犬だ。
私より少し離れた所に、焦げ茶色の毛並みの大型犬が居た。
くるっと丸まった太い尻尾。
凛々しい眼差し。
顔つきからも日本犬だろうか。
でもここは三階だ。
そもそも犬がいるなんておかしい。
私はその犬の方を向き、じっと見た。
すると、その犬はくるりと後ろを向いたかと思うと、たっと走り出す。
私は自然とその犬を追いかけていた。
校舎の中でも一番奥の階段まで行くと、少し上がった踊り場で、その犬は私が上がってくるのを待っているようだった。
私がそちらに進むと、またその犬は階段を上がって行く。
この上には屋上に出るドアがあるが、その前にある広い踊り場は、使ってない机や椅子、忘れ去られたような物が乱雑に置かれている場所だった。
そこに私が行くと、屋上に出るドアの前でその犬が私を見ていた。
そして、その犬はすっとドアをそのままくぐり抜け、消えてしまった。
あれは藤原の式神だったりするのだろうか。
おそらくこの屋上に藤原はいる。
私は普段なら鍵の掛かっているそのドアノブを回した。
ギー、と普段使われていないせいか、さびついたような音を立ててドアは開いた。
私が屋上に出でドアを閉めると、ばっと、風が私の方に向かって吹いた。
乱れた髪の毛など私は無視し、目の前に広がる屋上を見渡す。
だが、ただ広い屋上とフェンスが見えるだけで誰もいない。
さっきまで私を案内した、あの凛々しい眼差しの犬も見あたらなかった。
私は左右を見渡す。
すると、私のすぐ左側、屋上に出るドアの建物の陰から、足が少しだけ見えた。
私は今いる場所からゆっくりと左側へ回り込む。
そこには座ったまま両足を投げ出し、腕を組んで壁にもたれたまま目を瞑っている藤原がいた。
私は少し収まっていた怒りが再燃するのを身体の中で感じながら、一歩一歩藤原の側に進み、その座っている真横に立つと、藤原を見下ろした。
「よくここだとわかったな」
目を瞑ったままの藤原の声は、とても静かだった。
「犬が連れてきてくれたの」
「犬?」
初めてすぐ横に立っている私を、目を開けてちらりと見た。
「茶色い大きな犬。
日本犬だと思うけど、藤原の式神とかじゃないの?」
藤原はそれを聞いてまた前を向くと、はは、と軽く笑った。
「そうか。
いや、俺の式神じゃない。そもそも式神でもないしな」
じゃぁ、あの子は何だったのだろう。
聞きたい。
でも私にはここに来た理由がある。
「なんで加茂君にあんなことしたの」
「お前には関係ない」
「関係ない!?」
自分の声が一気に大きくなる。
血が上ると言うというのはこういうことだと全身で理解した。
「震えて、怯えてて、最後は訳の分からない状態になって倒れたんだよ?!
なんであんな酷い事するの!?」
藤原は再度私に軽く視線を向けると、こう言った。
「俺のテリトリーで勝手な事をした罰だ」
「ただ私に邪気を見せただけでしょ?!
それで高校生にあんなことしなくても!」
「高校生だから、何?」
冷たい目に圧力を感じて、思わず身体が後ろに下がりそうになる。
「高校生だろうがなんだろうが、陰陽師である以上、従うものには従わなければならない」
自分以外の意見は一切聞かないと切り捨てるような言葉に、私は怯みそうになった。
「でも!藤原はとても強いんでしょう?!
それをあんな風に酷く使うなんて卑怯だよ!
単に言葉で注意すれば済むことじゃない!」
そうだ、そんなにも強い立場なら、話せば加茂君も従ったはずだ。
それなのに、何故あんな酷い仕打ちをしなくてはならいのか。
「お前は、物事全て、話し合いで解決するとでも思っているのか?」
「え?」
無表情に突然そんなことを問われ、私は途惑った。
「人間ってのはな、どんなに理想を言ったってその相手が弱ければ、話を聞くというテーブルにすらのらないんだよ。
じゃぁどうするか。
それは、自分が強いと言うことを相手に示すしかない。
こいつは、状況によってはこちらを潰せるほどの力を持っている、ならまずは話し合いを提示するならそれに乗ろう、というようになるんだ。
逆にその力量をわからないで先に攻撃しそうな連中には、最初に力でねじ伏せてしまえばいい。
攻撃されてからでは遅いんだよ。
スイスは永世中立国って知ってるよな?
あの国は自国に最新鋭の武器を持つ世界でも屈指の軍事力を持つ国だ。
国民の男は兵役義務があるし、有事の際多くの男は軍人として従事する。
いざとなれば徹底的に相手を潰せるだけの力を保持している。
だが外交では平和主義で他国の仲裁すら行う。
何故そんな事ができるのかわかるよな?
圧倒的な力を持つからこそできる事なんだよ」
私は立ったまま淡々と話す藤原の話を、未だ怒りの治まらない頭でなんとか聞いていた。
「で、藤原が言いたいのは、何?
だから加茂君を力でねじ伏せたのは仕方がないってこと?」
何となく言いたいことはわかる。
でも、だから加茂君を傷つけて良いだなんて、私には思えなかった。
藤原は、肩を上下させ、ふぅと軽くため息をつくと、また私を見上げた。
「お前はもう少し聡いと思っていたけどな」
馬鹿にされたその言葉で、また一気に頭に血が上る。
「馬鹿で悪かったわね!
あんなに怯えて倒れるまでする藤原の理由なんてわかんないよ!」
涙が出そうだった。
酷い事しないでってだけのことが、何でこんなにも伝わらないのだろう。
「俺のことは、大嫌い、なんだろう?」
ゆっくりと確認するかのようで、そしてとても乾いた声だった。
その声に、心臓がどくんと音を立てて私の全身が強ばる。
「なら、お前がそこまで言う理由が俺にはわからないな。
そんな俺に、何を、どうして欲しい訳?」
すっとこちらを向くと、軽蔑するような眼差しを向けられた。
刺すような視線に、自分の喉が閉まって、息が苦しくなる。
なんで、なんでそんな言い方するの。
私は気がつけば、また涙が流れていた。
そんな私を、表情も変えず藤原は見ていた。
「いいね、女ってのは。
泣けば、相手が妥協すると思ってる」
心底呆れたような声に、私の唇が、身体が小刻みに震え、心臓が酷い音を立てているのが、しっかりと自分の耳に届いていた。
そして藤原は私を冷たい目で見た後、また前を向いて目を瞑った。
私は、突然ぐらりと身体が崩れるような感覚に陥って、思わず足がよろけそうなのを必死にふんばり、どんと音を立てて思わず一歩下がった。
そんな音がしたというのに、藤原は目も開けなければ、こちらも見ない。
私は少しだけそのまま呆然と後ろに下がる。
それでも藤原は私の方を向くことは無かった。
私は背を向けて一気に走り出すと、振り返らずに重いさびついたドアをあけ、階段を勢いよく降りる。
どんどん目の前が酷く霞んで思わず階段を踏み外し、転がり落ちそうになるのを、すんでの所で横にある手すりに掴まった。
私は、手すりを掴んだまま、その場にずるずるとしゃがみこんだ。
この階段は校舎でも一番奥で、あまり人が通らない。
静かなはずのこの場所なのに、酷い耳鳴りがして頭が割れるように痛い。
私は身体を丸めて、流れ続ける涙を必死に覆い隠した。
もう嫌だ。
本当にもう嫌だ。
完全に藤原に嫌われたことを痛いほどに味わった。
今までどんなに冷たい目になっても、必ずいつも通りに戻っていた。
なのに今回は今までに見たこともないほどに、藤原は冷え切っていた。
そして私に向けられた軽蔑の眼差し。
もう本当に戻れない。
頭が痛い。
耳鳴りが鳴り止まない。
息が出来ない。
段々と目の前が白くなってゆく。
『たすけて』
私は、誰に、その助けを求めたのだろう。
私はそのまま意識を手放し、その場に倒れ込んだ。
急に酷くめまいがして目が覚めた。
目を開けようとしても何故か開けにくい。
自分の手を伸ばし、目の回りを触ると涙が乾いた跡なのか、とても硬くなっていた。
そんなにも私は泣いていたんだということを、目をさすりながら思っていた。
うっすら開けた目で周囲を見れば、白い天井、周りには白いカーテン。
自分は今、保健室で寝ている。
ただそれだけの事実をぼんやりと思っていた。
ゆっくりと上半身を起こす。
まだ吐き気とめまいがする。
ふらっとして自分の左手を目に当てた。
その時、ゆっくりとカーテンが開き、私は無意識にそこへ視線を向けた。
「目が覚めたんですね、良かった」
そこにはホッとしたような顔の葛木先生が入ってきた。
何が良かったというのだろう。
言葉を発する気力も起きず、私は視線を下に向けた。
「・・・・・・。
あなたを校内で探していたら倒れているのを見つけて。
それで、保健室に運びました」
私は俯いたまま特に反応しなかった。
「加茂君は奥のベットで寝ています。
もう少ししたら彼の関係者が迎えに来ますので安心して下さい」
先生が何か話している。
でもそれが、ただの雑音として聞こえているかのようだった。
私は起こしていた上半身を再度ベットに倒し、先生に背を向けて、頭まで毛布を被った。
「本当に・・・・・・本当にすみません・・・・・・」
葛木先生の声が震えているように聞こえる。
「あんなにも光明が暴走するなんて考えていなかったんです。
私の忠告にも一切耳を貸さず、私は途惑うばかりで何も出来ませんでした。
だけど、東雲さんなら止めてくれる、光明をまたいつものように戻してくれるとすがってしまったんです。
でも」
言葉が切れた。
私は先生の方を向く気などおきなかった。
「でも、まさかあなたまで拒絶するなんて・・・・・・。
私と光明が結果的にこんなにも東雲さんを傷つけてしまった事は、謝って済む問題だとは思っていません。
償えるとは思っていませんが、私のできる事はします。
・・・・・・寮まで送ってくれる女性の先生を呼んできますから、もう少し寝ていて下さい」
そういうとカーテンを開ける音がした。
あぁ、やっと出て行ってくれる。
「それでも。
それでも光明を助けられるのは東雲さん、貴女だけだと私は思っています。
どうか、あの子を嫌わないであげて下さい」
そういうと足音が遠ざかっていく。
私は先生の最後の言葉で、夢の中で出会った、あの少年の言葉を思いだしていた。
『未来の僕を、嫌わないで』
ただの夢ではないと思っていた。
きっと私は違う時間、違う場所にいるのだと、自然と理解していたからだ。
あの小さな男の子はやはり藤原の子供の頃で、今日のことをわかっていて言ったのだろうか。
でも、もう遅い。
加茂君に、罰だからとあんな酷い事をした藤原は許せない。
なのに。
あんなに凍り付いた藤原を心配してしまう自分がいて嫌になる。
嫌われるのは当然だ、あんな酷い事をする人を許しちゃいけない。
私はそう言い聞かせながら、ベットで身体を丸めた。
あの一件の後、藤原は驚くほどに、今までと何も変わらずに過ごしていた。
屈託無く生徒達と笑い、成績の悪かった生徒には親身に教えていた。
今日も葛木先生の周りを女子達が賑やかに囲み、先生は穏やかに笑っている。
変わったのは唯一、私だけ。
私はあの後、藤原と一切会話をすることは無くなった。
葛木先生とは最低限の会話はしたけれど、時折何か言いたそうな雰囲気を感じると私は逃げた。
今まで私を茶化していた実咲も塔子も、一切二人の名前を出さなくなって、クラスのみんなすらも、この事に触れることは無かった。
まるで月曜日の放課後の事は最初から無かったかのように。
そして気がつけば、明日から夏休みになっていた。
「2人とも夏季講習取ってるんだっけ?」
3人で下駄箱のある一階に降りながら、実咲が私と塔子に尋ねた。
「そうだよ。実咲は合宿三昧だっけ?」
「残念ながら補習の日程が入っているのだ」
私の言葉に実咲は何故か胸を張ってこたえると、塔子が、何言ってるの、と苦笑いしながら返した。
「まぁみんなまだ当分寮にいるし、遊ぶ日程はまた考えよう。
花火大会やプールも行きたいし!」
うきうきと話す実咲に、私と塔子も夏休みが楽しみで仕方がない。
下駄箱に着いた時、他の生徒達が歩きつつ誰かを見ていた。
クラスの下駄箱の近くにある柱に、男子が一人、制服のズボンのポケットに両手を入れて、周囲を見渡していた。
その男子は、綺麗な栗毛色の長めの髪を横に少し長している。
こんな外国人の生徒はうちにいただろうか。
三人で靴を履き替えると、その彼の前を通り過ぎた。
「待って!待って!」
後ろから声がして不思議に思い振り向くと、さっきの外国人の男子が焦ったようにこっちに走ってきた。
「みんな、無視は酷くない?!」
顔に両手をあてて、酷すぎる!と嘆くその男子に私は途惑った。
横にいる実咲と塔子を見ると、とても複雑そうな顔をしている。
「塔子ちゃんはすぐ気がついてた癖に!」
「突然馴れ馴れしく名前で呼ぶ男子って、チャラい」
塔子が冷めた目で見ると、彼はうぅ、と苦しげに声を出したかと思えば、今度は実咲の方に勢いよく向いて問いかけた。
「実咲ちゃんも気がついてたでしょ!」
「今どき高校デビューとか痛いし」
突き放すような実咲の言葉に、2人の愛が痛い!と彼は身体をねじった。
「えっと?」
私は何が何だかわからず、再度実咲と塔子を見た。
「ゆいちゃん、僕だよ、僕!」
いつの間にか私の目の前にきて、必死に自分の顔に指を指している。
綺麗な色素の薄い瞳と、長いまつげ。
こんなイケメン、知り合いにいただろうか。
私はそんな彼を見て首をかしげた。
彼は途端に思い切り悲しそうな顔をした後、がくりと肩を落とした。
「学校にほとんど来てないんだから、ゆいから忘れ去られても仕方ないんじゃない?」
「実咲ちゃん、酷い・・・・・・」
2人のやりとりでもしや、と彼の顔を観察するように見る。
そうだ、このタレ目、見覚えがある!
「もしかして加茂君?!」
「やっと正解出たよ!」
突然ぎゅと抱きしめられて、私はひゃ!と声を漏らした。
「はいはい、セクハラやめようねぇ?」
目の据わった実咲に首根っこを掴まれ、加茂君は、冗談冗談!と必死に手を振る。
私はまさかの加茂君の登場にぽかんとしていた。
「高校デビュー?」
「ゆいちゃんまで酷い!これは地毛!
僕は日本人とフィンランド人のハーフなの!」
えへん!と自慢げに言う彼に、現代はハーフも陰陽師になれるんだ、グローバル!と驚いた後、陰陽師という言葉を思いだし、私の中で必死に閉じているものが反応しそうになった。
「それでね!ゆいちゃんをデートに誘いたくて、今日は久しぶりに学校に来ました!」
「・・・・・・は?」
眼鏡もなく、大きな瞳がわかって、何だか子犬がじゃれている気がする。
身体は子犬じゃないけど。
「ねぇ、実咲ちゃん、塔子ちゃん、いいでしょ?」
何故かその許可を私ではなく、隣りにいる実咲と塔子に求めている。
実咲と塔子は真面目な顔で向かい合いながら、私をそっちのけで協議に入っているようだった。
「今後二度とゆいが嫌がることはしないと誓う?」
真顔で聞く塔子に、加茂君は、うんうん、と勢いよく頷いている。
それを見て、実咲がため息をついた。
「ここのとこ落ち込んでいるから、ぱーっと楽しませてあげるなら貸してあげてもいいけど」
「もちろん!デートに誘うんだから頑張るよ!東京よくわからないけど!」
「ちょっと待って!私を勝手に売らないで!」
あきらめ顔の実咲と塔子に、思い切り笑顔で握手している加茂君に割ってはいる。
「じゃぁ明日朝9時に正門前でいい?あ、これ僕の連絡先。
必ず後でゆいちゃんの連絡先送ってね?んじゃ!」
そう言って、加茂君は私に紙切れを手に握らせると、笑顔で去っていった。
「出席日数大丈夫なのかしら」
「補講とかあるんじゃない?」
「いやいや、2人とも!」
未だ手を振っている加茂くんをあきれ顔で見ながら話している2人に、私はつっこんだ。
「気分転換して来なよ、藤原先生と喧嘩したんでしょ?」
私は実咲のその言葉に思わず絶句する。
そんな私を見て、実咲がため息をついた。
「うちらが気がついてないとでも?
あんなあからさまに逃げていればわかるよ」
「以前も二人して口聞かないことあったけど、今回は比じゃないみたいだし」
塔子は淡々とそう述べて、そんな2人を前に私は途惑っていた。
そして急に思いだす。
塔子は人のオーラを見て、その人の感情とか色々わかるということを。
私は塔子を見て、おずおずと口を開いた。
「あの、藤原のオーラって見たことある?最近で」
塔子はそんな私の顔をみて、ため息混じりにこう言った、
「知りたいならいい加減逃げずに、直接話した方がいいよ」
私は、心の中を見透かされているようなその塔子の視線に思わず俯いた。
「ほらほら、落ち込まないで。
せっかく加茂君がデートに誘ってきたんだからさ、思い切り遊んで来なよ。
もし何か嫌なことされたら、股間蹴っ飛ばしてくれば良いんだから」
場を和まそうと明るくそう言った実咲に、私は、ちょと最後のそれは難しいかも、と返すと、今夜練習すれば?と笑われた。
「・・・・・・実咲、塔子、ありがとうね」
ずっと自分の事で一杯一杯で、親友達が見守っていてくれたことに私は気がついていなかった。
こうやって見守って、背中を押して、そしてちゃんと注意してくれる2人がいることを、私は心から感謝した。
「ごめんねぇ」
「加茂君遅刻」
私は15分前に集合場所に居たというのに、加茂君は10分遅れてきた。
「どう、どう?」
加茂君は私の前に来た途端、両手を少しあげながらくるりと回る。
大きめのTシャツを二枚重ねして、革紐の先にシルバーのチャームのついた長めのネックレス、スキーニージーンズはくるぶしの長さにして、黒の斜めがけのバックをしている。
さすがハーフというべきか、こんなに加茂君はスタイルが良かったのかと初めて知った。
タレ目がチャームポイントの可愛い系モデルと言われても信じそうだ。
「格好いいよ」
私はお世辞抜きにそう言った。
「藤原先生より?」
笑顔でそう尋ねる加茂君に、私は突然の名前を聞いてびくりとする。
「ごめんごめん、苛めないって決めたのに。
大丈夫。センセより、僕の方が遙かにイイ男だってわからせてあげる」
そう言って私の手を取ると、勢いよく引っ張って走り出した。
「あのバス乗らないと次が20分後なんだ!」
「それ早く言って!」
そうやって笑いかける加茂君に、私は心の中で沸き上がるものを必死に押さえながら笑顔を浮かべた。
バスと電車を乗り継ぎ、久しぶりに都心に出てきた。
そうだ、都心に来るのはあの葛木先生に車で皇居に連れてこられて以来。
ばっと、頭の中にあの日の事がよぎる。
私は目を瞑り、頭を振った。
私達は若者達で溢れかえる、JR渋谷駅に降りた。
加茂君は初めての渋谷に興奮しているようで、人混みも気にせず何度も角度を変えて、忠犬ハチ公をスマホで撮影している。
それを、近くを歩く女性達がちらちらと見ている。
あれは物珍しくて見ているんじゃないというのは、次ぎに加茂君の横にいる私に向けられる視線で分かった。
「ゆいちゃんありがと!次はやっぱり109でしょ!」
撮影に満足したのか、次は意気揚々とお目当ての白いビルに指を指す。
私はそんな無邪気な顔に何故かホッとさせられた。
横に並んで歩いていて、思ったよりも背が高いことに気がついた。
でも藤原の方がもっと高いな。
そう無意識に思った自分に驚いて、そして気持ちが一気に落ち込む。
その事を消さなくてはと、私は頭をまた振った。
すると加茂君に手を繋がれ、驚いて顔を見る。
「人混みではぐれるとまずいじゃない?僕が」
そう言うとにっこり笑い、ウィンクした。
そっか、きっと加茂君はわかってるんだ。
「加茂君は優しいね」
私の言葉に、大きな目をもっと大きくして私を見ると、今度はすぐに顔をそらし、頬をかいている。
「優しくないよ、あんな事したし」
「何か理由があったんでしょ?」
「まぁ、ね」
「その理由、教えてくれる?」
加茂君は私の手を繋いだまま、前を向いて歩いている。
「・・・・・・後でね」
その後、原宿に移動し、人で溢れる竹下通りを2人で歩き、パンケーキのお店に入り、2人でひたすら馬鹿な事を話して盛り上がった。
加茂君は、歩くペースを合わせてくれたり、お店に入れば椅子を引いてくれたりと、とても気を使ってくれた。
JR山手線に乗って池袋に移動し、人混みの中サンシャイン60に着くと、地下でチケットを購入し、専用のエレベーターに乗り込む。
綺麗な星空が降り注ぐようなエレベーターで一気に60階まであがり、耳が変になりながらもあっという間に展望フロアについた。
「良かった。間に合った」
加茂君はそういうと、繋いでいる手を引っ張り大きな窓に向かう。
「わぁ・・・・・・」
目の前に広がるのは綺麗な夕焼けの景色。
高い場所にあるおかげで、ずっと先まで見通せる。
周囲を見れば既に多くの人がオレンジ色に光るガラスの前で、沈む夕陽を楽しんでいた。
「京都って建築する建物に高さ制限があるから、こんな高いビルってないんだ」
夕陽を見ながら、横にいる加茂君がぽつりと呟いた。
栗色の髪の毛が夕陽に当たって、キラキラとしている。
京都には中学の修学旅行で行ったけれど、観光地の思い出はあっても、あまりビルの高さなんて意識したことは無かった。
「ちなみにここ、昔は処刑場だったって知ってる?」
「え、そうなの?」
思わず足下見る。
そんな私を見て加茂君が、ぷっと吹き出した。
「もしかしてここに霊がうじゃうじゃいるの?」
「そんな事言ったら京都なんて、今の住民より霊の方が多いと思うけど?」
私の興味本位の質問に苦笑いで答えられ、確かにそうか、と納得してしまった。
段々と濃いオレンジ色と灰色と黒のグラデーションに空が染まっていき、眼下に広がるビルの明かりが美しく光りだしてきた。
周囲を見れば、手を繋いだり、腕を組んだりするカップルだらけ。
良いなぁ、ほんとカップルばっかりだなぁと思いつつ、自分が加茂君と手を繋いだままだということに今更ながらに気がついた。
考えて見ればどっからどうみても私と加茂くんだって、カップルに見られていたのではないだろうか。
急に恥ずかしくなってその手を離そうとしたらぎゅっと強く握られ、思わず横を見ると、加茂君がにっこりと私に笑いかけた。