翌日、朝加茂君は私達を見ると、ぺこりとお辞儀だけして、
そそくさと席に着いていた。
だが午後の授業で彼の姿は席になかった。

授業が終わり、加茂君は早退したという話しを他のクラスメイトから聞き、
昨日の今日でなんだか妙に不安になっていた。
私は実咲と塔子に、藤原のところに言ってくると告げると、
2人はにやにやと笑いながら私を送り出した。




英語教師室のドアの前に立つ。
何だかここに来たのはとても久しぶりに思える。
それに、もしかしたらここに来たことをまずは怒られるかも知れない。
私は緊張しつつ、二回ノックをして静かにドアを開けた。


「失礼します・・・・・・」


「おう」


藤原は椅子の背もたれに寄りかかり、こちらを振り向いた。
やはり自分の机に辞書やら何やら広げて、仕事をしているところのようだった。
だが私が来てもごく普通の態度の藤原に途惑う。
先日学校内で二人きりになるなと言われたのに。
私が入り口の所で途惑ってると、藤原が苦笑いを浮かべた。


「紅茶が飲みたいんだ。
入れてくれないか?」


「・・・・・・うん」


そう、毎週月曜日の放課後、藤原が昼寝して私が勉強して。
その後には葛木先生の手作りおやつと、紅茶を入れて、3人で過ごした場所。
何だか本当に遠い昔だったような気がして、何故か目が潤んできた。

私はそれに気づかれないように、急いで中心にある大きなテーブルに鞄を置くと、
いつも使ってた棚に向かい、
いつも使っていたカップと紅茶のティーバッグを準備しだした。


「加茂のことだろ?」


少し離れた所から藤原にそう言われ驚いて私は見た。


「何で知ってるの?」


「まぁ一応立場が立場だからな」


「私にGPSとか盗聴器とかつけてるんじゃないよね?」


「そんなもんつけなくても俺たちは調べられるんだよ」


私はカップを持ったまま固まった。
そんな先端機器より陰陽師の能力の方が上という事実に。


「もしかして式神使ったとか?
それとも呪術?いや星読みとか?!」


「・・・・・・お前、そういうの好きなの?」


「大好き!!!」


私は間髪入れずに答えた。
藤原は私の前のめりな反応に、お、おう、そうか、と引き気味に答えた。


「まぁとりあえず加茂がお前にかなり接触したことはわかってるんだが」


私が紅茶の入ったカップを渡すとそれを受け取りながら私をじっと見た。


「何をされたのか詳しく話せ」


真面目な顔で聞かれ私は少し目が泳いだ後、近くにあった椅子に座る。
自分のカップを持つと、昨日あった事をゆっくりと順に説明した。

藤原はそれを聞き終わっても腕を組んだまま眉間に皺を寄せていた。




「ねぇ、なんで加茂君は私を嫌ってるの?」


純粋な疑問だった。
出会って2日、何か彼の気に触ることをした覚えは無い。
だが、彼が陰陽師という関係で私を嫌っているのなら、
余計に理由が分からない。
私の疑問を聞いても藤原は黙っていた。


「もしかして巫女が関係しているの?」


段々私は不安になってきていた。
最初は巫女という存在に憧れすら持っていたのに、
京都の陰陽師だという加茂君から向けられたのは悪意だった。
もしかして巫女という存在は良くないのでは、
という心配が浮かんで来ていた。


「他に何か言っていたか?」


藤原は私の疑問には答えず逆に質問してきた。
そんな態度に私はむっとした。


「知らない!
それより加茂君早退したみたいだけど理由知ってるんでしょ?!教えて!」


私の言葉に、藤原は特に表情も変えない。


「京都に呼び戻されたんだよ。
 うちの学生に攻撃的な行動をしたことを京都側に伝えたからな。
 戻って早々こっぴどく叱られてるだろ」


平然とそう言うと藤原は紅茶を飲み出した。


「え、私の名前、出したの?」


私は驚いた。


「まさか。そのあたりはごまかしてあるよ」


「そんなんで向こうは騙されるの?
 そもそも加茂君、色々しゃべっちゃうんじゃないの?」


「騙すというか・・・・・・まぁ方法はあるんだよ。
加茂は簡単には話せない。それは問題ない」


あまりその方法を詳しく話したくないのか、
言葉を濁す藤原に、私はまた大人ならではのごまかしにむっとした。


「で、彼は本当は何しに来たの?」


私の質問に藤原は少し顔を上げた後、さぁな、と言った。


「いや、さぁな、じゃなくて。
さっきから質問ばっかりで私の質問は答えてくれないじゃない。
あの黒い邪気、放置してて良かったの?
また見つけた時、私どうしたら良いの?」


「何もしなくていいよ。放置だ、放置」


「でも悪いものなんでしょ?」


藤原は呆れたように私を見た。


「あんなのはな、日常に沢山あるんだ。
汚れみたいなもんだからいちいち気にしなくて良い。
だけど、変に近づくなよ?
お前は見えるだけで何も対処出来なんだから」


「でも、前回私が居たら消えたじゃない!」


必死な私を藤原はちらりと見ると、大げさにため息をついた。


「例えば・・・・・・火事があったとする。
お前はたまたまその火事が見えた。
俺はプロの消防士で既に消火活動をしていた。
で、そろそろ水が無いなって時に、
お前が水源を見つけて元栓まで走って水を出した。
そのおかげで消火が出来ました。以上」


そう淡々と言い切ると、何事も無かったかのように藤原は再度紅茶を飲んだ。
私はぽかんとその話を聞いていた。
え、私、元栓開ける人だったの?



「じゃ、じゃぁ、私じゃなくても元栓とかなら開けられるじゃない!」


比喩とわかっていても、藤原から私は特別では無かったと言われた気がした。
思わず何故か焦ってしまう。
そんな私を藤原はわかっているかのようにじっと見ていた。
何故かその目の奥が凄く冷たく感じて怖くなる。


「誠太郎は勘違いしているようだが、お前はさっきの例で言えば、
即座に水源を見つけ元栓を開けてこられたんだ。
他のやつらは消火活動で精一杯で、水が無くなることすら気づいてなかったし。
でもそうやって行動して見つけられるヤツは少ない。
そういう点ではお前には才能があると思うが、
だからといって巫女に結びつけたのは短絡的すぎる」


言葉の端々に感情を感じない。
私は少し俯きがちに話す藤原を、正面からじっと見ていた。
その表情はどんどん無くなっていくように見えた。


「藤原は」


聞きたいことがある。でも。
思わず先に名前を呼んでしまった。
藤原の顔がゆっくりと私の方を向いた。
やはり表情はない。
私はごくりとつばを飲み込んだ。


「藤原は、巫女が嫌いなの?」


少し声が震えていたかも知れない。
この話しになる度、藤原は表情を無くす。
そしてどうみても拒絶しているようにしか思えなかった。
聞くのは怖い。
でも聞かずにはいられなかった。


「あぁ。そうだな」


私からゆっくりと視線を外し、藤原は簡単にそう言いきった。
急に部屋の中がしん、となる。

そっか、やっぱり嫌いだったんだ。

突然、胸の奥がちりちりと焦げていく。
その痛みは味わったことが無いもののような気がした。
痛い。あまりの痛さに息が出来なくなりそうだ。
思わず唇を噛む。
下を向いたと同時に、自分のスカートに、ぽたり、と何かが落ちた。
その何かが、ぽたぽたと輪を作って私のスカートを濡らしていく。


「お、おい?!」


突然目の前の空気が、冷たかったものから、私が慣れているいつもの空気に変わった。
立ち上がりおろおろと私に近づいてきた藤原を、私は見ることが出来ない。

そうか。
加茂君にも嫌われ、藤原にも嫌われる、憧れた『巫女』という存在は、
そんなにも皆に疎まれる存在だったなんて、私は微塵も思っていなかった。


「勘違いするなよ?!俺は東雲が嫌いとかそういう意味では無く」


藤原は、ハンカチって持ってないんだよ!あぁティッシュあるからな!と、
あわあわとその場を離れ何か探しているようだった。
私はただそれを、何の感情も無くなったような気持ちでうつろに見ていた。
箱に入ったティッシュを私に差し出しながら、不安げに藤原は私を見ている。


「もし、私が巫女だったら・・・・・・私を嫌うの?」


私は涙が流れたまま、顔をゆっくりと上げて藤原を見つめた。
その言葉を聞いて、藤原の動きが止まる。
そして藤原の目は静かに閉じた後、私からすっと反らされた。

ねぇ、なんで目を反らすの?
なんで、そんな事ないって言ってくれないの?

私は言葉を待っているのに、藤原は顔をそらし黙ったままだった。


「・・・・・・帰る」


私はまだ流れる涙を手でごしごしと乱暴に拭った後、
机に置いたままの鞄を手に取った。


「東雲」


背中から藤原の途惑った声がした。


「もうやだ」


私は絞り出すようにそう言うと、振り返らずに部屋を出た。
廊下を歩きながら段々早足になる。
私は廊下の突きあたりにある、誰も使ってない小さな部屋に飛び込むと、
鍵をかけそのドアを背にずるずると座り込んだ。


「馬鹿みたい」


巫女なんて呼ばれ、特別な存在になれた気がしていたのに、
現実は、加茂君も、そして藤原も嫌う存在だった。

あんなに舞い上がっていた特別な世界が、一気に音を立てて崩れていく。


『巫女になるなんて嫌だ。
 だって、そうなったら私は藤原から・・・・・・』


いつも馬鹿な事を言いあったり、私の前で無防備に寝ていた藤原が、
巫女になればあの冷たい目で私を見るようになるかと思うと、
訳の分からない感情が溢れてくる。
藤原は私が泣いて部屋を出ても、追いかけてきてはくれなかった。
私はその場で膝を抱えたまま、声を押し殺してただ、泣いた。





夢を見た。

長い長い木の廊下、横にはまっ白な沢山の障子。
綺麗に磨かれたその廊下を歩くと、目の前に大きな庭が広がった。
松の木、桜の木に、もみじの木。
大きな池には、美しい色の鯉が悠々と泳いでいる。

その池の畔に、一人の少年が立っていた。

平安時代の装束のような白い着物に烏帽子。

その後ろ姿に、なんだか見覚えがあるような気がした。



「東京はどうなることかと」


振り返ると、障子に陰が映り、奥の部屋で大人達が話しているようだった。


「段々と優秀な子供が産まれなくなったのは、我々にとって由々しき問題だ。

 まぁ今回は、あの子のような逸材が産まれてくれて良かったが」


「やはり東京では血筋の問題か」


「もう少し京都の血も混ぜれば、出来の良い子が産まれるのでは?」


あはは、おほほ、と聞くに堪えない笑い声がする。

この嫌な感じに覚えがあった。

そうだ、以前もこんな嫌な事を聞いたんだった。

まだ池の畔に男の子は佇んでいる。

私は裸足のまま廊下から外に降りると、尖った石の上をじゃり、じゃりと音を立て歩く。

素足に、尖って冷たい石が刺すような痛みをもたらしたが、私はそんなことは気にもせず、その男の子に声をかけようと近づいた。



「お姉さん、ここの人じゃ無いね?」


突然後ろを向いたまま、私を見もしないでそう言われ、びくりと立ち止まった。


「だめだよ、帰った方が良い」


声変わりのしていない可愛い子供の声のはずなのに、何の感情も持っていないかのようだ。

でも、私を心配してこんな事を言っている。

この子はとても優しい子だ、私には何故かそれがちゃんと伝わってきた。


「ねぇ、少し話さない?」


私はこの子と話しがしてみたくなった。

顔が見てみたい。

この子は、どんな風に笑うのだろう。


「・・・・・・だめだよ。

お姉さんがここに捕らわれてしまうから」


「でも」


「ねぇ、お姉さん」


私の言葉をその男の子が遮る。


「僕が大きくなったら、また会いに来て」


「大きくなったら?」


「そう。僕はお姉さんと会った事を忘れるから、 大人になったら、この事を思い出させて」


「何で、君は忘れるの?」


唐突な少年の言葉に私は意味が分からない。

何故この子だけが今日のことを忘れないといけないんだろうか。


「お姉さんが、そんな力をもっているからだよ」


私は未だ振り向かない男の子の声に途惑った。

何故か最後の言葉は、とても寂しそうに聞こえからだ。

そもそも会えるといわれても、今この場所がいつなのかすらわからない。

また私が忘れるかも知れないのに探せるわけもない。

そして、私の力とはどういう事なのだろう。


「本当にまた会えるの?」


男の子の顔が少しだけ、こちらを向いたような気がした。


「お姉さん。未来の僕を、嫌わないで」


一瞬寂しそうな顔を見たような気がしたまま、私はふわっとその場から消えた。







目を開け、今自分が部屋で寝ていたことを理解した。

毛布から時計に手を伸ばし、時間を確認してみれば朝の5時前。

私は時計を元に戻すと、ごろんと眠る向きを反対に変えた。

夢の内容を覚えている。

驚くほどにはっきりと。

でも男の子の顔は全く覚えていなかった。

そして、今まで私が忘れていた夢の一部を思いだしていた。

こんな変化があったのは何かのせいだ。

これにはきっと意味がある。

そして思いつくのは昨日の藤原との一件だった。


「嫌わないで、か」


今嫌っている男性は特にいないはず。

加茂君は嫌いじゃなくて怖いと思っただけだし。

そう思って、ふと一人だけ顔が浮かんだ。

でもそれは、私が嫌われるのであって、私が嫌うのではないのだ。


「まさかね」


長いため息をついて、またごろりと寝返りを打つ。

あの後、泣くだけ泣いて、隠れていた部屋を出た。

もしかしたらどこかで藤原が待っていてくれるかも、何か連絡をくれるかも、なんて淡い思いも、どんなに待っても現実にはならなかった。


また1日が始まる。

私は眠れないとわかったまま、まぶたを閉じた。






やはりあれから眠ることは出来ず、教室に一番最初に登校していた。

もしかしたら手紙でも靴箱に無いかな、なんて思った自分が嫌になる。

いい加減現実を見ないといけないのに。

私は、ただぼんやりと席に座っていた。




「おはよう」


実咲の声に私は上を向いた。

どうやら気がつくと寝てしまっていたようだった。


「寝不足?酷い顔だけど」


机の上に鞄を置きながら、振り返り私の顔を見る実咲に、苦笑いで答えた。


「うん、なんか眠れなかったんだよね」


「もしかして藤原先生となんかあったの?」


「えっ?」


「いや、だって昨日相談に行ったんでしょ?

 あまり良い解決にならなかったの?」


少し心配そうな実咲に私は口ごもる。

どうしよう、本当の事なんて言えるわけが無い。


「あ、えっと、実は会えなくて。

それに本当に単なる寝不足なの。

心配かけてごめんね」


実咲は私をじっと見た後、そっか、また今度話せばいいね、と笑った。

きっと勘のいい実咲は、私の嘘に気がついているのかもしれない。

でも深く聞いてこない実咲の優しさが、今の私にはありがたかった。



その日も加茂君は学校に来ていなかった。

急用のため実家に帰って今週は休むと、途中担任から話しがあった。

ざわつくクラスの中で、真相を知る私は一人、加茂君の事より藤原のことを考えていた。

もういやだ。

私の、今の一番の気持ちだ。

なのに藤原のことばかり考えている。

仲良くなったのに嫌われるということは、どんなに怖い事か。

実咲と塔子に突然嫌われたら、私はどうしていいかわからないだろう。

それと同じ事。

私は落ち込む理由をそういうことだと理解していた。

そして、藤原が追いかけても、声をかけてきてもくれないと分かった以上、本当に嫌われた可能性を考えるようになった。

もうどんな顔をして会って話せばいいのかわからない。

私は藤原に会うのが、怖くて仕方がなくなった。


藤原の授業中も出来るだけ下を向いて目を合わせないようにした。

鉢合わせしないかと、びくびくしながら教室を移動したりした。

一度だけ葛木先生と顔を合わせそうになったけど、何故か私はすぐさま踵を返して逃げてしまった。

そのおかげなのか、何事も無く土曜日の授業を終えることができた。






私はすぐに寮に戻り、制服のまま、ばたりとベットに倒れ込む。

この数日間、ずっと怯えたように過ごしていた。

会いたくない、何も聞きたくない。

その為にはただ逃げるしかなかった。


「疲れた」


藤原との一件から数日しか経っていないのに、緊張し続けていたせいなのか、悲しかったせいなのか、私は酷く疲れていた。

そして今日は、藤原が話しをしてくれると約束していた日だ。

どうせ来る訳もないし、こんなに逃げていて顔を合わせられるはずもない。

私はベットに倒れたまま、疲れて眠ってしまった。






ピンポーン、ピンポーン。
部屋にあるインターフォンが鳴っていることに気がつき、私は未だにだるい身体をゆっくりと起こす。
何か届け物だろうか。
私は入り口にいる人を確認しようと、もそもそとベッドから起きてモニターを見た。
そこには、何故か葛木先生が立っていた。
私は慌てて通話ボタンを押す。


「先生?!」


『あぁ良かった。寮にいたんですね』


心底ホッとしたように、モニターの向こうで先生は言った。


『待ち合わせの時間を遙かに過ぎても来ないので、体調を崩したのではと』


「待ち合わせ、ですか?」


『え?今日1時に待ち合わせだと聞いたのですが』


途惑ったような先生の声に私が途惑う。
一体どういう事だろう。
1時に約束していたのは藤原だったはずで。
あぁそうか。
段々と頭が回ってきたのか、何故こんな事になったのか、わかったような気がした。


「あの、少し話せますか?学校とかで」


私は先生に尋ねた。
寮に男性は原則入れない。
聞かれたくない話をするなら、それこそ学校の方が好都合だ。


『わかりました。私はいつもの部屋にいますから、ゆっくり来て下さいね』


私は、すぐに準備して行きます!と返すと、急いで出かける準備を始めた。
制服のまま寝てしまってシャツはしわになっているが仕方ない。
簡単にブラシで髪の毛を整え、私は部屋を出た。




まだ明るい校舎を早足で歩き、私は社会科準備室についた。
ノックして部屋に入ると、ふわりと良い香りが私を優しく包み込む。
そこには葛木先生が、お菓子と紅茶を用意して待っていてくれていた。


「ちょうどいいタイミングです。お腹は空いていませんか?」


優しく微笑む葛木先生を見て、急に涙が溢れてきた。


「どうしました?!やはり体調が・・・・・・」


「違うんです、すいません。ちょっと寝不足で」


私は口を手で隠して、少しあくびをするまねをする。
葛木先生は心配そうな顔で立ち上がろうとしたが、私は笑顔を浮かべ、大丈夫ですと言って椅子に座った。
それを見て、先生も納得したのか、私の前に紅茶を差し出した。

ずっと気を張っていたせいか、先生の優しさで涙が出そうになってしまった。
でもここで泣いてしまえば、何があったのか聞かれてしまう。
私は泣かないように、また必死に笑みを浮かべた。
紅茶から立ち上がる良い香りが、段々と私の心を落ち着かせる。
私はゆっくりとそれを飲みながら味わった。







「結局、私達は光明の罠にかかったという訳ですか。
あ、コウメイの罠となるとこう、凄く高度な作戦のように思えますよね?」


葛木先生が笑わせようとしてくれることが嬉しくて、私は自然と笑えた。

お互い、今日の待ち合わせについて確認したところ、葛木先生はあの日職員室に呼び出された後、部屋に戻ってきたら藤原に、


『先日迷惑かけた分、ちゃんと謝罪するほうが良い。
せめて食事でも奢ってこい。
土曜日に誠太郎が来ると東雲には伝えたから』


と言われたそうだった。
元々葛木先生は私に負い目もあったのだろう、その話をむしろありがたく思っていたらしい。

だが、私が約束していた相手は藤原だった。
最初はあの日の事があって顔を合わせづらいから、葛木先生を呼んだのかと思ったけれど、実際はあの一件より前に約束されていた。
ということは、藤原は私と葛木先生をデートさせるために、最初からこれを仕組んでいたという事になる。

私はどこまで先生に話すべきか悩んだが、とりあえず、藤原が来ると思っていたこと、その後に喧嘩してしまい顔もみたくないし、きっと来ないと思って行かなかったことを先生に話した。

以前から私と藤原が口喧嘩するのは珍しくなかったし、お互い意地を張って何日も口をきかないなんて事もあった。
葛木先生はそれを知っている。
こういえばいつものことだと納得してくれるはずだ。
だが私の話を聞いて、先生は何故かしばらく黙っていた。


「とりあえず、連絡先を交換しませんか?」


「はい?」


おもむろにスマートフォンを取り出した先生に、私は間の抜けた声を出した。


「今回は確かに色々行き違いがありましたが、やはり連絡が取れずとても心配しました。
ですから連絡先を知っていればこんな事も起きませんし、東雲さんも、何かあればすぐに私に連絡出来る方が安心出来ると思うんです」


ね、と優しく言われて、私はまた涙が浮かんでくるのを必死に堪え、素直に頷いた。




葛木先生と連絡先を交換したあと、たわいもないおしゃべりをする。
先生が私を落ち着かせようとしている事が、ただ嬉しかった。


「その、あまり、話したくはないのかもしれませんが」


しばらくして、葛木先生は言葉を選ぶように話し出した。


「そんなに東雲さんが無理するほどの喧嘩をした原因は、加茂君ですか?」


その言葉に私は俯いた。
先生はやはり気がついていたのだ、私の今の状態を。
確かに発端は加茂君の事だった。
でも、決定的な話しは違う。
どう答えたらいいのか、私は言葉を発せずにいた。





「実は、ここのところ光明の様子がおかしかったんです。
本人は隠しているのか、いたって普通に振る舞っているようでしたが。
東雲さんから、喧嘩した、と聞いて納得しました」


「あの、さすがにそれが原因では無いんじゃないですか?」


なんで私と喧嘩したぐらいで。
だって以前からもあったのに、今回だけそんな事を言うのだろう。
それとも私と喧嘩する度、様子がおかしかったりしたのだろうか。


「いいえ。東雲さんは光明にとって特別ですから」


優しくそう言った先生に、私の中で必死に押さえていた感情が一気に吹き上がった。


「違います!藤原は私は特別じゃないっていいました!葛木先生の早とちりだって!
それに、それに・・・・・・」


「東雲さん?」


私が急に大きな声を出して、葛木先生が途惑っている。
葛木先生は知らないんだ、藤原が巫女をどうおもっているのか。


「藤原、言ったんです、巫女は嫌いだって」


私はぎゅっと右手で左腕を掴む。
俯いていて先生の表情はわからない。


「それは・・・・・・」


「先生が本当の事、知らないだけです!ちゃんと本人から聞いたんです!
 私が巫女だとわかっ、たら、嫌いに、なるって・・・・・・!」


ぼたぼたと涙が落ちだして、私は必死にその涙を手で拭う。
あっという間にその手からも涙が落ちて、鼻水まで出てきて、喉が苦しい。
最後は途切れ途切れになりながらも、必死に言葉を出した。

部屋には私の押し殺した泣き声だけが響く。
それがやたらと自分の耳に届いて、余計に涙が出てくる。
気がつけば俯いた私の目の前に、ハンカチが差し出されていた。


「綺麗ですから。使って下さい」


私は目の前が涙でぐにゃりとしたまま、じっとそれを見た後、受け取って目に当てた。
先生が側に来て、私の背中をゆっくりとさする。
既に泣いているというのに、私の涙はまた酷く流れてきた。
泣いて泣いて、自分の身体が細かく震える。
息がなかなかできなくて、とても苦しい。
葛木先生は優しくさすりながら、そんな私にずっと付き合ってくれた。


しばらくして、先生がぽつりと話し出した。


「光明の家は、少し複雑なんです」


私は呼吸を整えながらそんな先生の言葉を聞く。


「光明が4歳の時に両親は別居して、今もそのままです。
そして、光明の父親、先代の長が今一緒に居る相手は、
長の・・・・・・巫女だった人です」


私は思わず横にいる葛木先生を見た。
先生は私に少し微笑んだ後、私の背中に当てていた手を離して、私の隣の椅子に腰掛けた。


「幼い頃からずっと、母親から、巫女は忌々しい存在と聞かされてきたんです。
父親の同居している相手がそうだと光明が知ったのは少し後になりますが。
逆に、私達他の者は、巫女の存在は尊いと教わってきました。
そうですよね、自分の仕える長を一番助けられる唯一の存在なんですから。
でも、ただの子供からしてみれば、そんな事を母親から聞かされ、
今父親と一緒に居るのはその忌々しい相手と知って、複雑だったと思います。
だから」


先生を少しだけ見る。
それに気がついたように、先生は私を見た。


「一人の人間として、巫女という存在に悩んでいるんだと思います」


私は呆然とした。
そんなの、好きになれる訳が無い。
だってその人のせいで、両親はバラバラになってしまったんだから。




「なら、嫌うのは当然じゃないですか」


納得するしかなかった。
そんな、家族を壊した存在と同じになるかもしれない私に、優しく出来るわけがない。


「いえ、だから違うんです」


「違わないですよ!だから、藤原は嫌いだって」


私はムキになって言った。
先生は何もわかっていない。
藤原があんな心が死んだようになるのは、全てそのせいだというのに。


「聞いて下さい、東雲さん」


かっとなっている私を宥めるように、先生はゆっくりと優しく声をかける。


「今、光明は、父親と一緒に居る元巫女の女性とは上手くやれているんです」


「えっ?」


全く予想外の言葉に私は声が漏れた。


「光明が本当に嫌っているのは、『巫女』という存在を作り上げ、いつも祭り上げようとしてる事なんです」


「いや、だから、藤原は巫女が嫌いだって」


「えぇ、『巫女』という制度を嫌っているんです。
そういう存在がいないと東京の陰陽師の長は長く務められない、絶対に必要だと、
光明自身を含め、全員が思い込んでしまっている現状を」


わからない。
それは結局巫女になった人を嫌うことと同じなのでは無いだろうか。
実の父親と一緒に居る元巫女を、本当はまだ恨んでいるのかもしれない。
だからこそ私が巫女になったら嫌うと言ってしまったんじゃないだろうか。


「東雲さん」


途惑う私に、葛木先生は隣からゆっくり名前を呼んだ。


「光明は、本当は何と言ったのですか?
東雲さんを嫌う、とはっきり言ったのですか?」


そう言われてあの時のことを思い返す。


「・・・・・・私が巫女だったら嫌うのか聞いたら、藤原は目を反らして黙ったんです。
ずっと何も言いませんでした。
それは、嫌いになるって事ですよね?」


私は話しながら情けなくなっていた。
なんでこんな辛い事を話さないといけないんだろう。


「それは、はっきりと言ったわけでは」


「違うなら違うって言わないんだから同じです!」


私は一気にまくし立てた。
葛木先生はフォローしようとしているんだろう。
でも違う。
私はまた涙が浮かんでくるのが、嫌で仕方がなかった。


「あの子は、不器用なんです」


だからなんだというのだろう。
私は酷く疲れていた。


「光明は、育ってきた環境が私が見ていても厳しいものでした。
光明の母はとても厳しい方で、光明が甘えたところを私は見たことがありません。

父親は長の仕事で忙しく、そしてまだ光明が小さいというのに、自分の側に居る相手を実の子供ではなく、自分の巫女を選びました。
小さいながらに沢山の事を背負い、誰かに甘えるなど無理だったんです。

だけど。
だけど、東雲さん、あなたには甘えているんですよ」


私はぼんやりとその言葉を聞いていた。
何をまた、私は特別みたいな言い方を、先生はするんだろう。

もう二度と、そんな耳障りの良い話しを聞いて、勝手に舞い上がるなんて事はしたくない。