レストランから外に出ると誰もいない絨毯の敷かれた通路を少し歩き、人の居ない場所で都会の夜景を映し出す大きな窓にもたれて、スマートフォンをジーンズのポケットから取り出す。
中身を見て、来ているのは差し障りのないメールだけで緊急の案件が無い事を確認した。
急に呼び出される場合もあるが、緊急時は基本先に誠太郎が動いている。
だからこそ、俺が呼び出される時は絶対にでなければならない。
東京は陰陽師の人数だけならそれなりにいるが、能力別で考えれば、大きな仕事を任せられる人数は限られていてる。
俺自身は立場上、国を表で司っている人間達と会う必要もあるため本来現場に出る回数は少なくすべきなのだろうが、現実問題としてそうはいかない。
まともに眠れない日なんてざらだ。
そもそも深く眠った記憶なんて思い出せなかった。
だけど今は、唯一深く眠ることが出来る月曜日のあの一時間が、俺にとっては大切な時間になっている。
ふと再度メールの受信欄を眺める。
当然だが、東雲からメールなんて来ていない。
そもそも滅多にしないのに、今日はなんとなくしてみたくなった。
合コンに出ているといったらどう反応するか、ようは知りたかったのだ。
『勉強はかどってるか?』
それだけ送ってみた。
まだあのクラスはテストが残っていたはず。
本来教師が生徒に、それも試験中にメールを送るなんて御法度なんだろうが、うちの学園で俺の立場は特殊なので、学園側から誰も俺に注意することはない。
そもそも教師をしている時は立場を使うことはあまり無いが、どうしても東雲に関することになると、それくらい良いじゃないかと自分の規律を緩めてしまっているのは自覚しているが。
返信は早々には来ないだろうと思ったらすぐに来た。
『はかどってないよ!そっちはまだ仕事?』
むっとしながら怒っている顔と、すぐに俺を心配する顔が浮かび、自然と口元が緩む。
そして、例の一文を送ってみた。
「いや、合コン中」
さて、どう返ってくるだろう。
画面を見ていたらすぐに返ってきた。
そして開いてみればそこにはたった2文字しか無かった。
『不潔』
たったそれだけの漢字なのに、もの凄く軽蔑の眼差しが含まれているのが痛いほど伝わって、思わず顔に手をあてた。
しまった、逆効果だったのか。
考えて見れば、どう反応して欲しかったのだろうか。
少なくともたかが合コンでこんなにも軽蔑されるとは思わなかった。
どう返信すべきか腕を組んで考えていたら、人が近づいてくる。
目線をゆっくりとそちらに向ければ、例の黒髪の女だった。
「誰かにメールですか?」
にっこりと微笑みながら声をかけてきた。
ここの場所はトイレに行く道でもない。
俺を探してわざわざ近づいてきたのはさすがにわかる。
「そろそろ二次会の場所決めでもしてるんじゃないですか?」
「もしかして彼女がいらしたんですか?」
わかりやすいほど別の話題を振ったというのに、そのまま続けるのは凄いなと、また感心してしまった。
しかし、これ以上居心地の悪い気をまとう女につきまとわれるのも面倒だ。
「いえ、難攻不落の城に文を送ってみたんですが、けんもほろろでしてね。
どうしようかと思案していたところで」
少しだけ笑ってそう答える。
美しい笑みを浮かべるだけで異様な迫力を醸しだし、相手を潰せるのは誠太郎だが、あいにく俺にはそういう能力は無い。
すると目の前の女は目を丸くした後、少し首をかしげながら微笑んだ。
「そんな面倒なことをされるより、身近に目を向けてみられては?」
「・・・・・・それじゃぁ面白くないんですよ」
ゆっくりと言葉を発しながら、薄く笑みを浮かべれば、相手の笑顔が引きつったのがわかった。
「自分が良いと思う女を落とせる男の方が・・・・・・良いでしょう?」
少しだけ眼を細めて相手を見れば、目を見開いてびくり、と一瞬身体を震わせた。
「・・・・・・そろそろ戻られたほうが良いんじゃないですか?」
「あ・・・・・・そう、ですね」
何故か相手は急に顔を真っ赤にして、踵を返すと足早に去っていった。
「まぁ落とすわけにも落とせもしないんだけどな」
ぼそりと呟き、再度スマートフォンに浮かび上がる厳しい二文字を見る。
「この場合の次の手ってどうすりゃいいんだよ」
自分で盤面を難しくしておいて、自分で詰むという馬鹿をやって頭を抱えた。
あの後悩みに悩んで、友人に必死に頼まれて嫌々参加している、という思い切り自己保身の返信を返した。
こんな内容しか思いつかないなんて、なんて情けない。
また厳しい言葉が返ってくるのも恐ろしいので返事を待たず、ポケットにスマートフォンを突っ込むと、あの賑やかな部屋に足を向けた。
明日も仕事だからと二次会は断って幹事に参加費を支払い、その場を離れようとした。
「あの」
さっきの黒髪の女が小走りに寄ってきたかと思うと、恥ずかしそうな顔をして何か無理矢理俺の手に握らせ一つ微笑むと戻っていった。
手を広げて見てみれば会社の名刺。
裏にはご丁寧にプライベートの連絡先まで書いてあった。
俺は仕方なくそれをポケットに突っ込み、その場を後にした。
タクシーに乗り自宅に帰る途中、スマートフォンが震え、手にとって確認すれば相手は東雲。
今度はなんて返ってくるのやら。
怖々中を見てみた。
『そっか、お仕事忙しいのに大変だね。
疲れちゃうだろうから、あまり遅くならずに帰るように』
思わず口に手を当てる。
まずい、にやけている。
そして不純な動機で試すようにメールをした俺に、純粋に心配をされたことに少しだけ心が痛む。
送らなければ良かったと後悔する気持ちと、送ったからこそこういう返信が来た事への嬉しさに複雑な心境になった。
ようはただやりとりした事すら嬉しさを感じてしまった自分に気がつき、異様に恥ずかしくなる。
中学生か何かか俺は。
考えて見たら、俺よりも遙か前から誠太郎と東雲は連絡先を交換していたわけで、それでたわいもないことを二人でやりとりしていたのかと思うと、妙に腹が立ってきた。
誠太郎は月曜日いつも菓子を持ってくるが、気がつけば必ずあいつのリクエストを聞いてそれを作ってくるようになっていた。
餌付けはとっくに誠太郎がしてしまっている。
何かもう少し、こちらに意識を向けさせるようなことをしたい。
考えて見ればもう少しでクリスマス。
見事にクリスマス含め、夜も週末も全て二種類の仕事で埋まっている。
クリスマスプレゼントという手もあるが、急にプレゼントを贈るというのも不自然だ。
というか、付き合ってもいないのだから、特に理由もなくモノなんて贈れない。
でもそんな子供じみた馬鹿な事を悩んでいるのがなんだか心地良い。
「さて、どうするかな」
返信内容を考えながら、合コンに出て良かったかもしれないと、俺は初めて思った。