あやかし神社へようお参りです。



 三門さんはふと手を止めた。

 その手に持っていた菜箸をまな板の上に置くと、体ごと私に向き直る。


 「麻ちゃんがここへ来た日に、鎮守の森は隠世と現世の境目だって言ったこと覚えているかな」


 ひとつ頷く。


 『鎮守の森って言うんだよ。神殿や参道を囲むようにして維持されている森林でね、隠世と現世の境目の役割になっているんだよ』


 揺れる木々を目の前にして、三門さんはそう言っていた。


 「鎮守の森を抜けて裏の鳥居をくぐれば、そこはもう現世ではなく、妖たちが住まう幽世だ。だから、ひとりで裏の鳥居へは近付いてはいけないよ」


 幽世、妖たちが住む場所。

 ああ、だからなのかもしれない。初めてここを訪れたとき、鎮守の森が少し恐ろしく感じたのは。



 三門さんが私の頭にぽんと手を乗せ微笑んだ。


 「人と同じように、善良な妖ばかりじゃないからね」


 笑っているはずのその目が酷く悲しげに見えたのは、気のせいなのだろうか。

 三門さんはそれを言うとき、いつも同じ目をしている。


 どうして、そんなにも悲しげに微笑むのだろうか。


 「さ、早くご飯を食べよう」


 この話はおしまい、と手を打った三門さん。私は一つ頷いた。







 「おーい、そっち持ち上げてくれ!」

 「この看板はどこに置くんだ?」

 「誰か金づち貸してくれ!」


 真夜中にも関わらずたくさんの提灯が灯りいつも以上に明るい社頭は、まるで文化祭の前日みたいな雰囲気でとても活気があった。

 たくさんの妖が忙しなく動き回りながら、楽しそうに何かの作業に取り組んでいる。


 私はと言うと、夕食後三門さんから「裏のお社で手伝ってもらいたいことがあるんだ」と頼まれて、その三門さんを探している真っ最中だった。


 それにしても、いつも以上に賑わっているのはどうしてだろう。


 御神木の側で首を傾げながらきょろきょろと辺りを見回していると、突然背後から声がした。



 「ああ。なんだ、こんなところにいたのかい」


 振り返るとそこにはあのおばあさんの姿があり、ほっと息を吐く。


 「三門の坊やが呼んでいたよ。一緒に行こうか」

 「あ、ありがとう、おばあさん」

 「おばあさんだなんて照れくさいじゃないか。ババでいい、みんなそうよんでいるんだ」


 ちょっとこそばゆい気持ちで一つ頷けば、しわしわの手で頬を撫でられる。目を細めながらそれを受け入れる。


 「あの、ババ、ひとつ聞いてもいい?」

 「ああ、もちろんいいとも。どうしたんだい」

 「今日って、お祭りなの……?」


 手を止めたババは「え?」と目を瞬かせる。数秒後、呆れたように溜息を零すと、やれやれと肩を竦めた。



 「なんだ、三門の坊やはまた何も教えていなかったのかい! たく、あの子は本当に仕方のない子だね」


 そう独り言ちたババに、私は一層首を傾げた。

 ババは数歩歩くと振り返って手招きをした。慌てて横に並んで歩き出す。


 「今日は開門祭の準備をする日なんだよ」

 「開門祭……?」


 そうさ、とババがひとつ頷く。


 「表の鳥居は表のお社へ、裏の鳥居は裏のお社へつながっていて、表から裏、裏から表へはいけないことは知っているね?」


 私が首を振れば、ババは自分の額に手を当てた。


 「本当に何も教えてもらってないんだね。知らなければ麻が危険な目に遭ってしまうかもしれないに、あの三門の坊やは全く! あとで説教をしてやらないといけないねえ」



 ふん、と鼻を鳴らしたババに、よくわからないが「三門さんは悪くないよ」と弁護しておく。


 大きなため息を零したババは、「いいかい?」と人差し指を立てた。


 「妖が参拝する『裏のお社』も人が参拝する『表のお社』も、どちらも同じ結守神社ではある。けれど、妖も人も巫女と神主に招かれるか、特別な入り方を知らない限り、お互いに反対のお社へは入れない仕組みになっているんだ」


 脳裏に普段の神社の様子を思い浮かべた。

 時間が時間なだけに人が来ないのかもしれないが、たしかに裏のお社が開く時間に社頭で人の姿を見かけたことがなかった。

 反対に、日中はババ以外の妖を見かけたことがない。

 それじゃあ、葵と表の鳥居で待ち合わせをした際も、私が葵を「招いた」から、妖である彼女は表の鳥居から裏のお社へ入ることが出来たということになるのだろうか。




 「だから大晦日と三が日を含む師走の二十八日から七日間だけ、昼夜を問わず両方の種族が参拝できるように、ひとつのお社を開ける。開門祭はそのもうひとつのお社、『おもてらのお社』を開けるお祭りだよ」


 いつの間にか神楽殿の裏まで歩いてきていた私たち。ババは神楽殿のそばにいる人だかりを指さした。


 「開門祭で披露する『結眞津々実伝説』の芝居を練習しているんだ」


 人だかりの真ん中で私と同い年くらいの、狐の耳をはやした少女が琴の音に合わせて軽やかに舞を舞っていた。

 そのそばには三門さんの姿もある。


 「妖たちは開門祭をいつも楽しみにしているからねえ、毎年前日からこのどんちゃん騒ぎなのさ」


 楽しげに笑ったババは「ここで待ってな」と言い残すと、人だかりの中に突き進みんでいった。

 ババに声をかけられ、しばらくして三門さんが小走りでこちらへ向かってくる。


 「ごめんね麻ちゃん、お待たせしました。ババに捕まっちゃって」

 「何が捕まった、だよ。ろくに説明もしないでほっぽり出して」


 ババがじろりと三門さんを睨みながら言う。


 「もうババ、そんなに怒らないでよ。ちゃんとした理由があるんだから」

 「麻以上に大切にしなければならない理由ってのがあるのなら、聞いてみたいもんだねえ」


 苦笑いを浮かべて首を竦めた三門さん。


 よくわからにけれど「私は大丈夫ですよ……?」と答えてみれば、ババがより一層怖い顔をした。

 げ、と小さく零した三門さんは私の手を取ると、「これお待ち!」というババの声から逃げるように、その場から走り出した。




 「ババの説教はみくりと同じくらいに長いからね」


 本殿の前に戻ってくると、三門さんは息を吐きながらそう言った。思わず笑ってしまう。


 「開始祭のことは……」

 「もうひとつのお社を開けるお祭りだって、ババから聞きました」

 「他には何か聞いた?」


 他には? と首を傾げた。


 他にはということは、もうひとつのお社を開けること以外にも何かあるのだろうか。


 三門さんは「いや、何でもないよ。気にしないで」と曖昧に笑うと歩き出した。