暗闇の中に佇んでいた。
何故こんな所に私はいるのだろうか。
何か明かりは無いだろうかと目を凝らしていたら、遠くにぼんやりと明かりが見える。
私はそこに向かいゆっくりと歩く。
何も聞こえない。
足音すらも。
そしてその明かりの下に、ぽつんと正座をしている子供の後ろ姿が見えた。
後ろ姿なので顔はわからないが、男の子だろういうとはなんとなくわかった。
真っ暗闇に光を携えた小さな男の子。
寄せ付けない凛とした姿に、私は少し見とれてしまった。
でも。こんな暗闇に独りだけ。
この子は、寂しくはないのだろうか。
ジリリリリリ。
布団から手を伸ばし、ぱしりと叩いて目覚まし時計を止めた。
『なんか、不思議な夢だったな・・・・・・』
さっきまで覚えていたようで、いざ思い出そうとしたら夢の内容が思い出せない。
ただわかるのは、心の中に残ったよくわからない感情だけ。
私はまだ気だるさを残したまま、学校へ行く準備を始めた。
ーー私立 晴陽学園。
都内から少し離れた場所にある、中高大一貫教育を行う割と規模の大きな学校だ。
中高は原則寮生活で私は高校からの編入組。
この学校に入るには学園側からの試験招待通知が届いた生徒、
ようは学校側が声をかけた生徒では無い限り、
試験そのものを受けることが出来ない。
それは自宅と学校両方に通知されるのだが、
これがうちの中学に来た時は校長室に呼び出され、
校長先生はじめ先生方にそれはそれは大喜びされた。
その理由はこの学校の卒業生が芸術家から政治家まで幅広く優秀な人材を世に送り出しているという実績があるからで、
そんな学校からうちの学生にお声がかかったという事が大人達のプライドをくすぐったらしい。
きっとこんな公立の中学に通知が来ることは無いのだろう。
でも私だけそんな通知が来ることに理解が出来なかった。
文武両道でも無い。
一芸に秀でている訳でもない。
ましてや美人な訳でもない。
でも先生方曰く、学校側が膨大なデータを持っていて、
伸びしろのある生徒も声をかけているなんて言うが、
通知の基準を公開しないため、先生方も選抜理由がわからないようだった。
私は最初あまりに胡散臭い気がして尻込みしていたが、
通知者だけに開かれる学校説明会に先生方の強烈な後押しもあり参加したところ、
一気に気持ちがかわった。
沢山の部活、自由な校風。
先生と生徒の垣根が低く、仲が良いのが伝わってきた。
小学校、中学校といじめの経験がある私にとっては、
ここなら大丈夫かも知れないという期待もあった。
元々費用を抑えるため高校も公立に行く予定だったが、
寮に入る割に授業料含めてもかなり安いこともあり、
両親も大喜びでここを第一希望に試験を受け見事合格、
今私はこの寮で一人暮らしをしながら学校に通っている。
楽しい学校生活なのだが、やはりかったるいときだってある。
特に月曜日の授業は何故こうも長くて、かったるく感じるのだろうか。
やっと昼休みが始まり、購買にいく生徒、
他の場所で食事をとりにいく生徒などで一気に教室内が騒がしくなる。
「今日は来ると思う?」
ショートカットで少し日に焼けた顔をにやにやとさせながら、
風間実咲は楽しげに隣の黒髪でボブカットの少女に声をかけた。
「来るでしょ」
断言するようにわざと眼鏡をもちあげて、古川塔子は言った。
「やめてよ。もし来たら私は居ないって言ってね」
私は朝買ってきたサンドイッチを袋からごそごそと開けながらため息をついた。
そう、月曜のこの時間になると、ある人間がほぼ毎週この教室に現れるのだ。
出来れば今日は来ないで欲しい。
早く帰って録り溜めたアニメが見たいのだから。
「東雲いるかぁ」
ぶっ、と同時に吹き出している友人達を無視し、私は慌てて机の下に潜った。
『居ないって言って!』
小さい声で友人達に合図したが、
上からはくすくすという可愛い笑い声しか聞こえない。
足音はどんどんこちらに近づいているのに、
未だ友人達の助け船は無い。
うん、世の中こんなもんだ。
「なんだ、避難訓練か?」
じっと机の下で息を潜めて体育座りをしていたら、
上から覗き込むように突然顔が近くに出現し、
思わずひっ!と声をあげた。
「お前、人を妖怪かなんかみたいに扱うなよ、ひでぇなぁ。
じゃ、いつものように放課後手伝い頼むな」
覗き込んだまま最後は笑顔でそういうと、
足早に教室のドアへと向かっている。
私は慌てて机の下から顔を出し、
その教師の背中にむかって声を上げた。
「行かない!今日は絶対行かない!用事があるのー!」
だが本人は背を向けたまま手をひらひらさせて立ち去っていった。
あぁ、相変わらず周囲の視線が痛い。
「いい加減諦めたら?」
立ったまま拳を握りしめる私に、塔子は呆れた声で言った。
「旦那が毎週二人で会いたいって言ってるんだから、奥様は当然行かないと」
おにぎりを口に運びながら、にやにやと実咲が私を見る。
「いや二人きりじゃないから。実咲と塔子は楽しいかも知れないけど、
私は迷惑以外何ものでも無いってわかってるよね?」
くすくすと笑うさっき見放した友人達を睨むと、
サンドイッチを食べるため私はどすんと椅子に腰を下ろした。
藤原光明。
私の学年の英語を担当している教師だ
ざっくばらんな性格で男子生徒にも兄貴分として人気があり、
顔もまぁ悪くないせいなのか、
女子生徒が職員室で囲んで騒いでいるのも見慣れた光景だ。
屈託無く笑うその顔は、24歳という年齢より遙かに幼くみえる。
本人は童顔を気にしているようだけど。
放課後になり友人達に冷やかされながらも、私は仕方なくの目的地へと向かう。
あぁ今日は早く帰りたかったのに。
「来てあげましたよ~」
英語教師室という名の藤原の自室のドアを軽くノックし、私は中に入る。
「おー、待ってた」
明日の授業の準備だろうか、
テキストやプリントを広げた机にむけていた身体を、
藤原は椅子を回転させてこちらを向いた。
あれ?昼見た時より顔色が悪くなってる気がする。
「いい加減夜更かし止めたら?今日の顔色、本当に酷いよ?」
「そうだなぁ、やめられたらどんなに良いか
」
そういうと藤原はため息をついた。
「仕方ないんだ、今レベル上げないと次のイベントが」
「このクズゲーマーが。あーもういいから黙って早く寝なさい」
クズ・・・とショックを受けたような顔をしたが、
椅子からふらりと立ち上がり、
一番奥にあるソファーに行くともそもそと横になる。
いつも通り一時間後に起こして、
というと既に用意してあった大きめのブランケットを頭までかぶり、
藤原はすぐに寝息をたてて眠ってしまった。
私はいつもの様子を見届けると、
真ん中にある広い机に勉強道具を取り出し授業の復習を始めた。
こんな事が始まったのは、
約2ヶ月前に行った鎌倉で行われた社会見学での事だった。
買い物タイムと言うことで実咲や塔子達と別れ一人うろうろしていたら、
小さな公園のベンチに藤原が真っ青な顔で1人座っているのをみつけ、
思わず声をかけた。
声をかけたのにあまり元気が無い。
もしかして熱があるのかと咄嗟に手を額に当てたのだが、
その時藤原は目を見開いて私の顔をまじまじと見たかと思うと俯いた。
「やっぱり誰か先生を」
「東雲ゆい、だったか」
「あ、はい」
授業は習っていたがそんなに話したことも無いのに、
名前をフルネームで覚えてくれていたことに少し嬉しい気分になった。
「すまない。体調が良くないんだ。少しだけ隣りに居てくれ」
と藤原は一方的に言ったかと思うと、
私の肩にもたれかかりあっという間に寝てしまったのだ。
寝息を立てながら思い切り寝てしまって、
今日の日のために用意した私の可愛い洋服にヨダレを落とされたことは、
未だに根に持っているけれど。
社会科見学が終わり、授業が始まったすぐの日、藤原に放課後呼び出された。
何事かと思えば、お前は英語の成績悪いから放課後特別に勉強を見てやる、
なんて言うのだ。
だが一見面倒見良さそうな事を言うかと思ったら、そのかわり、
1時間先に寝せて欲しいというよくわからない条件が提示された。
正直帰るのが遅くなるし面倒そうなので断ったのだが、
その間勉強して質問事項をまとめる時間に使えばいい、
他の教科もわからなければ教えてやるからとかなり強引に押し切られて、
私は気がつけば頷いてしまっていた。
ある時用事を思いだして、寝ている藤原を起こさないようメモだけ置いて途中で帰ったのだが
、翌日何で勝手に帰ったんだとそれはそれは非難されて思わず喧嘩したこともあった。
どうしたって寝ている1時間は側に居ろということらしい。
こういう時、長女としての気質が出てしまうのか、単に押しに弱いのか、
こういうのを無視出来ず世話をしてしまう自分の性格が憎らしい。
そして一時間後に起きると、
藤原は相当よく眠れたのか顔色も良くなって機嫌良く丁寧に勉強を教えてくれる。
何故こんな事を私にさせるのかはよくわからない。
もしかして毎日他の生徒でとっかえひっかえやってるの?と質問したら、
真っ赤な顔で否定された。
まるで女子生徒を毎日連れ込んでいる見たいに言うな!と怒られたけど、
そこで初めて私にだけそういう事をお願いしているのだとわかった。
鎌倉で私が藤原の体調不良を見かけたから、
気兼ねなく私には頼めるのかもしれない。
でもそんな理由でも人に頼って貰えているという事が、
私には心地よく感じてしまう部分でもあった。
だからなんとなく藤原のこのお願いを拒否できず、
未だにずるずるやっている理由かも知れない。
しかしさすがに本当の事を周りには言える訳もなく、
あくまで藤原の仕事を手伝うというのが建て前になっているのだ。
まぁそれはだいぶ慣れたのだが、私の一番の楽しみは別にあったりする。
時計を見てそろそろかな、なんて思う自分がちょっと恥ずかしい。
ふいにドアを軽くノックする音がして、私はどきりと、ゆっくりと開くドアを見た。
「お疲れ様。お菓子持ってきましたよ」
紙袋を少しかかげて優しい笑顔で入ってきたのは、
わが高校で一番人気の葛木先生だ。
お疲れ様ですなんて返事をしながら、
大好きな先生の登場につい頬がゆるんでしまう。
例の社会科見学の時、藤原に横で眠られ身動きも取れず、
何より誰かに見られたらとびくびくしていた私を助けてくれたのが葛木先生だ。
すらりとした高身長、顔立ちもこれまた上品で、
女子達からは王子と呼ばれている。
本当に良いところの跡取りという噂もあるが、
むしろただの高校教師よりその方が納得だ。
最初はミーハーにカッコイイ!と思うくらいだったが、
あの一件以後話しをする機会も増え、
優しい葛木先生に想いを寄せるにはそんなに時間はかからなかった。
だからこうやって葛木先生とお近づきになれたことは、
素直に藤原へ感謝すべきだろう。
「あとどれくらいですか?」
「あと20分くらいでしょうか」
私は葛木先生の問いかけに壁の時計を見て答えた。
「なら先に私たちだけティータイムにしましょうか」
そういうと先生は紙袋から荷物を取り出す。
私も慣れたように部屋の隅にある棚から紅茶のティーバッグやマグカップを準備し始めた。
奥ではぴくりともせず寝続けている藤原がいるが、
余程大きな音をたてなければ起きないことを私たちは学習していた。
「どうぞ。今日はナッツ入りのクッキーです」
「ありがとうございます。良い香り!」
アールグレイの紅茶に負けないほど香ばしいクッキーを早速頬張りながら私は思わずにやけてしまう。
「今日も美味しいです。さすが先生」
さっくりとしたクルミやアーモンドの入ったクッキーを味わいながら、
私は先生に言った。
「良かったです。
やはり美味しそうに食べてくれる人がいると作りがいがありますね」
にっこりと柔らかい笑みを向けられて思わず俯いた。
顔が赤くなったりしていないだろうかとハラハラしてしまう。
好きな人に手作りのお菓子をもらって、
笑みまで向けて貰えて嬉しくない乙女がいるだろうか。
ちょっと男女逆な気もするけど、私にこんな美味しいお菓子は作れないのが現実なので仕方がない。
最初、先生が手作りのお菓子を持って来られた時には彼女の手作りかとそれは盛大に凹んだが、
実は葛木先生自身の手作りだと知って本当に驚いた。
どちらといえば性格も天然な感じで失礼ながら電子レンジで何か作って爆発させてしまいそうな雰囲気があるからだ。
どうも以前からお菓子を作っては放課後こっそり藤原先生にあげていたらしい。
それを私もこうやって混ぜて貰えるようになったのだ。
それに男性教師と女生徒が長時間2人だけだと誤解されやすいだろうと、
先生は気遣ってくれてここにきてくれている。
しかし葛木先生と藤原がまさか親戚で幼なじみだなんて、
こうやって話すまで知らなかった。
葛木先生が藤原より4歳上らしいのできっと弟のように藤原を思っているんだろう。
生徒に隠している訳では無いらしいけど、
何故か他の人には言わない方が私は良い気がして周囲には言っていなかった。
それに私だけ秘密を知っているのかもというやはり嬉しい気持ちもあるわけで。
私は時計をちらりと確認し、
もうすぐ起きてくる藤原のために紅茶の準備を始めようと席を立つ。
その姿に葛木先生が笑った。
「光明の面倒をみるのが板に付いてしまいましたね」
「こういう時、自分の性格が嫌になります」
「いえいえ、素敵な事ですよ」
先生が側にきて準備を一緒に手伝いながら答えてくれる。
なんだか恥ずかしくて思わず横を向いた。
先生がお世辞で言ってくれていたとしても、
やはり好きな人に褒めてもらうのは嬉しい。
「ところで・・・・・・」
「はい?」
私は横にいる背の高い先生を見上げる。
「今日の体調不良の理由は何て言ってましたか?」
「やっぱりゲームのしすぎだそうですよ、
さすがに怒って下さいよ、先生から」
私がむっとしながら言うと、
葛木先生は困ったような顔をした。
「あ、いえ、先生も困りますよねそういうの」
私は慌てて言った。どうしよう、つい仲良くなっていると思ったけど、
踏み込みすぎて嫌がられたのかもしれない。
「あぁ、違うんです。
まだ、そんな事を言っているのかと思いまして」
「良かった。ほんとですよ、あんなになるまでゲーム・・・・・・・」
突然目の前がぐにゃりとした。
急激に襲ってきた眠気のようなふらつきに私は言葉が続かなかった。
「東雲さん?」
葛木先生が心配そうに覗き込んできているのがわかる。
眠いだけですと返したいのに言葉が出ない。
そして突然目の前がスパークしたようにまっ白になり、
私の記憶はそこで途切れた。