僕の記憶にある、このは先生と二人で話したもう一つは五年生の修了式の日のことだ。
その日は曇り空だった。
晴れてもなく、雨でもない。
特にこれと言って華々しい式典ではないからお天道様もやる気をなくしたのかもしれない。
式典が終わり、通信簿を受け取ると皆は早々に帰宅していく。
自宅ではお昼ご飯が待ち構えていることだろう。
僕は早くに帰ったところで誰もいない家でまた自分のご飯を作るだけなので、しばらく席でぼーっとしていた。
このは先生が話しかけてきたのはその時だ。

「町田くん。一年間先生の授業、どうだった?」

なんとはなしに差し障りのない話題を提供してくれたのだろう。
僕はぼんやりと見上げ、考える。

「このは先生の授業は分かりやすかったです。楽しかったかって言われると分からないけど」
「そっか。ありがとう」

ホッとした顔つきで、お礼を言われた。
やがて教室は誰もいなくなり、二人だけになった。

「……先生は」
「うん?」

僕はこれが最後だと、思いきって自分から話しかける。
優しい返事を返してくれるこのは先生はいつも通りの先生だ。

「先生は、人を嫌いになることがありますか」
「嫌いな人ってこと?」
「好きなのに嫌いで、もう会えないのに会いたくて。でも多分、会っても何も話せない」
「難しいこと、言うわね?」

そういう先生は、おそらく僕の言いたい事も僕が嫌いな人も汲み取った上で空中を見て考えている。
会えないと分かっているし、会ったところで本当にお母さんに会いたかったのかと悩むことも分かっている。
僕が会いたいと思うのはお母さんという“役割”に、なのか。
それとも“本人”そのものなのか。

離婚するずっとずっと前、なんなら小学校に入る前くらいから愛情たっぷりなんてものには程遠かったと思う。
全く希薄だったと言えば嘘になるかもしれないけれど、呼び掛けに応じてくれる方が稀だったし、繋ぎたくて伸ばした手は空を切った。
それでも振り向いて欲しくて勉強を頑張ってみたりしたけれど成果はあげられることなくお父さんと離婚したお母さんは一人家から出ていった。
恨みつらみを言う気はないけれど、僕の心の奥底には澱みが渦巻いている。
かと言って同居するように会いたくて抱きつきたい気持ちもある。
整理できないこの気持ちは母親というものへの憧れを強くした。

「嫌いな人、いるわよ。好きな人の嫌いなところも沢山ある」

笑顔できっぱり言いきったこのは先生の顔を正面から見る。
その瞳は強く、優しい。

「嫌いな人がいたって良いんじゃないかしら。好きな人の嫌いなところ、許せないところもあっていいのよ。そりゃ無くせるなら無くした方が穏やかではいられるかもしれないけれど。感情はどうしようもないのよ、コントロールなんて出来ないんだから」