文化祭当日。

朝から目の回るような忙しさだった。

それが昼を過ぎてもむしろ悪化するほどで、笑顔を振りまく加茂君も、頬が痛いと嘆きだしていた。




「まさかこんなに人がくるなんて!」


「なんでメイド減ってるの?!」


「部の出し物とかで急に出払ったんだよ!」


お菓子は前もって用意していたおかげで、裏方のスタッフは最低限で動けたのに対し、メイドの方が他の用事でいなくなる自体が多発し、クラスでは混乱が起きていた。


裏でばたばたと紅茶を準備していたら、加茂君が飛び込んできた。


「ゆいちゃんヘルプ!メイド担当して!さばききれない!」


「えっ?!」


「これ洋服ね!

僕の趣味で見繕った品だけど一応持ってきておいて良かった-!

じゃぁ用意出来たら接客担当してね!」


そういって紙袋を強引に私に渡すと、ウィンクして急いでフロアに戻ってしまった。


裏方のみんながフロア手伝ってあげてというので、私は仕方なく紙袋をもって教室を出た。

確かに教室前には大行列が出来ている。

女性もかなりいるのだが、これはおそらく加茂君の影響が大なんじゃないだろうか。


さて、着替えようと思ったら、どこも色々な事で仕えず悩んでいたら、とある場所を思いだした。






「失礼しまーす」


なれた英語教師室。

入ってみたら藤原はいない。


「ま、手早くすればいいか」


私は部屋に内側から鍵をかけると、紙袋から洋服を取り出す。

広げてみて私は固まった。


「・・・・・・」


これ、他のみんなとはあまりに衣装が違う気がする。

なんというか、セクシーな感じがするのだ。

スカートもかなり短い。

固まっていたが、教室では沢山お客さんが並んでいるのを思いだし、私は覚悟を決めて着替えだした。


「これで良いのかな・・・・・・」


きっちり用意されていたものを着て、窓の前に立ってみる。

部屋に鏡が無いのと、どうせここは階も高いので窓に映る姿で確認した。

窓なので上半身くらいしかチェック出来ないけれど。

それにしても、初めて履く黒のニーハイソックスと、ふわふわと広がる短いスカートに落ち着かない。

白のブラウスの胸元はそこだけ生地が違い、その胸の下にギャザーがあって、胸の形が強調されている。

両手首にはシュシュのようなリボンがセットされていて、髪の毛にはフリルのカチューシャ。

どうみても見事なくらい、ただのコスプレメイドにしか見えなかった。

藤原があんな事を言ったのも頷けてしまう。


「私も可愛かったら良かったのに」


こういう可愛い服が似合う可愛い子だったら、どんなに良かっただろう。

そうしたら、藤原も少しはどきりとしてくれるかも知れない。

私はため息をつきつつ、紙袋に制服を詰めようとかがんだ。





ガチャ。


ドアのカギが開くと同時に、勢いよくドアが開いた。

私はその音に慌てて振り向く。

そこには鍵を持って呆然と立っている藤原が居た。


「「・・・・・・」」


目を見開いて固まっている相手を見て、ぼん!と顔に熱が上がった。


「あ、いや、急に頼まれて。

あ、ごめん、着替えるとこなくて・・・・・・」


混乱しながら一気に話す。

でも藤原は無言で入り口に立ったままだった。


急に廊下から男子達の騒がしい声がこの部屋の方に近づいているのに気がつき、私は思わず藤原の背後に視線を向ける。

すると藤原は一歩中に入り、後ろ手でドアを閉めてしまった。

突然部屋に二人きりになり、私の足ががくがくと震えてくる。

もう恥ずかしくて死にそうだ。

だってこんな姿、きっと何か言われるに違いない。

恥ずかしいし、馬鹿にされる前に一刻も早くこの部屋から出なきゃと、どんどん焦ってくる。





「じゃ、じゃぁ」


慌てて残りの荷物を紙袋につめて、急ぎ足で部屋を出ようとした。


「おい」


ドアの前に居る藤原を無視してそろっとドアに手を伸ばしたら、真横から声がした。

私がおどおどと見上げると、何故か藤原が笑みを浮かべている。

私はその意図が読めずに途惑っていると、おもむろにポケットからスマートフォンを取り出した。


「一枚写真撮ってやる」


「はぁぁああああ???」


「誠太郎に見せてやるよ」


「や、やだよ!無理!!」


なんでここで葛木先生が出てくるのか。

そもそも何で撮影しないといけないのか。

第一そんなもの見せられたって先生だって困ると思うし、恥ずかしい。


「良いのか?誠太郎はお前の依頼を受けて、その出し物を成功させるために、わざわざ夜遅くまでお前のクラスで作れそうなレシピ考えて、手ほどきしたんだぞ?

おかげで誠太郎は菓子作り上手いってどこのクラスからも依頼されて、そのせいで教師の仕事が終わらなくなって何日も残業してたんだぞ?

良いのか?自分が頼んだものがこんなにもきちんとやれてますって報告しなくて」


真面目な顔で切々と言われ、私の頭の中がぐるぐるする。

確かに、私がお願いした以上の事を丁寧にしてもらったし、そのせいで他のクラスにも引っ張りだこだったし、それで教師の仕事を残業させていたなんて、どう考えても私のせいだ。 

きっと陰陽師の仕事にも影響しただろう。

どうしよう、私の我が儘で先生にとても迷惑をかけてしまった。

それは確かにちゃんと先生に報告しないといけない気がする。


「・・・・・・えっと、どうすれば葛木先生に良い報告できる?」


「だから写真撮ってやるって」


「や、でも」


「きっと俺だけ見たっていうと、私も東雲さんの頑張ってる姿が見たかった、とか言うぞ?

良いのか?あいつを除け者にして」


真顔でそう言われ、なんだか写真を見せないと先生に凄く失礼な気がしてしまった。


「じゃ、じゃあ一枚だけ・・・・・・」


私は抵抗を諦めがくりと項垂れると、足取りも重く部屋の奥に行き紙袋を下ろし、おずおずと藤原に向かい合うように立つ。

正直、どんな感じで立てば良いのかさっぱりわからない。


「ほら、笑顔笑顔」


「無理!恥ずかしい!」


恥ずかしさで自分の顔が熱くなっているのがわかる。

あーもう、間違いなく私をからかって遊んでいるんだ、藤原のヤツは。

どうせ子供の私じゃ、何にもひっかからないでしょうよ!

悔しくて少し上目使いで睨みながら藤原の方を見たら、パシャパシャパシャと凄い勢いで音がした。


「い、一枚だけでは?」


「あー連写になってたな」


特に興味なさそうにスマートフォンを確認した藤原の態度に腹が立つ。


「じゃぁ一番まともな写真だけ先生に見せてよね!

私もう行かないと!」


恥ずかしさと腹立たしさで早く部屋を出ようと下に置いてあった荷物を取り、それを持って勢いよく振り向いたその時、何か服にぐい、と引っかかった感じがしたと同時にビリビリビリ!という音がした。


「・・・・・・」


背中に違和感がある。涼しい。

すると、ひょい、と藤原が私の背中に回った。


「背中、破けてるけどいいのか?ガムテ貸すか?」


私の背中が見えててもそういう反応なんだ・・・・・・。

怒りと羞恥心が怒濤のように押し寄せ、身体がわなわなと震えてきた。


「あー!もう着替える!

着替えるから藤原は外で門番やっててよ!」


ガムテを既に手に持ってきょとんとした顔をしている藤原の背中をぐいぐいと押しながら外に思い切り押し出すと、私はドアを勢いよく閉めた。


「もう帰りたい・・・・・・」


私は両手で顔を隠し、泣きそうになりながら呟いた。








急いで着替え終わると、出てきた私を不思議そうな顔で見た藤原に思い切りあっかんべーをして、ダッシュで教室に戻り、制服のままで戻ってきた私に驚いている加茂くんに接客出来ない事をとりあえず謝って裏方の仕事を再開した。



「ごめんね、実は借りた洋服破けちゃったの」


文化祭も終わり、その片付けをしだして一段落つくと、私は加茂君の側に行って紙袋を渡した。


「え?どこが破けたの?」


「背中のとこ。かなりビリビリと」


私は紙袋から出して破けた部分を加茂君に見せた。

だが加茂君はじっとそれを見て黙っていたが、やがて口を開いた。


「これ、どこで破いたの?」


「英語教師室借りててそこで」


「一人だったの?」


「最初は一人で着替えてて、着替え終わってからちょうど藤原が来たんだけど、私が部屋を出ようと動いた時、後ろにあった棚の何かにひっかけちゃったみたいで」


加茂君はメイド服を手にとって、じっと切れた部分を見ていたかと思うと、へーふーん、そっかあ~と独り言を言い出した。


「あの、弁償するよ、やっぱり高い?」


不安げに聞いた私に、加茂君が笑顔で答えた。


「大丈夫大丈夫。

弁償は藤原先生にお願いするから」


「え?なんで?」


「んー?管理責任?」


首をかしげながら可愛くいう加茂君に、私も首をかしげた。







後日の月曜日。




「葛木先生」


いつもの藤原睡眠タイムを横目に、私はお菓子をテーブルに用意し始めた葛木先生に近づき小さな声で声をかけた。

それを先生が不思議そうにしながら顔を近づけてくれる。


「あの、文化祭の写真なんですけど」


「はい」


「私の、その・・・・・・・メイド姿の写真なんですが」


「え?」


素で驚いた声に私が驚いた。


「あれ?藤原から送られてませんか?

なんか文化祭が葛木先生のおかげできちんと出来た証に見せた方が良いとかなんとか言って写真撮られたんですけど・・・・・・」


戸惑いながら説明すると、先生は少し考えたような顔をした後、あぁ!と小さく手を打った。


「はい、思い出しました。

私も手伝ったかいがありました」


にこにこと返されて私はホッとした。


「先生が色々教えてくれたお菓子がお客さんにとても好評でだったんです。

おかげで喫茶も大盛況でした。

それと、先生にはとっても迷惑かけてしまってすみません。

私の写真でお礼になるとは思わないですけど・・・・・・」


ありがとうございました、と頭を下げると、ふわ、と突然頭を撫でられ、葛木先生の綺麗な顔がすぐ側にあり、私の心臓がばくんとした。

なんだかんだ言ったって、好きだった人。

こんな事をされると凄く恥ずかしい。


「いえいえ、かなり忙しいようでしたし。

頑張りましたね」


ふわふわと撫でられ、自分の顔がふにゃりと崩れるのがわかった。


すると突然、バサッ!という大きな音が背後からして、私は、ひゃ!という声をあげて振り向いた。

そこにはソファーからブランケットを蹴っ飛ばし上半身を起こした藤原が、ぼーっとした顔でこちらを見ていた。


「えっと、まだ1時間経ってないよ?」


戸惑い気味に言うと、隣の葛木先生が私に顔を背けている。


「もう少し寝てたら?」


「・・・・・・喉が乾いた」


睨んでいるかのような半目で藤原がそう言うと、隣の葛木先生が立ち上がろうとした。


「東雲、紅茶」


単語だけぶっきらぼうに呟いた藤原を、私はぽかんと見た。

何故か葛木先生は私に顔を背けたまま、身体を丸めて肩を震わせている。

そして未だ無言でぼーっとこちらを見ている藤原に、私はため息をついた。

まるで母親にお茶でもお願いしているかのようだ。

でも、こういう風に藤原が我が儘を言うのが私に安心しきっている証拠に思えて、私は少しだけ笑みを浮かべてしまう。


「はいはい。

用意してあげるからもう少し横になってなさい」


お茶を用意しようと立ち上がると、未だ葛木先生は口に手を当て肩を震わせている。

私はその理由に首をかしげた。

葛木先生が笑った理由を私が知ったのは、ずっとずっと先のこと。




文化祭というかこういう大きなイベントは、教師にとっては余計な仕事が増えて、日常業務にかなりの支障をきたす。

だが、生徒達のわくわく感を感じるのはやはり良い。

邪気は、楽しい、嬉しい、幸せという『陽』の感情に非常に弱い。

だが『陽』がある以上それと対をなす『陰』も必ず存在する。

それは踏まえた上で行動しないといけないのは、普通の教師では無いところかも知れない。







「藤原先生!」


廊下を歩いていたら、背後から女子生徒達がそわそわしながら声をかけてきた。


「どうした?」


「あの、今葛木先生に文化祭用のお菓子作り教えてもらってて、これ出来たばかりのなんですが味見してもらえませんか?」


そういうと、一人の生徒が可愛くラッピングされた小さな袋を差し出した。


「へー、じゃぁ一つもらう」


それを受け取り袋についたリボンをほどくと、中にはハートのクッキーが何枚も入っている。

一つ取って口に入れようとしたら、生徒達が俺を囲みながらきらきらした目で見上げている。


『食いにくい・・・・・・』


苦笑いが浮かびつつ口に入れた。


「お、美味いぞ」


「ホントですか?!」


「世辞なしに美味い」


生徒達は手を取り合ってきゃーきゃーと喜んでいる。

誠太郎の手ほどきも良いのだろうが、生徒達が頑張って作った品だというのが伝わり笑みが浮かぶ。


「残りはおやつにして下さい!」


「サンキュ。頑張れよ」


嬉しそうに帰って行く生徒達を見てから、さて行くかと進もうとしたら、教室のドアから男子共が不服そうな顔をして出てきた。


「藤原だけずるいだろ」


「役得だ。諦めろ」


「ひでぇ」


こういう年齢の女子への屈折した思いは見てて面白い。


「残りいらないなら俺らにくれない?」


「やらん。

欲しいなら直接女子に下さいって言いに行けば良いだろ」


「それが出来るならやってるって!」


「まぁそうだろうな」


ほんとこいつら可愛いな。

肩を落としながら男子共はぶつぶつと文句を言っている。


「藤原といい、葛木先生といい、二人がいるから俺らへの配分が減るんだよ。

加茂ってハーフまで増えて余計に配分減ったしさ」


「人のせいにすんな。

それに女子はそんなに外見とか気にしないぞ?」


「うわぁ、イケメンに言われるとマジでムカツク」


今度は全員から殺意溢れる目で見られる。

本当の事なんだがまぁまだ無理か。


「とりあえず頑張れ」


手をひらひら振ってその場を離れる。

さっきの女子達が『陽』とすれば、さっきの男子達が『陰』だろう。

別にどちらが良い悪いというものではない。

あって当然のもので、むしろそういうのがない方がおかしい。

ここの生徒達は特殊な条件下で選ばれているものが多いせいもあるが、素直な感情の生徒も多くて見ていて純粋に可愛いし面白い。

出来ればこの心を持ったまま成長して欲しいと、自分を省みて思ってしまった。





文化祭当日、早朝から出勤し対応に追われる。

この学園が特殊ゆえ、こんなにも不特定の外部の人間が入ってくる場合は、不審者対策の意味が違ってくるのだ。

通常清められている学園内もどうしても気が濁る。

それを学園の陰陽師達がチームになり、結界の補修、浄化の追加、不審な人間や式などが居ないか監視する。

なので外部の陰陽師達も加勢に来るので指示を行わなくてはいけないが、そういうのは全て誠太郎に任せていた。

一通り自分の仕事を終え、休憩がてらいつもの自室に戻ろうとドアを開けようとした。



開かない。

ここはあまり人が来ない場所だけあって、文化祭で盛り上がった男女が時々入り込むこともあった。

現にドアに少しだけある磨りガラスには、人影のようなものが映っている。

まぁ脅かしてやろう。

俺は鍵を挿し、鍵を開けたと同時に勢いよくスライドのドアを開けた。


「「・・・・・・」」


そこには何故かメイドが居た。

ちょうど、前屈みにしている姿を真後ろから目撃した。

まっ白な太ももに長い黒のソックスが少し食い込んでいるのが、短いひらひらしたスカートの下からしっかり見える。

そのメイドはドアの開く音に気づいたのか勢いよく上半身を起こし、こちらを見て呆然とした後、しどろもどろに話し出した。


「あ、いや、急に頼まれて。

あ、ごめん、着替えるとこなくて・・・・・・」


こっちはドアに立っているというのに、少し離れた東雲の顔がみるみる真っ赤になっていくのが手に取るようにわかる。

もじもじと立っているせいか、その度にスカートがひらひら揺れる。


しかし、なんであんなにスカートが短いんだ?

そして、何であんな胸が強調した作りになってるんだ?

確かに平均より胸はあると思っていたが、単に余計に目立たせてるだけだろう。


ふと、背後から男子共の騒ぐ声がこちらに近づいているのがわかった。

一歩中に入って後ろ手でドアを閉める。

こんなのを男子が見たら、今夜のオカズが転がってたラッキーくらいに思われるのがオチだ。



「じゃ、じゃぁ」


急いで荷物を持って部屋を出て行こうとするこのメイドをどうすべきか。

まぁとりあえず。


「おい」


俺の声にびくりとして、わかりやすいほどおろおろして見上げている東雲が面白い。


「一枚写真撮ってやる」


「はぁぁああああ???」


「誠太郎に見せてやるよ」


「や、やだよ!無理!!」


何でこれから全身さらしに行く癖に写真一枚撮るのを困惑するのか。

まぁ、こいつが押しに弱いのは十分にわかっている。


「良いのか?誠太郎はお前の依頼を受けて、その出し物を成功させるために、わざわざ夜遅くまでお前のクラスで作れそうなレシピ考えて、手ほどきしたんだぞ?

おかげで誠太郎は菓子作り上手いってどこのクラスからも依頼されて、そのせいで教師の仕事が終わらなくなって何日も残業してたんだぞ?

良いのか?自分が頼んだものがこんなにもきちんとやれてますって報告しなくて」


自分でも驚くほどにすらすらと出てきた。

そしてわかりやすいほど、目の前にいるやつの目がぐるぐるとしている。

こいつの性格上、こう言われたら責任を感じて逃げられない。


「・・・・・・えっと、どうすれば葛木先生に良い報告できる?」


「だから写真撮ってやるって」


「や、でも」


ふむ、これはもう一押しだな。


「きっと俺だけ見たっていうと、私も東雲さんの頑張ってる姿が見たかった、とか言うぞ?

良いのか?あいつを除け者にして」


その言葉に、東雲の顔がうっ、となる。


「じゃ、じゃあ一枚だけ・・・・・・」




落ちた。



誠太郎を使って最後の一押しをしたのは正直面白くないが、まぁこれが一番効果がある。

しかしこんなに簡単に押し切られるようでこいつ大丈夫なんだろうか、自分でやっておいて何だが。




東雲は何だか諦めたように、とぼとぼと部屋の奥に進んでいる。

こちらに背中を向けている間にスマートフォンの撮影モードを連写機能に変更した。

一枚で逃げられる前に、何枚も有無も言わせず撮っておく方が良いだろう。

東雲は荷物をおくと、居心地悪そうに身体をもじもじとして目線もこちらに向けない。

いつもの勢いなんて微塵もないな。


「ほら、笑顔笑顔」


「無理!恥ずかしい!」


声をかけると、もう耳まで真っ赤になっている。

そして涙目で上目遣いにこちらを見た。

反射的にカメラのボタンを押す。


こいつ、わざとこんな顔してるんじゃないよな?


そんな事できるほど器用なやつじゃないのはわかってるんだが、自分がどんな顔で男の前に立っているかなんて想像も出来ないんだろう。


「い、一枚だけでは?」


「あー連写になってたな」


困惑しているメイドを前に、さも、たまたまのように返すと、いつものように頬を膨らませている。

ほんと、柔らかい白い餅がふくれたようだ。


「じゃぁ一番まともな写真だけ先生に見せてよね!

私もう行かないと!」


急いで立ち去ろうと、東雲が怒りなのか羞恥心からなのかわからない声を出した。

馬鹿だな、そのまま行かせるわけないだろう、こんな服着てるってのに。

本来私利私欲の為に術を使うのはタブーだが、これはこいつの身を案じてなので問題ない。

そっと小さく口を動かし小さな子鬼の式を動かす。

すぐそこで振り向けば、棚に置いてある道具に服がひっかかるようにさせた。

もちろんケガをしないように注意して。


そして東雲が部屋を出ようと振り向いた途端、部屋にビリビリビリという見事な音が響く。

まずい、予想より破けたかもしれん。

俺は、その場で固まっている東雲の背後に即座にまわる。

案の定予想よりメイド服の背中あたりが縦に勢いよく破けて、白い肌にピンクのブラのホックが丸見えだった。


そうか、ピンクか。


「背中、破けてるけどいいのか?ガムテ貸すか?」


ちょうど目の前の棚にガムテもある。

一応手に取ってみた。

絶対にこいつがこんな姿で外に出る事なんてありえないのはわかっているが。

横にいる東雲を見れば、俯いて震えている。

この震えは寒いからじゃないな、マジで怒ってる。


「あー!もう着替える!

着替えるから藤原は外で門番やっててよ!」


顔を真っ赤にしたメイドに、もの凄い勢いでドアの外に押し出され、バン!とスライドのドアが閉まった。


多分今頃半泣きで制服に着替えているんだろう。

その原因を作ったのが自分なんだが、思わず笑いそうになる。


しかし、あいつがメイドになるとあんな風になるのか。

可愛いというより、完全に性的な目で見られるタイプのメイドじゃないか。

つくづく飢えた狼の中に放たなくて良かった。

まぁ、写真はその人助けの報酬だな。

もちろん誠太郎になんぞに見せる気は微塵もないが。



ドアの横で壁に寄りかかり持ってたガムテを手持ちぶさたにくるくる回していたら、ドアが勢いよく開いた。

制服姿になった東雲は俺の顔をまだ赤みの引いてない顔で睨むと、思い切りあかんべーをしてダッシュで逃げた。


俺は思わず顔に手を当てる。

何も計算せずにやるんだからタチが悪い。

でも、面白い写真が撮れただろう。

口の端が上がるのを自覚しながら、部屋に入った。






「ふーじわーら、センセ!」


文化祭から数日後、加茂が両手を後ろに回し、スキップでもしそうな感じで話しかけてきた。


「なんだ?」


「ゆいちゃんに貸した服の事なんですけどぉ-」


にこにこと加茂は笑みを浮かべている。

こいつか、あの元凶は。


「可愛かったデショ?」


おい、何でお前が自慢げに話すんだ。


「まさか破かれるとは思わなかったけど・・・・・・やーらしー」


にやにやと見てくる加茂を見てため息をつく。

そうか、あれはこいつなりの意趣返しだったか。


「俺は何も知らんが?」


素っ気なく返すと、少しきょとんとした後、くすり、と加茂は小さな笑みを浮かべた。

今の笑い方、相当に黒いぞ。


「思ったより先生にダメージあったみたいだから、まぁ服の弁償は勘弁してあげる」


今度はさっきとは打って変わり、無邪気に加茂は笑った。

そしてくるりと背中を向けた後、少しこちらを肩越しに振り向いた。


「あ、僕、ゆいちゃんの事、好きだから」


んじゃ!と言って、スキップして加茂は去っていった。


「・・・・・・良いねぇ、若いって」


そういう風に簡単に気持ちを言える加茂を少し羨ましく思える。

でもあれはおそらく俺をからかうのが目的で本心では無さそうだ、多分。

俺は頭をがりがりと掻くと、本来の目的地に足を向けた。









文化祭が終わって最初の月曜日の放課後、何故か東雲は複雑そうな顔で部屋に入ってきた。

まぁ加茂が服の破けた真相など話すわけもないので、おそらく写真を撮ったことを根に持っているんだろう。

特に気にもせず、いつものようにソファーで休息を取っていた。





夢の中で、何故か東雲がへらへらと笑っている。

それはもう思い切り嬉しそうに。

そしてその目の前にいたのは誠太郎だった。

見たことも無いほど愛おしそうに東雲の頭を優しく撫でている姿に、一気に血の気が引く。

気がつけば跳ね起きていた。


そしてふと視線を向ければ、まさに東雲の頭を誠太郎が撫でている瞬間だった。

俺に気がつき、一瞬で誠太郎は手をのけると何事も無かったように顔を俺から背けた。


「えっと、まだ1時間経ってないよ?」


・・・・・・お前、途惑ってるのは好きな男に撫でられてるのを見られて、ばつが悪いせいか?

以前諦めたなんて言ったが、どうみても諦めたようには見えない。

未だに誠太郎と話す時、嬉しそうにしている癖に。


「もう少し寝てたら?」


「・・・・・・喉が乾いた」


俺が起きたらまずかったのかよ。

イラッとして起きた理由をこじつけた。

俺の言葉を聞いて、誠太郎が反射的に動こうとしている。


「東雲、紅茶」


思わず出た、子供じみた邪魔の仕方に自分でも呆れた。

案の定そんな俺が面白いのか、誠太郎が必死に笑いを堪えている。

その言葉を聞いて、東雲はきょとんとしたあと、少しため息をついた。


「はいはい。

用意してあげるからもう少し横になってなさい」


そう言って苦笑いを浮かべて東雲は席を立った。

結局こいつのこういうところに俺は甘えてしまう。

こんな俺でもこいつなら許してくれるんじゃないかと。

遙かに年下の高校生にそんな事を思う自分が情けない。

ぼんやりしていると、目の前に紅茶の入ったマグカップが差し出される。

優しい香りがふわっと漂い、何かに包まれている気がした。


「大丈夫?起きる?」


言葉だけ聞いていれば母親の言葉なのか、それとも恋人の言葉なのか。

俺の顔を少し中腰で見ている東雲を見上げる。


「腹が減った」


「はいはい、今用意するから」


困った子供を扱うように言われる。

本来なら男として情けないのに、何故かこんなことですらホッとしてしまう。


「すみません、うちの子がお腹を空かせてるようで」


「はい、どうぞ。

あんな大きな子供、さぞかし相手が大変でしょう」


「・・・・・・おい、聞こえてるぞ」


東雲は誠太郎から菓子をもらいながらそんなやりとりを始めた。


子供なのは俺が一番分かってるよ。


笑いながら東雲が俺に菓子を渡す。


「急いで食べないようにね?光明くん」


「・・・・・・後で覚えてろ」


うわー、反抗期!と笑う東雲に、本当に大変ですね、と誠太郎が笑っている。

その空気が何故かとても心地よくて、俺は少し俯いた。


今までこんなに気を張らないで済む時間なんてなかった。

こいつが俺の側を離れれば、それはこの時間の終わりを意味する。


初めて『怖い』、という感情を持った。


そして段々とこいつに関わるようになって、「怖がられたら」、「嫌われたら」という事を意識していることに気がついた。

今まで、誰にどんな風に思われようがなんとも思わなかったのに。

それがまた『怖い』と思ってしまう。



「ほんと大丈夫?」


さっきまで笑ってた東雲が側にきてしゃがむと、不安そうな顔で俺を覗き込んでいる。

そんな顔をさせるなんて情けないと思う気持ちと、純粋に自分を心配をしてくれる相手がいることに安心する。


「悪い。眠かっただけだ」


そういって、カップを持ってない手で東雲の頭を撫でた。

東雲はきょとんとした顔をした後、ふわりと笑った。


「無理はダメだよ?」


「あぁ」


俺はいつか、こいつの顔が溶けるほどの安心を与えてやれるのだろうか。


「コホン!

あーすみません、東雲さん、紅茶のおかわりいりますか?」


わざとらしく咳払いをしてから、誠太郎が声をかけ、東雲はそちらを振り向くと、いります!と嬉しそうに返事をした。

俺は思わず誠太郎を睨む。

そんな顔を向けられても、誠太郎は柔らかく眼を細めるだけだった。

まぁとりあえずは目の前の菓子でも食うか。

俺が菓子を食べているのを、二人が穏やかな顔で見てるなんて知らないままで。






12月に入り、目の前には見事なほどのテストの山。

数百あるこれを採点することも今は平気だが、教師になったばかりの頃は毎度うんざりしたものだ。

校内で自室として使っている英語教師室でもうとっぷりと日が暮れた中、一人黙々と採点をしていたら、横に置いていたスマートフォンが震えた。

手にとってメールの送信相手を確認すれば大学時代の友人。

なんとなく嫌な予感がして中を読む。


『久しぶり!

合コンやるから来てくれ』


クリスマスも近い。

一人で過ごしたくないという男女で利害が一致したのだろう。

断りの言葉を簡単に打って送信すると、添削に戻った。



するとすぐにスマートフォンがまた震えている。

今度は電話の着信だ。

表示されている相手の名前を見て、ため息をついて通話ボタンを押した。


『来てくれよ!』


「忙しいんだよ」


第一声がそれか。


『何だよ、既に相手いんの?』


「この時期は、テストの採点やらなんやらで忙しいんだよ」


『誰もいないって訳だよな?

お前が来てくれると女が喜ぶから来てくれよ』


「俺は客寄せパンダか」


『但し持ち帰れるのは1名だけな。

こっちも死活問題なんだ』


「知るか。そもそも持ちかえらねぇよ」


うんざりと椅子の背もたれにもたれかかれば、ギシリと音がした。


『お前みたいに座ってるだけで女が寄ってくる男なんざ本来敵なんだけどな』


「じゃぁ呼ぶな。

要件済んだなら切るぞ」


すると電話の向こうから待て待て!と慌てた声がした。


『見た目格好良いのも呼ぶって言っちまったんだよ。

だから来てくれよ、居て飯だけ食ってけばいいだろ』


「なんで自分で金払ってそんなめんどくさい事しなきゃなんないんだよ」


『可愛い系から美人まで揃ってる、らしい』


「お前、騙されてるんじゃないか?」


よほど必死なんだろう、何だかその必死さが段々可哀想になってきた。


『頼むって!後生だから!』


話す言葉が悲鳴に聞こえる。


「・・・・・・日程が合えばな」


ため息をついて、仕方なくそう答えてしまった。








「「「かんぱーい!!!!」」」


全員でグラスを持ってスタートした。

余程力を入れたかったのだろう、ただの合コンのはずなのに、ホテルにある夜景の綺麗なイタリアンレストランで広めの個室を貸し切っていた。

参加者は男女7人ずつ。

最初は定番の自己紹介から始まる。


こういうのには仕方なく何度か出たことがあるが、最初いつも身につけていたものを気にせずしていったら、そういうものを自動で金額に計算する女というのがいることを知り、それ以降、こういう場に参加する時は出来るだけ質素にしていた。

どちらにしろ教員の仕事の後だったので、一旦家に戻って、そのままのシャツと下だけジーンズにしておいた。

もちろん、いつも浄化され結界の張られた安全な学園外で過ごすので、伊達眼鏡はしている。

そんな格好の自分に比べ、俺以外の男は全員スーツだ。

女性陣は見事なほどワンピース率が高い。

むしろラフな俺が1人浮いている。

まぁどうでもいいが。



「で、こいつが例の藤原。女ホイホイ」


「ふざけた名前つけるなよ」


仕切ってる友人からふざけたあだ名と共に、自己紹介の順番を振られる。

一斉に注目を浴びるが、ため息をつきたいのを押さえて特に表情もかえず答えた。


「藤原光明です。高校で英語教師やってます。

はい、次ぎどうぞ」


他のヤツが趣味やら仕事の事を詳しく話す中で、俺はそれだけ話して次ぎにバトンを投げたので、次のヤツも、女性陣も目を丸くしている。

空気を悪くするつもりもないが、はっきりいって面倒くさい。

幹事をしている友人の顔を潰す訳にはいかないが、既に帰ることしか頭に無かった。




そしてお決まりの自由時間がやってきた。

今回の席はわざとだろうが立食も出来るほど高いテーブルと椅子なので、みな席に座らず、各々飲み物を持って立ちながら話している。

そんな中で端の席に座ったまま、一人バーボンのロックを飲みつつナッツを摘んでいたら、香水の香りが近づいた。


「藤原さんでしたよね?」


穏やかな笑みを浮かべた黒髪の女と茶髪で少しウェーブヘアの女が二人で話しかけてきた。


「えぇ」


「全然他の人と話してないようですけど」


「今日もテストの採点に追われて疲れていましてね」


苦笑い気味に答えると、黒髪の女は大変ですね~と笑顔で返してきた。


「もしかして嫌々参加ですか?」


ウェーブヘアの女が尋ねてくる。


「12月は特に忙しいので勘弁して欲しいと言ったんですけどね」


「お住まいは都心の分譲マンションにお一人とか」


「えぇ、まぁ」


黒髪が突然そんな話題をふってきた。

そう話しかけながら、ちらりと俺の腕時計を確認したのに気がついた。

腕時計と靴を見てまずは判断するタイプか、残念ながらどれも安物だよ。

黒髪の女は清楚そうに見せてるけど、本来のモノが全く違う。

伊達眼鏡をしてきても、それなりに視る力を押さえていても、それでも相手が強いモノを出していれば嫌でも視えてしまう。

一見清楚そうに見える女と一見遊んでそうに見える女は、外見と中身が逆だ。

どうしても下心を強く持つ者が近づいてくると即座に選別してしまうのが、無意識に癖付いている。

つくづく東雲にはこういう女達のようになって欲しく無いと思うが、あいつだけは清廉なまま大人になっていくのではと、勝手に期待してしまう。

ぼんやりそんな事を考えていたら、ウェーブヘアの女の声で意識を戻された。


「凄いですね、教師のお仕事ってそんなに安定してるんですか?」


「マンションは父のですよ。

単に住まわせてもらっているだけです。

教師なんて安月給に決まってるじゃないですか」


自己名義でそれも全額キャッシュで買ったマンションだが、そうでも言わないと食いつかれて恐ろしいことになるのは目に見えている。

それでも二人は俺と話すことを止めようとせず、思ったより相手が簡単に諦めない事に妙に感心した。

ふと目線の端に、酔ったヤツが後ろをみないでふらふらと下がってきているのに気がついた。

案の定、目の前にいたウェーブヘアの女の背中に思い切りぶつかり、彼女が前のめりに転びそうになったのを、素早く立ち上がって肩に片手を回し支えた。


「大丈夫?」


「あっ、はい」


「おい、酔って何やってんだ」


彼女に確認して、手をすぐに離す。


酔った友人に声をかければ、何が起きたのか理解していないのかきょとんとしている。


「彼女にぶつかったんだぞ?

で、言う事は?」


「あ、すみません」


俺の言葉に、酔ったヤツは自分がぶつかったことをやっと気がついて慌てて彼女に謝った。


それを他の友人が面白そうにみている。


「いやー、藤原ってやっぱ教師なんだなぁ」


「こんなので実感しないでくれよ」


苦笑いすると、さっきの女達が近寄ってきた。


「ありがとうございます」


「転ばなくて良かった」


今度は立っているので二人に見上げられているが、何だか急にウーェーブヘアの目が獲物を狩る目になっている気がする。

なんでだ?

のらりくらりと二人の会話に答えていたが、さっきの男達が二人に声をかけ、彼女たちもそちらと話しをし出したので、俺はこっそりと盛り上がっている部屋を出た。







レストランから外に出ると誰もいない絨毯の敷かれた通路を少し歩き、人の居ない場所で都会の夜景を映し出す大きな窓にもたれて、スマートフォンをジーンズのポケットから取り出す。

中身を見て、来ているのは差し障りのないメールだけで緊急の案件が無い事を確認した。

急に呼び出される場合もあるが、緊急時は基本先に誠太郎が動いている。

だからこそ、俺が呼び出される時は絶対にでなければならない。

東京は陰陽師の人数だけならそれなりにいるが、能力別で考えれば、大きな仕事を任せられる人数は限られていてる。

俺自身は立場上、国を表で司っている人間達と会う必要もあるため本来現場に出る回数は少なくすべきなのだろうが、現実問題としてそうはいかない。

まともに眠れない日なんてざらだ。

そもそも深く眠った記憶なんて思い出せなかった。

だけど今は、唯一深く眠ることが出来る月曜日のあの一時間が、俺にとっては大切な時間になっている。


ふと再度メールの受信欄を眺める。

当然だが、東雲からメールなんて来ていない。

そもそも滅多にしないのに、今日はなんとなくしてみたくなった。

合コンに出ているといったらどう反応するか、ようは知りたかったのだ。





『勉強はかどってるか?』


それだけ送ってみた。

まだあのクラスはテストが残っていたはず。

本来教師が生徒に、それも試験中にメールを送るなんて御法度なんだろうが、うちの学園で俺の立場は特殊なので、学園側から誰も俺に注意することはない。

そもそも教師をしている時は立場を使うことはあまり無いが、どうしても東雲に関することになると、それくらい良いじゃないかと自分の規律を緩めてしまっているのは自覚しているが。


返信は早々には来ないだろうと思ったらすぐに来た。


『はかどってないよ!そっちはまだ仕事?』


むっとしながら怒っている顔と、すぐに俺を心配する顔が浮かび、自然と口元が緩む。

そして、例の一文を送ってみた。


「いや、合コン中」


さて、どう返ってくるだろう。

画面を見ていたらすぐに返ってきた。

そして開いてみればそこにはたった2文字しか無かった。


『不潔』


たったそれだけの漢字なのに、もの凄く軽蔑の眼差しが含まれているのが痛いほど伝わって、思わず顔に手をあてた。

しまった、逆効果だったのか。

考えて見れば、どう反応して欲しかったのだろうか。

少なくともたかが合コンでこんなにも軽蔑されるとは思わなかった。



どう返信すべきか腕を組んで考えていたら、人が近づいてくる。

目線をゆっくりとそちらに向ければ、例の黒髪の女だった。


「誰かにメールですか?」


にっこりと微笑みながら声をかけてきた。

ここの場所はトイレに行く道でもない。

俺を探してわざわざ近づいてきたのはさすがにわかる。


「そろそろ二次会の場所決めでもしてるんじゃないですか?」


「もしかして彼女がいらしたんですか?」


わかりやすいほど別の話題を振ったというのに、そのまま続けるのは凄いなと、また感心してしまった。

しかし、これ以上居心地の悪い気をまとう女につきまとわれるのも面倒だ。


「いえ、難攻不落の城に文を送ってみたんですが、けんもほろろでしてね。

どうしようかと思案していたところで」


少しだけ笑ってそう答える。

美しい笑みを浮かべるだけで異様な迫力を醸しだし、相手を潰せるのは誠太郎だが、あいにく俺にはそういう能力は無い。


すると目の前の女は目を丸くした後、少し首をかしげながら微笑んだ。


「そんな面倒なことをされるより、身近に目を向けてみられては?」


「・・・・・・それじゃぁ面白くないんですよ」


ゆっくりと言葉を発しながら、薄く笑みを浮かべれば、相手の笑顔が引きつったのがわかった。


「自分が良いと思う女を落とせる男の方が・・・・・・良いでしょう?」


少しだけ眼を細めて相手を見れば、目を見開いてびくり、と一瞬身体を震わせた。


「・・・・・・そろそろ戻られたほうが良いんじゃないですか?」


「あ・・・・・・そう、ですね」


何故か相手は急に顔を真っ赤にして、踵を返すと足早に去っていった。





「まぁ落とすわけにも落とせもしないんだけどな」


ぼそりと呟き、再度スマートフォンに浮かび上がる厳しい二文字を見る。


「この場合の次の手ってどうすりゃいいんだよ」


自分で盤面を難しくしておいて、自分で詰むという馬鹿をやって頭を抱えた。



あの後悩みに悩んで、友人に必死に頼まれて嫌々参加している、という思い切り自己保身の返信を返した。

こんな内容しか思いつかないなんて、なんて情けない。

また厳しい言葉が返ってくるのも恐ろしいので返事を待たず、ポケットにスマートフォンを突っ込むと、あの賑やかな部屋に足を向けた。



明日も仕事だからと二次会は断って幹事に参加費を支払い、その場を離れようとした。



「あの」


さっきの黒髪の女が小走りに寄ってきたかと思うと、恥ずかしそうな顔をして何か無理矢理俺の手に握らせ一つ微笑むと戻っていった。

手を広げて見てみれば会社の名刺。

裏にはご丁寧にプライベートの連絡先まで書いてあった。

俺は仕方なくそれをポケットに突っ込み、その場を後にした。





タクシーに乗り自宅に帰る途中、スマートフォンが震え、手にとって確認すれば相手は東雲。

今度はなんて返ってくるのやら。

怖々中を見てみた。


『そっか、お仕事忙しいのに大変だね。

疲れちゃうだろうから、あまり遅くならずに帰るように』


思わず口に手を当てる。

まずい、にやけている。


そして不純な動機で試すようにメールをした俺に、純粋に心配をされたことに少しだけ心が痛む。

送らなければ良かったと後悔する気持ちと、送ったからこそこういう返信が来た事への嬉しさに複雑な心境になった。

ようはただやりとりした事すら嬉しさを感じてしまった自分に気がつき、異様に恥ずかしくなる。

中学生か何かか俺は。


考えて見たら、俺よりも遙か前から誠太郎と東雲は連絡先を交換していたわけで、それでたわいもないことを二人でやりとりしていたのかと思うと、妙に腹が立ってきた。

誠太郎は月曜日いつも菓子を持ってくるが、気がつけば必ずあいつのリクエストを聞いてそれを作ってくるようになっていた。

餌付けはとっくに誠太郎がしてしまっている。


何かもう少し、こちらに意識を向けさせるようなことをしたい。

考えて見ればもう少しでクリスマス。

見事にクリスマス含め、夜も週末も全て二種類の仕事で埋まっている。

クリスマスプレゼントという手もあるが、急にプレゼントを贈るというのも不自然だ。

というか、付き合ってもいないのだから、特に理由もなくモノなんて贈れない。

でもそんな子供じみた馬鹿な事を悩んでいるのがなんだか心地良い。


「さて、どうするかな」


返信内容を考えながら、合コンに出て良かったかもしれないと、俺は初めて思った。