がくっ、と俺の膝が砕けた。

 今まで、弱気を見せまいと突っ張ってたから、変な緊張の糸が切れたのか、自分ても良くわからねぇうちに、転びそうになる。

「う……あっ!?」

 カラダが上手く動かねぇ!

 体勢を整えようにも、ほとんど自由にならずに動揺し、かえって派手に転がろうとする俺を、アルが支えた。

「リトス……! 大丈夫ですか!?」

「あ……ああ、大丈夫だ。 すまん」

 転ばないように助けてくれたアルに礼を言ってもう一度、自力で立とうと試みようとしたのに無理だった。

 アルが俺を後ろから抱き寄せたからだ。

「なんだ? ……離せよ」

「いいえ、離しません」

 アルは、思いの他、しっかり俺を抱きしめると、耳元でささやいた。

「この手を放したら、あなたはまた、どこかへ行ってしまうでしょう?」

「……まあな」

「この国に留まっては、いただけないんですか?」

 俺を抱くアルの腕に、力がこもる。

 ヤツの顔は、見えなかったけれど、もしかしたら、アルは泣いているかもしれない。

 ……そんなふうに、思った。

 だけども、俺はあえて首を振る。

「依頼仕事は、一段落したみてぇだし。今の俺が、この国で出来る仕事は……なさそうだし」

 この国だけではなく、他だって、カラダの動かない盗賊が出来る仕事なんてあるのかは、謎だが。

 それでも、ここから出て行くと言った俺をアルはぎゅっと抱きしめた。

「あなたが、ルブルムの毒を受けた原因は、私にあります。
 滞在中の身の回りのことは、全て手厚く快適であることを保障しますから。
 国を出るのはせめて、もう少し回復してからにしては、いかがですか?」

「だから、傷のことは気にするなって、前にも言ったはずだ。
 それに、毒で動かなくなった手足が、完全に回復するメドは立ってねぇ。
 カラダの調子を言い訳に、いつまでも食って寝るを繰り返すだけの役立たずには、なりたくねぇんだっ……!」
 
 
 特に、アルのすぐそばにいると、自分がダメになりそうで、絶対嫌だった。

 アルが王の座を奪われ、その命が風前の灯だというなら、一肌脱ぐつもりだったが、逆の立場で庇われたら俺はアルに甘えるつもりは一切なかった。

 俺の辞書には、どこをどう見ても『甘え』の文字はねぇから俺じゃなくなりそうで、嫌だったんだ。

 自分の説得をことごとく無に帰す、俺のセリフを聞いていられなくなったらしい。

 アルは、言葉の途中で俺の両肩を乱暴に掴むと、くるり、とひっくり返して俺の瞳を覗き込むように言った。

「では、仕事の依頼があれば、あなたは、この国を去らずとも良いんですね?」

「ああ……まあな」

 まともに見たアルの顔は、やっぱり泣いていた。

 けれども。その瞳は、なんだかスワってるような気がする。

 まるで開き直ったみたいなアルに、うなづくと、ヤツは、言った。

「この件は、まだ解決してません」

「……へ?」

 今度は、何を言い出すんだ!

 衝撃的な発言に、驚く俺に、アルは、肩をすくめた。

「実は、私自身もホムンクルスの設計図のありかが、判りません」

 ジジィにはああ言ったが、自分を作った魔法使いは用心深いから本当は、予備がどこかにあるのかもしれない、と王は言った。

「設計図が破棄出来ない以上、私を疎ましく思う者がいれば。
 今回みたいな設計図をめぐる事件が、また、きっと起こります。
 ですから、あなたには、私を守って欲しいのです」

 ある日突然、自分と全く同じ外見を持つ複製から交代せよ、と言われるのが死ぬほど嫌なんだ、とアルは身を振るわせた。

「だとしても、俺は、何も出来ない」

 自分の身でさえ、もて余しているのに、王の身を守る護衛の仕事が出来るとは、思えねぇ。

 なにしろ、アルが『王』の立場でいるならばそんな輩は、力で潰してしまえばいいからだ。

 今さっきジジィを引っ立てて行った衛兵を使うか、せいぜい、戦士タイプの駆者を雇った方がマシだ。

 そんな俺の提案に、アルは首を振った。

「今回、民の代表が、私を他のホムンクルスに入れ替えようなどと考えたのは、私の遊びが過ぎたせいでもありました」

 言って、アルは指と指をつんつんとつつきあわせた。

「私の寂しい日々の生活が原因と言っても過言ではないです。
 だけども。リトスが……あなたが、側に居てくれるのなら、私は、もう何も贅沢なモノは、いりません。
 そして、私が質素に暮らせば、当面私を害しようと言う者も現れないはずです」

 アルが、真剣な顔をして、オレを見た。

「ですから……リトス、あなたが私の側にいてくれたなら。それだけで、私を守ってくれることになるのです」

「……そんな莫迦な」

 そう、笑いとばそうとした俺の肩をアルは、ぎゅっと抱きしめた。

「城から、あなたがいなくなってしまったのは、私が不用意に『遊び』と言ったのが、気に触ったんですか?
 それでしたら、今度はあなたに真剣に……正式に依頼したい。
 これから先、ずっと、ずっと、私と、ともに居てください。
 そして、私が道に迷った時には、どうか先へと導く光になってください……」
 
 アルは、そう言って、少し恥ずかしそうに下を向いた。
 
「……とはいえ。ホムンクルスの私が、自分のモノと声高に主張出来るのは、この身一つしかありません。
 長きに渡る依頼なのに、報酬は、売っても、金貨五百枚程度の価値しかない、私自身を差し上げるしかありませんが……」

 それでも、是非受けてほしい、と訴えるアルの表情は、真剣でやっぱり、目の端に涙がだいぶ、にじんでいた。

 ……う。

 どうやら、俺は、こいつに泣かれるとダメらしい。

 男のクセに泣くなんて、情けねぇ、とは思うけど、俺はすぐ泣くアルのコトがあんまり……キライじゃねぇ、みたいだった。
 
 それに、泣き虫の魔王を放って行くほど薄情でも、急ぎの用があるわけでもない。

 しかも、一夜限りでない、俺の居場所を用意してくれるというのなら。

 ……仕方ねぇなぁ。

 俺は、ため息を一つついて、言った。

「……判ったよ。当分、他の仕事も出来そうにねぇし、受けてやらぁ。
 なんだか、プロポーズみたいな依頼だけど」
 
「ぷ、ぷろぽーずっっ!!」

「な、なんだ、なんだ……!」

 アルは、俺の言葉の変な所に反応して、いきなり、ぽんっと顔を赤らめた。
 
「ゆっ、許されるのなら、是非……っ!
 本当は、あなたをその……っ!
 つ~~つつ、妻に迎えて、幸せな家庭とやらを築きたかったのですがっ!」

「お……おお」

「私自身がどれだけ『人間』に近く作られているのか判らず。
 いくら頑張っても、子が成せない男では、夫の資格はなかろうと、諦めて、依頼に留めておこうと思ったんです!」

 なんだよそりゃ……!

 真剣な話のすぐ後に、どんな冗談かと思えば、アルの顔は、至極真面目そのものだった。

「本当は、そんな思いを心に秘めて、こっそり共に歩んで行こうかと思っていたんですが……
 あなたの口からプロポーズ、なんて言葉が出てしまったら、我慢なりませんっ!
 もし、役立たずを承知で良かったら、是非、依頼主から、夫に昇格していただきたく……っ!」

「ざけんじゃねぇ!」

「わぁ……! 暴力反対!
 そんな怖い顔して、拳なんて握らないでくださいっ!
 あなたに殴られて、星になるのはもうイヤですぅ~~!」

 本っ当に、しょうがねぇヤツ!

 なんだか、じたばた逃げているアルに呆れているうちに、ふと気がついたコトがあった。

 ……もしかすると。

「……俺。ホムンクルスの設計図のありかが、判ったような気がするぜ」

「ほ……本当ですか?」

 真面目な顔に戻って聞いてくるアルに、俺は頷いた。

「ジジィは最初。てめぇを作った魔法使いが、複製の元をパンツの中に隠した、と言ってた。
 そして、パンツをはいてる本人が気がつかない、隠し場所から鑑みて。
 モノが設計図だと思い込んでいたが……実は違うんじゃねぇか?」

「……え?」

 ……まだわかっていないらしい、アルに俺は少し……いやいや、だいぶ……か。顔が熱くなっていることを感じながら、言った。

「ホムンクルスに限らず、誰でも、必ずパンツの中に持ってるだろう?
 その……複製の元を」

「……それって、私のカラダの中心にあって……下がっているヤツですか?」

「……ああ」

「つまり、好きな相手と、普通に男女の営みをすれば。普通に子供が自分の複製となって、出来上がるという……?」

「……たぶんな」

 俺の言葉に、アルは、がっくりと膝をついた。

 莫迦莫迦しいが、辻褄は……多分、合う。

「今までの騒ぎは、なんだったんだ!」

 アルの叫びは、全くだ。

 特に、国を憂いて、魔王にちょっかいをかけ、挙句の果てに、無償で穴掘りを宣告されたエロジジィが聞いたら、憤死モノだろう。

 ……きっと、な。

 やれやれ。

「……それで、リトス。あなたは、一体、どこへ行こうっていうんです?」

 ぎく。

 呆然としているアルを置いて、こっそり外に出ようとしていた俺をヤツは、涙の滲んだ目で、止めた。

「やあ、アル。
 魔王の複製が、自分の意志でないと作れなくて、良かったじゃないか。
 てめぇが、唯一無二の存在だったらさ。
 多少悪政を働いても、誰も文句なんざ言えねぇし。
 ヘタに、俺が周りをうろうろしてて、何か間違いでも起こったら、複製が出来ちまうだろ?
 かえって、てめぇに迷惑がかかるだろうから……」

 そんな俺の言葉に、アルはクビを振った。

「ヒトにそこまで近い私が、永遠に生きられるとは、思えません。
 いずれ、衰え世代交代をするのなら、私は、リトスとの間に出来た複製になら……その子供に王の座を譲りたいです」

 そう、アルはにこっと笑うと、オレに向かって迫って来やがった。

「……あなたは、私が、嫌いですか?」

 切なく、涙がにじむほど、真剣な瞳に見つめられ、どきどきと鳴る心臓の鼓動に合わせて、ぶんぶんとクビを振る。

「……別に……っ! 嫌じゃねぇけど……!」

「……それは、良かった。先ほどの契約で、私はすでに、あなたのモノです。置いていかれたら、困ります」

「……ん、なコト言っても! 脅威が去ったら、俺は、てめぇを守る意味がねぇじゃないか!」

 だから契約は破棄だ、と言おうとした俺を、アルは、問答無用と、抱き上げやがった。

「~~コラ、離せ!」

「放しませんよ。
 苦難や、困難は、これからだって、きっと、山ほど続くでしょう。
 私とリトスの関係は、依頼主と雇われ人でも。持ち物と所有者でも、あるいは、その……夫と、つ……妻でも。何でもかまいません。
 どうか、一緒に居て下さい」

 口調は、お願いでも、アルの手は、しっかり力がこもってて、逃げられねぇ。

 じたばたしている俺に、アルは、機嫌よく微笑んだ。

「リトスと一緒の生活は、楽しみです。
 まず、手始めに二人仲良くベッドへと参りましょう。
 男女の営みってやつを試してみませんか?
 パンツを盗られた挙げ句、あなたに煽られて、私はすでにやる気、満々ですから」

「~~煽ってなんかねぇし!
 そもそも、あんなに複製の存在を嫌がってたのに、積極的に一つ作る気になりやがって!」

 俺の声に、アルは、にこっと笑ってクビを振る。

「複製を一つ、作る気はありません」

 そう言って、片目をつむった。

「あなたとの子供が欲しいです。最低、十人くらい」

 俺は、アルの言っている言葉が一瞬判らずぼんやりして次の瞬間。

 ボン、と顔が爆発するかと思った。

「~~そんなに、一杯! 身が持たねぇって!」

「きっと、賑やかで、楽しいですよ~~」

 アルは、ちっとも聞いちゃいねぇし!

 今まで、経験したことのない未来は、なんだか、とてもどきどきするけれど。

 アルにお姫様抱っこで抱えられ、アジトの地下室から、外に出てきた頃にはそんなに、悪い気はしなかった。


 俺の居場所は、アル胸の中にあるーーー


 そう、感じることが出来たから。

「リトス、愛してます」

「……どさくさにまぎれて、んな大事なことを言うな!」

「きゃ~~っ! 暴力反対!
 今殴られたら、あなたを落っことしてしまうじゃないですか!」

 前途は、多難そうだけど、ココロがぽかぽかしてっから、ま、いいか。

 アルと二人で戻る城への街道では、妖魔の大嫌いな太陽の光がいつまでも優しく降り注いでいるように見えた。




        <了>