしているデザートを食べたくないよ」
そうか、前回みたいに仕事を頼まれたりすることもあるんだ。
確かに相手の子が陰陽師か普通の子かわからないのでは動きにくいのかも知れない。
「なるほど、私なら気を使わないですむもんね」
「そういう意味じゃなくて、ゆいちゃんなら僕も楽しく過ごせるってこと!」
もう!と可愛く怒る加茂君に、ごめんと笑って返す。
「うん、予定もないし私で良ければ付き合うよ」
「良かった~。
じゃメールで当日の待ち合わせは決めようね!」
じゃーねーと手を振って出て行った加茂君に私も手を振って見送る。
そして振り向いた時、机の並ぶエリアの生徒達と目が合い、一部の女子に睨まれた事に驚き、慌てて奥の本棚に引っ込んだ。
翌日、私は一人、駅前のビルで買い物をしていた。
目的はみんなへのクリスマスプレゼントを買うためだ。
実咲には可愛いタオル、塔子には実用重視で以前気にしていたペンのセットを。
そして問題は加茂君へ何を買うか。
男子にプレゼントを買ったことのない私は、男性物の小物屋さんの前で悩んでいた。
「東雲さん?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには紙袋を持った葛木先生がいた。
「あれ?先生、本屋に行ってたんですか?」
「えぇ、急に必要な資料がありまして」
そういうとかなりの量の本が入った紙袋を先生は少しだけ持ち上げた。
ここのビルは上の階2つが本屋でここの地域では最大の広さがあった。
「それで東雲さんは何を?」
「えっと、プレゼントを選んでまして」
不思議そうな顔をしている先生に、考えて見れば男性の事は男性に聞くのが一番だと思いついた。
「あの、先生まだ時間ありますか?」
「えぇ」
「男子って何をもらうと嬉しいですか?」
「えっ?」
葛木先生が目を丸くした。
「男子ですか?男性ではなく?」
変な確認の仕方に私は首をかしげた。
「あげるのはクラスメイトなので」
「あ、あぁ、なるほど・・・・・。ちなみに何人にですか?」
「一人ですよ?24日に出かけるのでその時に渡そうかと思って」
「24日ってクリスマスイブですか?!」
「え、そうですね?」
なんだろう陰陽師ってクリスマスって忘れるものなんだろうか。
「・・・・・・もしかして相手は加茂君ですか?」
「はい」
私の返事を聞くと、先生は顎に手を当てて考え込んでしまった。
それにしてもさっきから何なのだろう。
「ちなみにどこに出かけるんですか?」
「場所は内緒にされてるのでわからないです」
「内緒なのについていくんですか?!」
急に接近された迫力ある綺麗な顔と声に、私は思わずのけぞる。
もしかして私の知らないところで何か起きているんだろうか。
「もしかしてまた何か起きているんですか?」
私の途惑った声に、先生がはっとした顔をした。
やっぱり何かあるんだ。
「藤原にまた何かあったんですね?」
「い、いえ、無いです、違います!」
私は慌てて否定する先生をじと目で見上げる。
「その、東雲さんがあまりに簡単に彼についていくのが心配に思えまして」
「加茂君は優しいし良い人ですよ?」
私は思わず言い返す。
確かに最初はあんな事もあったけど、今ではとても優しくて素敵な私のクラスメイトだ。
葛木先生でも友達をあまり良いように言わないのは少しカチンときた。
そんな私の態度に、葛木先生が思い切り途惑っている。
「いえ、彼がというより、女子があまり男子の誘いに簡単に乗るとは危険ではと」
「先生だって誘って私、ついていきましたけど」
「私を一緒にされると切ないですね・・・・・・」
「とりあえず、加茂君はただのクラスメイトで大丈夫ですから!」
私はむっとしてお辞儀をすると、先生が必死に声をかけるのを無視してその場を去った。
単に友達と出かけるだけなのに、ふしだらみたいに言われたのも腹が立つ。
私はカフェに入り頭を冷やした後、加茂君へのプレゼント選びを再開した。
「お前、加茂とデートするんだって?それもイブに」
月曜日、珍しくすぐソファーで横にならないと思ったら、そんな事を藤原は言い出した。
「葛木先生がなんて言ったのか知らないけど、放って置いて」
「誠太郎は単にお前を心配しただけだよ」
「相手は加茂君だよ?特に心配することなんて無いよ」
私は机に勉強道具を出す。
「ほら、寝ないの?」
未だにソファに座ったまま、藤原はこちらを見ている。
「相手は男だぞ?」
「相手はクラスメイトです」
私は視線を無視して教科書を開く。
「・・・・・・お前は危機感が足りない」
ため息混じりに言われてカチンときた。
「加茂君凄くモテるんだよ?!
私なんて対象外だから問題ないの!」
もういい加減説教は止めて欲しい。
私は開いてた教科書を閉じ、帰る準備を始めた。
「元気そうだし今日は帰る」
「お、おい?!」
慌てるような声がするけど知るもんか。
私は荷物をまとめて振り返らず部屋を出た。
特に追いかけても来ないし大丈夫だろう。
もう頭に来ている方が大きくて藤原の事なんてどうでも良い。
なんでみんなしてあんな事をいうのか、私にはさっぱりわからなかった。
24日は休日で朝から加茂君と待ち合わせして都心に出かけた。
どこもかしこもクリスマスの飾り付けで、みんなうきうきしている感じが伝わり、私もワクワクする。
「ここだよー」
加茂君に連れられて来たのは都心にある高層の立派なホテルだった。
広いお洒落なエントランスには高級車から外人が降りてきて、ボーイさんが英語を話しながら丁寧に案内している。
入っていく人達は大人ばかり、それも何だかお金持ちの人ばかりに見える。
「あ、あの、ここなの?」
「ここのラウンジカフェの一部が特別仕様になるんだぁ」
「私、場違いだと思うんだけど・・・・・」
「え?そんなことないよ?可愛いよ?」
にっこりと加茂君は笑う。
考えてみたら、今日の加茂君のファッションは前回より少し大人っぽい感じで、薄いグレーのチェスターコート、中はちょっと変わった襟のシャツに濃い紫色のVラインのセーター、濃い紺の細身のジーンズでやはりお洒落で格好いい。
それに対し私の今日の服装は、明るいベージュのシンプルな膝上までのAラインコート、クリスマスだしと少し可愛いワンピースを着てきたけど、どれも安物だ。
「ここ高いんじゃない?
私そんなにお金持ってきてないんだけど」
「僕が払うから気にしないで」
「いや、気にするよ!」
思わず大きな声を出し慌てて周囲を見たら、道行く人がこちらを見ていた。
「とりあえず入ろう?目立っちゃうよ?」
そういうと加茂君は私の手を取り、なれたようにホテルに入った。
なんとホテルのロビーは1階ではなく、遙か上の階と知り、こんなとこに入ったことのない私は、思わずきょろきょろとしてしまう。
そんな私を見て加茂君が笑う。
「どうせ庶民ですよ」
「こういうのはね、男がエスコートするものだから、安心してきょろきょして」
綺麗な顔で微笑まれて思わず視線を背けると、他の大人のお客さん達がにこにことこちらを見ていて恥ずかしくなって俯いた。
「こちらです」
加茂君がカフェの受付で予約していることを伝えると、男性スタッフが笑顔で中に案内する。
案内された席は大きな窓に面した席だった。
二階分までありそうな広い窓にそって、ずらっと二人席が並んでいる。
その大きな窓からは都心が一望できて、夜景もとても美しいだろうと思った。
左右を見れば見事にカップルだらけ。
スタッフさんがコートを預かってくれ、椅子を引いてくれる。
私はドキドキしながら席に座った。
「例のメニューは既に予約してあるんだ。というか予約限定だから」
「そうなんだ、ありがとう。加茂君慣れてるね、こういうとこ」
「あぁ、京都にいた時は結構こういう場所で会合や打ち合わせとか多かったからかなぁ」
「私は初めてでドキドキだよ」
「ゆいちゃんの初めてを貰えるなんて嬉しいなぁ」
加茂君はにっこりと微笑んで、私も釣られて笑った。
しばらくして運ばれてきたのはクリスマス限定のアフタヌーンティーセットだった。
焼きたてのスコーンやサンドイッチの他に、ツリーに見立てた小さなパフェや、星型のチョコレートとかデコレーションも凝っていて、見ているだけでわくわくしてしまう。
それを早速加茂君は写真を撮り始め、私も慌てて撮影した。
「あーやっぱり美味しい-!」
幸せそうに小さなチョコを口に入れ、頬に手を当てて加茂君はうっとりとしている。
なんだかそんな顔を見ているだけでこっちまで嬉しくなる。
「加茂君は美味しそうに食べるよね」
「そう?」
「うん。見てて嬉しくなる」
私の言葉に目を丸くすると、少し照れたように頬を掻いた。
「実家はご飯の時って和気藹々なんだけど、これが加茂家一族の集まりだともう息が苦しくなる感じで、豪華なものが出るけど食べてて味を感じないんだよ。
食べるなら美味しく食べたいよねぇ」
しみじみそう言うと私を見た。
「ゆいちゃんも僕と食べてて美味しい?」
「もちろん!」
私の答えに加茂君は満足そうに微笑むと、二人でわいわいと素敵な景色を眺めながら美味しい食事を堪能した。
食事も終え、ちゃんと自分の分も出そうとしたら、いつの間にか加茂君が会計を済ませていて、私はおろおろとお店の外に出た。
「ねぇ、ちゃんと自分の分出すよ」
「僕が奢るって言ったでしょ?
あのね?そう言われたら男を立てて、ただお礼を言えばいいの。
素敵なレディはこんな場所で男に恥を欠かせてはダメだよ?」
少し私に目線を合わせて、小さな声でそう言うと、ウィンクした。
私は顔が熱くなるのを感じながら頷いた。
「えっと、美味しかったです。ありがとうございました」
ぺこりとお辞儀をすると、加茂君はにっこりと微笑んだ。
何だろう、このスマートさ。
女性慣れしてるっていうのかな、こういうの。
「さて次行こ!」
そういうと加茂君が私の手を取り、最初乗ったエレベーターとは違うところに乗り込むと、今度は降りる。
そこは最初に着いた一階ではなく、途中のフロアだった。
そのまま着いていくと、空中庭園という表示が見えた。
ホテルからの外に出るガラス戸が開くと、そこには広い庭園が広がっていた。
まだそこまで遅い時間では無いけど外はすっかり暗くなっている。
屋上とは思えないほど沢山の植木があり、クリスマスのデコレーションされたイルミネーションが美しく飾られ、周囲には高いフェンスがあるが、外の夜景を望むことが出来る。
中を歩けば至る所にベンチがあり、カップルだらけ。
それもみんな密着して、キスしているカップルを見かけてしまい、私は思わず目をそらした。
「こっちこっち」
ずんずん奥に進む加茂君に私は引っ張られていく。
着いた先のベンチはちょうど植木が周囲にあってまるで秘密基地のように誰もいなかった。
そこに加茂君は座り、私も座ると手が解放された。
「あのね、これ」
なかなか渡すチャンスが無かったけど、もうここしかないと私はずっと持っていた小さな紙袋を加茂君の前に差し出す。
「あんな素敵な食事には釣り合わないけど、よければ使って」
「え?僕に?」
「うん、クリスマスプレゼント」
「開けて良い?」
そういうと、加茂君は紙袋の中のラッピングされた袋を開ける。
出てきたのはシンプルな濃い緑の手袋。
手首の所にイニシャルのKが赤で入っている。
お洒落な加茂君へのプレゼントに悩んだけど、これなら学校行くのに仕えるかなと選んだ品だ。
「これ、もらっていいの?」
「もちろん。加茂君お洒落だからかなり悩んだんだけど、これならいくつか持ってても邪魔にならないかなって」
加茂君はじっとその手袋を見た後、くしゃりと笑った。
ちょっと泣きそうにも見えて私は途惑った。
「ごめん、嫌だった?」
「ううん、とっても気に入ったよ、ありがとう」
「そっか、良かった」
「ごめんね、僕プレゼント買って無くて」
「何言ってるの!こんなとこ連れてきてくれて、美味しいご飯奢ってもらってこっちが申し訳無いくらいだよ!」
加茂君が私にしてくれた事に比べたら、本当に大した事はしていない。
「ゆいちゃんはほんと良い子だなぁ」
優しく微笑まれて、私は思わず俯いた。
元々が凄く格好いいのだから、そんな風に微笑まれると何だか恥ずかしい。
あ、そうだ、という加茂君の声に顔を上げる。
「ゆいちゃん、ちょっと目を閉じててくれる?」
にっこりと微笑まれて、私は不思議に思いながらも、うん、と返して目を閉じた。
また何か陰陽師として仕事でもするのだろうか。
じっとしていたら、頬に手がゆっくり触れたのがわかり、びくりとする。
これは目を閉じてて良いのだろうか。
思わず身体を強ばらせた。
「ストーーーップ!!!」
突然の大きな声に驚いて思わず目を開ける。
そこには加茂君の首根っこを掴んで仁王立ちしている藤原が居た。
髪型がいつもと違うオールバックに黒のロングコート姿で、一瞬誰かわからなかった。
「先生ジャマ」
「邪魔してんだよ」
コートの首元を掴まれたまま、座っている加茂君は真後ろで立っている藤原を見上げてそう言うと、藤原が何だか地面を這うような低い声で返した。
「先生は関係ないでショ?」
「ある」
「デートの邪魔するとか馬に蹴られたら良いのに」
「ほぉ、お前国語不得意だったのに成長したな」
目の前にはむっとした顔で見上げる加茂君に、据わった目で見下ろす藤原。
二人が異様にピリピリしていて、私は訳も分からずおろおろする。
「あの、二人とも」
「ゆいちゃんは黙ってて」「東雲は黙ってろ」
同時に返され私は面食らった。
小声で私には聞こえないけど、二人で顔を近づけて何か言いあっている。
こんなに二人が仲が悪いなんて知らなかった。
まぁあんな事があったからやっぱりしこりは残るんだろうけど。
「と言うことでお前は一人で帰れ」
「ヤダ、ゆいちゃんと帰る」
何でそんな流れになったのかさっぱりわからない。
だけど加茂君はそう返すと、にっこりと私を見た。
「ゆいちゃん、僕と帰るよね?」
「うん」
当然だと思ってそう返した。
だいたい一人で帰るなんて寂しくて嫌だ。
けどそれを聞いて藤原の眉間に思い切り皺が寄っている。
そういえば何で藤原はここにいるんだろう。
ここはホテルなんだからもしかして婚約者とデートしていたんじゃ無いだろうか。
そうか、ここだとお泊まりも出来るわけで。
凄く凹みつつ、答えが怖いけどつい聞いてしまった。
「ねぇ、何で藤原はここにいるの?
デート中なんじゃないの?」
「仕事だ」
無愛想に返された。
てっきりイブだしデートだと思っていたのに。
その答えに内心安堵しつつ、イライラしている藤原に困惑する。
休みの日に仕事で機嫌が悪いんだろうか。
「だったら早く家に帰って休んだ方が良いんじゃない?」
「そーだそーだ」
「黙れ」
私の言葉に加茂君が賛同を表すと、藤原が低い声でぶった切った。
だめだ、かなり機嫌が悪い。
もしかしたら体調が悪いのだろうか。
「もしかして体調良くないの?大丈夫?」
その言葉に藤原は私に軽く視線を向けると、少しため息をついた。
「あぁ、ちょっとな」
「ウソツケー」
「黙れ」
何だろう、この二人。
途惑っていたら隣りに座ってた加茂君がにっこりと笑う。