そんな僕でも、授業参観は針のむしろのようで、嫌いだった。
みんなと同じであるように必死で普通にしている自分が、否が応でも両親の揃っていない“普通でない”と好奇の目で見られるようで、とても嫌いだった。
例えば高校生くらいになればそんなことには動じることがなくなってはいたけれど、小学五年生の僕は、それを仕方が無いことだと受け流すことが出来るほど強くはなかったようだ。
友達の親たちが「お母さんがいなくて大変ね」と、なんとも言えぬ顔で言われる度にその言葉の奥にある“可哀想”が聞こえてきて嫌だった。
確かに、大変じゃないといえば嘘になる。
だけど僕は可哀想なんかじゃない、と大きな声で叫びたかった。
可哀想なんかじゃないと思いながら、母親というものを焦がれている自分も感じていて、やりきれなさを感じていた。
「家の事もしているのに、お勉強もできて偉いね」と言われ、唇を噛んで悔しさに耐えた。
そう仕向けているのは自分なのに、いざ言葉をかけられると何もかも放り出して逃げ出したくなった。
そんな強さは持ち合わせていなかったけれど。

両親の不仲にあって、彼らは僕の存在をどう捉えていたのだろう。
離婚の話が進む中、ご飯の最中にさえ目も合わせてくれない母。
今日あった出来事を話すことさえ躊躇われて、言葉を交わした記憶はもう何ヶ月もなかった。
一方的に呟かれる「おはよう」も「おやすみ」も、母がいなくなる最後の日まで続けたけれど、振り向いてくれる笑顔すらなかった。
誰が悪いかと問われれば誰も悪人などいないと僕は思うのに、それでもその歪みを正すことは僕に出来なかった。
子供の僕にできること。
それは両親の着けた決着を受け入れること。
それ以外には何もない。

お母さんは終ぞ僕の手を取る事はなかった。

子は鎹だとか言うけど、僕は両親をつなぎとめることが出来なかったんだ。
諺は呪いのように僕にのしかかる。
父がこの頃僕や母をどう思っていたのか、聞くことすら怖かった。