このは先生と二人できちんと話したことがあるのは多分、記憶の限りでは二回くらいだ。
そのうちの一回はちょうどその、僕の嫌いな授業参観が終わった時。
みんなが散り散りに帰って、親たちがPTAの役員だとかを決めるのに残っていた時のことだ。
「町田さんのところはね、仕方がないわよ」と、呟いているのが僕の耳に入ってきた。
それはその通りなのだけれど、僕は胸が酷くきしんで、いたたまれない気持ちになった。
だって僕にはどうすることも出来ない。
「町田くんは頑張り屋さんね」
呟きとも取れる小さな声で、通りかかったこのは先生は僕に微笑んだ。
「仕方がないって、あるわよね。どうしたってどうにもならないこと。だけど町田くんは自分の力でできることを精一杯してる」
ただ、『大変ね』と言われるよりも言葉が耳に入ってくる。
「町田くんは頑張り屋さん。そしてとっても優しいね」
だけど先生、僕は僕が嫌いです。
なんて、口に出しては言えなくて、俯いた。
変わりに精一杯の「優しくなんてないです」という言葉を吐き出して、僕はその場を去った。
俯いてしまったので、このは先生がどんな顔をしていたのかを僕は知らない。
授業参観と同じような理由で、僕は体育の授業が嫌いだった。
体操服の洗い方が分からない。
普通の服と同じように洗濯をしても汚れが落ちない。
洗い方を誰も教えてくれない。
みんなが眩しいくらいに綺麗な体操服で体育の授業をしているのに、どこか汚れのとりきれない体操服で授業を受けるのが嫌だった。
上履きの汚れも、運動会の塩むすびも、みんなみんな嫌だった。
僕は僕が嫌いだ。
お母さんがいてくれさえすれば、と、何度も思った。
お母さんがいてくれればきっと、授業参観も来てくれて、体操服だって綺麗に洗ってくれて、上履きの汚れの落とし方を教えてくれて、運動会にだって塩むすびだけじゃなくお弁当を作ってくれて、こんな思いをせずにすんだはずなのに。
お母さんが嫌いな僕が、嫌いだ。
どうしてお母さんはいなくなったんだ、お父さんのせいじゃないか、と人のせいにしてしまえる自分が嫌いだ。
僕が頑張らなきゃいけないのは、みんなみんな二人のせいだ、と抑えきれない気持ちがたまに顔を出す。
どうにもしようがない事なのに、仕方がないことなのに。
「前向きになんて、なれっこない……」
陽射しが強い帰り道に、校庭で生徒たちが遊んでいるのを横目に一人ぼそっと呟いて、家を目指す。
前向きになれなくても、やらなければならないことは変わらない。
母親のいない事実を受け止めて、生きるために生活するために務めて冷静に。
深呼吸をして気持ちを整える。
僕は僕の為に僕ができることをする。
崩してしまうのは簡単だ。
冷静を保っていてもつつかれればグラグラと崩れさる。
だから、そうならないために必死に思い込む。
もう一度言おう。
事実を受け止めた僕が、悲愴に暮れることはない。
仕方が無いと諦めてしまえるように冷淡でいる。
そうでもしないと、何もかもを放り投げて全ての気持ちが顔を出してしまうから。