「もう、いいの?」
「・・・・・・お前、彼氏がいたことは?」
「無いけど」
むっとした声でかえすと、藤原が身体を動かし私の方を向いた。
手が私の顔に伸びる。
そして・・・・・・私の鼻をぎゅっと摘んだ。
「そういうのは、好きなヤツのために取っておけ」
そう言うと、意地悪く、藤原は笑った。
私は、鼻を摘まれているというのにそういう風に笑う藤原を見て、何故か目に涙が浮かんでくる。
「あぁ、もう、泣くなって」
慌てて手を離した藤原を私は一つ睨んだ後、今度は私が反対を向いた。
「藤原が全て悪いんじゃんか」
「ほんとだな」
自嘲を含んだ声と共に急に背中から抱きしめられ、大きな腕が私を包む。
背中からじわりと体温が伝わり、自分の体温と合わさっていくようだ。
明かりの付いていない部屋。
でも窓から降り注ぐ月明かりが、さっきまでは冷たく感じていたのに、今は暖かく私達を照らしている。
部屋の中が静かなせいか、藤原の心臓の音が届くような気がして、とても落ち着く。
ふいに藤原が話し出した。
「巫女ってのはな、会えばすぐにわかるんだそうだ」
後ろから、ゆっくりと聞こえる声。
その息が自分の髪に触れている気がする。
「会うと言っても、目を合わせなくても、言葉を交わさなくても、ただそこに相手が居たという認識だけでわかると、オヤジは言っていたよ。
けど、俺にはそういう事が一度もない。
だから、お前はきっと違うんだ」
その声はまるで、藤原が自分に言い聞かせているかのようだった。
そうか、だから私は巫女では無いんだ。
やっとその理由を知り、安堵する。
だが、加茂君が話したことで私はひっかかるようになってしまった。
長は必ず巫女を選んでいるということを。
なら藤原も最後には自分の巫女を選ぶんじゃないだろうか。
その事が何故か心の隅で消えなかった。
「葛木先生はそのことを知ってるの?」
「いや。これは代々の長以外知らない事だ」
「教えれば、先生も勘違いをやめるのに」
「オヤジはそんな事を言ったが、正直信じられないんだよ。
その時になればわかる、なんて曖昧な事、俺は後付じゃないかと思ってる。
俺ですらそんな状態なのに、既に巫女は素晴らしいと信じ込んでいる連中には、そんな話しをしたって何の意味ももたないんだ」
段々また声が冷えていく気がして、私はまた身体を動かし、藤原と向かい合った。
本当にすぐそこにある顔。
一瞬驚いた表情に笑いがこみ上げる。
私は両手を伸ばすと少し藤原の頭を自分に引きよせ、また髪を撫でた。
「お前・・・・・・俺が男だってわかってる?」
「女だって思った事は無いけど?」
「あ、そう・・・・・・」
何か不満げな声をしている感じから、また元に戻ったことを確認してほっとする。
そしてふと、何かの視線に気がつき、目線をそちらに向ける。
そこには、あの時私を屋上まで連れて行ってくれた犬がいた。
丸くて太い尻尾はぴんと上に向けたまま、私達を見ているようだった。
私はなんだか嬉しくて片手で手招きをする。
だが、凛々しい眼差しで私を見た後、すっとその場から消えてしまった。
「今、いたのか?」
「うん。逃げられちゃった」
「そうか・・・・・・」
「ねぇあの子は?」
「あいつは、俺が小さい頃飼っていた犬だよ。本当に賢いヤツだった」
「そっか。心配で来てくれたんだね」
藤原はじっと目を瞑り、その後何も言わなかった。
私の胸元にある髪の毛を、ゆっくり、ゆっくりと撫でる。
藤原の心にある氷を溶かすように。
気がつけば私の腰にあった藤原の手が重くのしかかる。
そしてすぐ目の前ですぅすぅと寝息が聞こえてきた。
ずっと寝ていなかったのかもしれない。
こうやってまた寝顔を見ることが出来るなんて思っていなかった。
抱きしめられている部分から体温が伝わり暖かい。
「おかえり」
私はそう呟いて、ゆっくりと目を閉じた。