「東雲」
低い声がずん、と身体に響いた。
藤原の声だとわかるのに、でも違う。
なんて低くてぞくりとする声なんだろうか。
私はドアに手をかけたまま固まった。
足音が近づき、助手席のドアに手が伸びたかと思うと、ゆっくりとドアが開けられた。
私は手を離し、呆然と見上げる。
そこには外灯の光を背に浴びた神主のような帽子と装束を着た藤原が立っていた。
私は何だか神々しくそれが見えながらも、無表情に真っ直ぐに私を見るその眼に怖さを覚えた。
「今日の記憶を封印しろ」
近くに来た葛木先生に低い声で藤原は言った。
「ですが!」
「やれ」
「ちょ、ちょっと待って!」
私の名前を呼んだのに。
その後私を無視してそんな事を言い放ったことに驚いた。
「記憶を封印ってなに?!」
「すぐに終わる。
お前は今まで通り普通の高校生として過ごせばいいんだ」
未だ無表情のまま淡々と話す藤原が怖いと思いつつも、段々腹が立つ方が大きくなった。
「あのねぇ!私は何がなんだかわかんないの!
やれ陰陽師だの、藤原を助けて欲しいだの、
禍々しい黒い煙やら唐突に経験して!
葛木先生は理由話すって約束したの!
勝手に藤原が反故にしないでよ!」
私は必死にまくし立てた。
何だか訳が分からなくていらいらする。
「まだあまり知らないなら好都合だ。
封印しやすい」
藤原はまた葛木先生を見て言った。
私が目の前にいるってのに!
私は思わず側に居る藤原の装束の袖に手を伸ばし強く引っ張った。
突然の事なのか、驚いて藤原がよろめいたのを私は気にせずにそのままもっと引っ張っぱる。
いい加減ちゃんと私を見てよ!
藤原は私の座る助手席の前にがくりとひざをつき、私のすぐ前で呆然と見上げている。
ついさっきとは目線が逆転していることなど、私は気がついていなかった。
私は席に座ったまま、上半身を外に向け藤原と向かい合う。
私は途惑った顔の藤原の頬にゆっくりと両手を伸ばし、
そっと包むように触れた。
藤原が目を見開いて私を見ている。
何故かそんな顔に笑いがこみ上げてきた。
「やっぱり冷たい。
ねぇ、何でそんなに心を押し殺してるの?」
思ったより穏やかに私は話していた。
だって伝わってきたんだもの、藤原の私を守ろうとする必死さが。
「最初に私を頼ったのは藤原自身だよね?
それで中途半端に事情を教えておいて今度は突き放すの?
そりゃぁ私は子供だけど、藤原達に勝手に記憶をどうこうされるのは納得いかないよ」
藤原はじっと聞いていたが、少し俯いたあと、身体を後ろに引いて私の手から逃げた。
「・・・・・・そうだ。
最初にお前に甘えたのは俺だ。
巻き込んでしまった原因も俺だ。
誠太郎をこんな行動に走らせた原因も俺だ。
わかってる。
でもな、まだ戻れるんだ。
お前には普通の高校生で、何も知らずに生きる道があるんだ。
どうかわかってくれ」
絞り出すように、苦しそうな顔で藤原は話す。
私に目線を合わせないまま。
「知っちゃうと私はどうなるの?」
「今までの高校生活のままとはいかなくなるだろう」
「まさかどっかに幽閉されるとか?」
「そうしようと過激な行動に出る者が居ないとは言い切れない」
幽閉?秘密を知った以上ということだろうか。
私は予想以上の答えに言葉を失った。
「そんな事はさせません。
東雲さんの身は私が守ります」
さっきまで静かに聞いていた葛木先生が割って入った。
「そういう問題じゃ無いだろう!」
「彼女が貴方様の唯一無二の存在である可能性がある以上、そう簡単に手放すのは反対です」
「唯一無二?」
「えぇ、貴女は光明様にとっての巫女である可能性があるんです」
「誠太郎!」
葛木先生の言葉に藤原は立ち上がって声をあげた。
「巫女?」
私は向けられたこともない言葉に思わず聞き返した。
「陰陽師の長を真の意味で助けられる女性の事を巫女と呼ぶのです」
「それ以上話すな!」
藤原が葛木先生のジャケットの襟元を勢いよく掴んだ。
「藤原!落ち着いて!」
「いいか東雲それ以上聞くな。
ドアを閉めろ」
「自分自身の巫女に出逢えるかどうかで長の力と、いつまで長として務められるのか劇的に変わるんです。
唯一無二である大切な存在なのです」
ジャケットの襟を両手で掴まれたまま、葛木先生は私の方に首を傾けて私に向かって話している。
藤原はその手を乱暴にを離したかと思うと、すぐに私のそばに来てドアを閉めようとした。
「そんなに消したければ命令なんかしないで藤原が自分で消せばいいじゃない」
私は思わず藤原を睨みながら言った。
その言葉に藤原が一瞬怯んだのがわかった。
「長は巫女自身が否定する事は出来ないんですよ。
だから私に命じてるんです」
「でも私がそれだと決まった訳では」
「もし記憶を封印しようと試して出来なければ、それが巫女である証になってしまうからですよ」
「誠太郎!」
苛立った声をあげる藤原をよそ目に、私は静かに説明する葛木先生をじっとみていた。
そうか、だから私に藤原は何もしないんだ。
「命令だ、記憶を封印しろ」
「だから待ってってば!」
再度大きな声で言う藤原に、私も負けじと声を上げた。
「お前の指図はうけない」
「葛木先生より藤原が偉いのはわかった。
でも私と先生達に上下はないじゃない!」
「俺たちは教師だから上だ!」
「何それ!そういう偉そうな気持ちでやってた訳?!」
「教え導くのが教師の存在だ。
未成年の学生ならなおさらだ!」
「なら本当のこと教えてよ!
一方的にそっちの持論を押しつけないで!」
「お前はなんでそう生意気なんだ!」
「うっさい!藤原のくせに!」
ぎゃぁぎゃぁと言いあっていたら、ぶっ!と笑い声が聞こえた。
二人してそちらをみれば葛木先生が口に手を当て肩を震わせて笑っていた。
「葛木先生・・・・・・」
「すみません、本当に仲が良いな、と」
「「どこが?!」」
「ほら」
同時に同じ言葉を葛木先生に発してしまい藤原と顔を見合わせる。
急に何だか気恥ずかしくなった。
「教師としてなんて言うのなら、
それこそ東雲さんの意志を無視するのはどうかと」
「おまえねぇ・・・・・・」
楽しそうに声をかける葛木先生に、藤原はため息をついた。
なんとなくいつも見ていた二人に戻ったような気がして少しだけホッとした。
「ねぇ」
私は藤原に声をかける。
藤原は何か諦めたように私を見た。
「とりあえず全て話してよ。
それから封印するか決めちゃだめ?」
「そもそも全ては話せないし、記憶に残ることが増えれば増えるほど封印しにくくなるんだ」
「なるほど。
じゃぁその時は再度考えるって事で」
「お前なぁ」
藤原は額に手を当てて盛大にため息をついた。
「私は、今のため息ついてる藤原の方がいいよ。
さっきまでの無表情な藤原より遙かに良い」
私の言葉に驚いたように藤原は目を丸くして私を見た。
そうだ、最初会った時の無表情で感情を押し殺した冷たそうな藤原より、学校でいつも見ていたダメな藤原の方が遙かに良い。
これは本心だった。
「そうか・・・・・・」
藤原はそういうと俯いてしまった。
もしかして凹んでしまったのだろうか。
不安げに葛木先生を見れば穏やかに笑っている。
「とりあえず」
藤原は顔を上げると私をじっとみた。
「さすがに眠いだろ」
「ハイになってるのか眠気とかすっ飛んでよくわかんない」
「そうだろうな」
「明日藤原の授業あるよね。
寝てていい?」
「俺も毎回睡眠不足でも授業するんだ、我慢して起きていろ。
せっかくだ当ててやる」
にやりと笑われ、私は思わず頬を膨らませた。
でもじわりと嬉しさがこみ上げる。
あぁいつもの藤原だ。
「もう月曜日だな」
藤原は空を見上げながらぽつりと呟いた。
「・・・・・・明日、いつも通り放課後手伝え」
ぶっきらぼうに言ったかと思ったら、藤原は私を向いて、笑った。
それは私に話してくれるという事だとわかった。
私の気持ちを潰さずに話すことを選んでくれた事に、私はとても嬉しくなった。
でもそんな気持ちは教えないかのように、私はわざと仕方なさそうにため息をついた。
「そんなに言うなら仕方がないなぁ。
あ、葛木先生、明日のお菓子は思い切り甘いのが良いです」
「わかりました、腕によりをかけましょう」
そんな私の言葉に、葛木先生は嬉しそうに答えた。
「嫌なら来なくていいぞ」
「来て欲しいなら来て欲しいって素直に言えば良いのに。
良い歳してひねくれてるなぁ」
「お前なぁ」
呆れた声を出した藤原と思わず顔を見合わせて笑った。
気がつけば真っ暗だった空が段々と白み始めている。
私は助手席から外に出ると、
三人でその淡い光の差しだした空を見上げた。
部屋に戻り時計を見る。
いつもの起床時間を考えたら、もうそんなには眠れない。
いや今は眠気など無かった。
あの後、藤原と別れ、葛木先生が寮まで送ってくれた。
本当の事を話して欲しいとお願いしたが、光明がいる前じゃないと話せないと、私の必死の質問に一切答えてはくれなかった。
絶対に眠れないと思っていたが、気がつけば寮の前で葛木先生に声をかけられるまで爆睡していたようだった。
シャワーを浴びてベットにもぐっても、思い出すのはさっきまでのこと。
見たこともないお祈り(邪気払い、というらしいけど)を見て、
藤原が陰陽師のトップで、葛木先生も陰陽師で、
私がもしかしたら藤原の唯一無二である巫女、
というものである可能性があること。
はっきりいって私は興奮していた。
平凡だった自分が、突然特別な世界に招待され、
そして貴女はその中でも本当に特別な存在かもしれない、なんて言われたのだ。
それも『巫女』、なんて素敵な響きの言葉が自分にむけられて嫌な気分になる訳が無い。
私は自分の顔がにやついているのがわかった。
ベットにもぐり、枕に顔を埋めながら足をばたつかせる。
もしかして夢だったらどうしよう。
急にそっちの方がこわくなってきた。
そういえば霊感が強いとか葛木先生に言われたことを思いだした。
霊感が強いとその辺を歩いている人間と霊の見分けがつかないなんてことを聞いたことがある。
私は寮の食堂が開いたらすぐに行って、確かめたい気持ちで一杯だった。
朝7時に開くと同時に食堂に行くなんて初めてだったが、
思ったよりも生徒は既に食事を受け取るために並んでいた。
じっと人を見る。
あっちも、こっちも。
でも、何も感じないし、私には全員人間にしか思えない。
昨日は着いてから、違和感とかオレンジの光とかが見えたのに。
もしかして夜しかダメなのだろうか、
などと考えていたら声をかけられた。
「なにやってんの?きょろきょろと」
そこにいたのは不思議そうな顔で覗き込んでいる実咲だった。
そういえば実咲は朝練で朝は早いんだったっけ。
「あ、いや、この時間に来たの初めてだったから」
思わず少し不自然な顔で笑ってしまう。
そんな私を実咲はじろじろと見た後、そっか、と言い、
朝食のメニューをどれにするか尋ねてきた。
私はやりすごせた事にホッとしながらも、
特に自分が変わっていないことにがっかりとしていた。
でも今日の放課後になれば話が聞ける。
私はそれだけでいつもなら憂鬱な月曜日が、
初めて楽しみに思えたような気がした。
英語の授業の時間を楽しみにしたのも初めてだったと思う。
私はどきどきしながら、
黒板に向かい説明する藤原をじっと見ていた。
しかしびっくりするほどいつも通りで、
当ててやるなんて言ったのに、
私が当てられることは最後まで無かった。
そして一度も目線が合うことすら無く、
授業は終わった。
私は拍子抜けしたような気分でいた。
やっと放課後になり、私は実咲と塔子に、
葛木先生に質問して帰るから、と言って教室を出た。
今日の昼は月曜日だというのに藤原が来なかったため、
二人は、痴話げんか?離婚の危機?
などと言って昼休み中私をからかって遊んでいた。
内心『放課後会う約束しているから来ないの』、
なんて事を言いそうになるのを必死に押さえていた。
今まで嫌がっていたのに急に楽しみにしてるだなんて、
それこそ二人にとってはからかう口実になってしまう。
何とかそれを乗り切り、英語教師室に直接行くとも言えないので、
申し訳無いけど葛木先生を利用させてもらった。
この学校が良いところの1つは、
先生に質問をしに行くことがおかしいと思われないことだ。
中学の時そういうことをやっていたら、真面目、優等生ぶっちゃって、
などと陰口を言われ、悲しいやら悔しいやらで仕方がなかった。
そのうち私は質問自体をすることをやめてしまった。
純粋に質問したいだけなのに、
それがおかしいと思われていたことが、
ここではむしろ推奨され、ごく普通の事なのだ。
なのであちこちで先生と生徒が議論していたり、
生徒同士で教え合ったりしているこの学校はとても素敵であり、
今回は申し訳無いけど利用させてもらった。
私は走りそうになる気持ちを抑え、
やっと英語教師室の前につき軽く呼吸を整えた。
「失礼しまーす」
二回ドアをノックした後ドアを開けた。
しかしいつもなら出迎えてくれる藤原は、そこには居なかった。
「あれ?」
中に入って藤原のデスクの上を見れば、手書きのメモが置いてあった。
--職員会議で終わる時間がわからないので、
質問のある生徒は明日来なさい。藤原--
と、綺麗な字で書かれている。
私はそれをじっと見た後、
おそらく私に向けてのメッセージだと理解した。
ようは今日は話しを聞けなくなったのだ。
それなら葛木先生を捜そうかと思ったが、
藤原が居ないと話さないとあれだけ言われた以上、
二人揃わなければ無理だろう。
もしかしたら戻ってこないだろうかと少しの間部屋にいたが、
結局戻ってきそうにもないので、
心底がっかりしながら私は部屋を後にした。
翌日も放課後行ってみたがやはり居なかった。
藤原から何か声をかけてこないかとそわそわしていたが、
藤原も葛木先生からも何も無い。
私は金曜日さすがに限界になり、
藤原の授業が終わった後、
教室を出て行く藤原を急いで追いかけ呼び止めた。
「あの、質問が」
私の少し焦ってるような声を気にしないかのように、
藤原は少しきょとんとした顔をした。
「教科書持ってないじゃないか」
「だから放課後ゆっくり」
「悪い、今日も職員会議なんだ」
「え、今日も?!
というかいつになったら!」
私はヒートアップしそうになってしまい慌てて押さえる。
廊下で私達の横を通る生徒達が、
ちらちらこちらを見ているのに気がついたからだ。
「わかんない場所は、
昼休みにでも職員室に来れば教えるから」
私の反応を見ても藤原はいつもの屈託のない顔で笑いかけた。
職員室でと言うことは他の先生達がいる以上、
ようは話さないという事だ。
私は頭にきていた。
月曜日に話すといったのに。
その後も何も言わないで、
やっと聞いてみたらこれだ。
腹が立って、『この人陰陽師なんですって!』とか、
ばらしてやろうかとか馬鹿な事が頭をよぎる。
私は俯いた。
大人って、結局こうやって身勝手なんだ。
「嘘つき」
私は俯いた顔を上げ、思い切り藤原を睨んだ後そう言うと、
踵を返して一度も振り返らず足早に教室へ戻った。
何だか涙が出てきそうになる。
悔しい。
何だかとても悔しい。
「どうしたの?」
どかりと席に座った私を、
後ろの席の塔子が声をかけた。
「なんか頭に来て」
「喧嘩するほど仲が良いってやつじゃないの?」
前の席の実咲が振り返り、
面白そうに茶々を入れる。
「そうじゃないよ。
なんか藤原も嫌な大人なんだなって思っただけ」
そう言って机に突っ伏した私を、
塔子と実咲はきょとんと私を見ているようだった。
日曜日になっても藤原達からなんの連絡も無かった。
夜になり時計を見る。
先週はこの時間に葛木先生と出かけ、
あの出来事があったことを思い出す。
しかし一週間も経つと、
自分の見聞きしたことが本当にあったのか、
自信が無くなってきていた。
せめて幽霊とか見えたり、
式神でも扱えたなら自分に起きたことが現実だったとわかるのに。
しかし現実は藤原達と話しも出来なければ、
自分には何の変化もない。
「今日もあんな事してるのかな」
ベットでごろごろしながら浮かぶのは藤原の顔。
無表情であんな大変な事を今日もしているのかと思うと、
私も誘ってくれたら良かったのに、
なんて思ってしまう。
もう一度あの非現実な時間を過ごしてみたい。
また巫女って言ってもらいたい。
偶然手に入った特別な世界が夢だったのではと私は心配になった。
「藤原達の連絡先なんて知らないし」
スマホを見たってメールが来る訳でもない。
でももしかしたら今日も凄く疲れたら私を頼ってくれるかも、
という期待が膨らんだ。
そうだ、今度こそ会えるかも知れない。
私は希望がもてたような気がして眠りについた。
「今日転校生が来るんだって!」
月曜日の朝教室に入ると、その話題で教室は盛り上がっていた。
「おはよう。転校生来るの?」
輪になってうきうきと話す女子達に私は声をかけた。
「さっき日直が職員室行ったら先生から言われたんだって!」
「男子って話しだよ!」
「イケメンかなぁ!」
そうやって盛り上がる女子達とは正反対に、
男子達は、何だよ、男かよ、
と肩を落としている。
こんな中途半端な時期に転校なんて大変だろうなぁなんて思いつつ、
やはり昼休みに藤原が来てくれるのか、
来なかったら直接行ってやろうという事のほうが私の心を占めていた。
それにまた体調が悪いのを我慢しているのならそれこそ心配だ。
きっと私が必要になってるはず。
藤原が消耗していることを喜んでしまっている自分を、
私はあまり悪いことのようには思えていなかった。
「加茂照清(かも てるきよ)君だ。
本当はみんなと同じように4月からここに通うはずだったが、
家の都合で今日になった」
授業の始まる前に、
担任が転校生を連れてきて話し出した。
「加茂照清です・・・・・・。
よろしくお願いします・・・・・・」
少し癖のある長めの前髪、大きな黒縁眼鏡、
猫背でいまいち表情が見えない。
その上緊張のせいかぼそぼそと名乗った彼に、
女子達のテンションが一気に下がっていくのがわかった。
少し身体を丸めてあてがわれた席に着く彼を見る。
きちんとうちの制服を着ている。
彼も通知をもらった側だとしたら、
彼のようないかにも平凡な生徒が選ばれた事に少しホッとしてしまった。
いや、でも実は凄く頭が良さそうにも思える。
そんな馬鹿な事をぼんやり考えながら授業が始まった。
やはり昼休みに藤原は来なかった。
私は授業後の掃除を終え、
今度こそ逃すものかと英語教師室に向かっていた。
その途中できょろきょろとしている加茂君を見つけた。
「どうしたの?」
私は彼に後ろから声をかけた。
びくりと身体を丸めたまま私の方を彼は振り向いた。
すぐ目の前で向き合って気がついた。
あれ?身長私と同じくらいだと思ったけど、
思ったより高そうだ。
声をかけた私の存在に、
彼は途惑っているようだった。
「私、同じクラスの東雲。
何か探しているの?」
そういうと初めて彼が私と目線を合わせたようだった。
しかしすぐに反らされた。
「その、職員室を・・・・・・」
「職員室はこの階じゃないよ。
案内するから一緒に行こうよ」
私が笑いかけると彼はまたすぐ目を反らし、
ありがとうございます、
と小さな声で返事をした。
職員室に行くまでそんなに距離も無かったが、
少しだけ彼と話しをした。
直前まで通っていた学校は京都にある学校で、
生まれも京都だという事。
中学の修学旅行で行ったことがあるよ、
としか私は返せなかったけれど。
「ありがとうございました」
職員室につくと彼は律儀にお辞儀をした。
「お辞儀とかいらないって!
あと敬語もいらないからね」
私の言葉に彼はじっと私の顔を見た。
前髪と眼鏡のせいかいまいち彼の表情がわからない。
「あの、その・・・・・・」
実はこっそり藤原と葛木先生がいないか職員室の中を見ていた私は、
声をかけられびくりと彼を見た。
「もしこの後予定とか無かったら・・・・・・、
学校の中を案内してもらえないでしょうか」
俯いたままそんな事を彼に突然言われ、私は困惑した。
今見たら職員室に二人は居ないようだ。
ならいつもの場所にいる可能性があるわけで。
加茂君は私の葛藤など気にもせず、
俯きがちに少しもじもじとしている。
私は申し訳無いけど断りの言葉を口に出そうとした。
「あの・・・・・・やはりご迷惑です、よね・・・・・・」
加茂君は眼鏡を通し、じっと私を見ていた。
少しタレ目の大きな瞳が潤んでいるように見える。
あぁ!そんな捨て犬みたいな目で見ないで!
私は思わずその寂しそうな態度に、
断るための言葉を出しそびれた。
「すみません・・・・・・。
突然失礼な事を・・・・・」
「あ、いや、そんな事ないよ!」
「じゃぁ案内して頂けるんですね!良かった!」
ぱっと加茂君が顔を上げる。
しまった!誤解される返事しちゃったよ!
そんな私の動揺などお構いなしに、
目の前に居るわんこの尻尾がぶんぶんと振りだしている気がした。
だめだ、もうこんなの断れない。
「う、うん。
ちょっと用事あるから長くは無理だけど、それで良いなら」
「ありがとうございます!」
ぱっと下がっていた耳が立ち上がっているように見えた。
彼は、すぐ用事を済ますので待ってて下さいね!と言うと、
足早に担任の元へ向かっていった。
「あれ?ゆい?」
背後からの声に振り向けば塔子が日直の日誌を持って立っていた。
私は成り行きで転校生の案内をすることになったことを話した。
それを聞くと塔子は少し黙ってしまった。
「加茂くん、あまり信用しない方が良いと思うよ」
「えっ?」
そんな事を真顔で言う塔子に私は驚いた。
「多分あれは」
「お待たせしました!」
さっきまでとはうってかわって、
はっきりした声を背後からかけられ私はびくりとした。
そこにはおどおどなどしていない、
何か嬉しそうな加茂くんがいた。
そんなに案内してもらうことが嬉しいのだろうか。
言葉を言いかけてた塔子に私が再度振り向くと、
眉間に皺を寄せている。
「お節介もほどほどにね」
「あ、うん」
塔子はそういうと、私と加茂くんの前を通り職員室に入っていった。
「クラスの人ですよね?」
「うん」
「何やら僕は嫌われてしまったようです・・・・・・」
「え、そんな事無いんじゃないかな」
寂しそうにする彼にフォローを入れた。
だが塔子がそんな事を言うのは初めてだ。
以前塔子が話してくれた事と何か関係があるのだろうか。
私は気になりながらも学校の案内を始めた。
図書室や保健室、授業で使う各科目用の教室などを案内する。
加茂君は急に懐いたわんこのようだった。
俯いておどおどすることもなく、物珍しそうに色々な場所を見ていた。
「東雲さん」
そろそろ案内を終わらせたいけど、どう切り出そうか悩んでいたその時、
聞きたかった柔らかな声が聞こえた。
私は思わず、葛木先生!と、嬉しさがわかりやすいほど滲み出た声を出してしまった。
「ちょうど良かった。
委員会の件で聞きたいことがあるのですが」
私に話しかけた後、隣りに居る加茂君に葛木先生は笑顔を向けた。
「転校初日にもうクラスメイトと仲良くなっていたなんて。
安心しました」
「はい・・・・・・」
急に小声で俯いた加茂君に、
やはり人見知りが激しいのかなと私は思った。
「ではすみません、東雲さんをお借りしますね」
「え?」
私は突然そんな事を言った先生を驚いて見上げた。
「はい、失礼します・・・・・・。
東雲さん、ありがとうございました」
「あ、うん。またね」
ぺこりとお辞儀をすると、加茂君はすたすたとその場を去ってしまった。
私はそのやりとりに途惑って先生を見上げる。
「とりあえずこちらに」
そう言われすぐ近くの社会科準備室のドアを開けると私を中へと促した。
私が入ると先生も入ってきてすぐにドアのカギを閉める。
「奥の部屋に」
やっと意味が分かった。
私は奥の部屋のドアを開けた。
そこにはパイプ椅子を並べて寝転がっている藤原がいた。
「よぉ」
「何がよぉだ!」
藤原は起き上がると、ぼーっとした顔で片手を上げた。
私はそんな体調が良く無さそうな姿を見て、
思わず駆け寄って椅子に座ったままの藤原の頬を触りそうになった。
それを寸でのところで踏みとどまり、両手で思い切りその頬を引っ張った。
「お前!教師に向かってなんて事すんだよ!」
「うるさい!叩かれてないだけありがたく思いなさいよ!」
藤原は引っ張られた頬をさすりながら私を睨む。
私はそんな事に怯むことなく腰に手を当てたまま、藤原を睨みつけた。
最初、怒るより調子の悪そうな藤原を心配する方が勝ってしまった。
そんな自分にも腹が立つ。