昨日の出来事が嘘のように音楽室ではゆっくりとした時間が流れていた。
窓も締め切っているから外からの音は聞こえないし、この第三音楽室自体が校舎の外れにあるので、廊下を出歩く生徒たちの声も届かない。
だから、響いているのはカチカチという壁時計の秒針だけ。
「逃げてもいいんだよ」
海月がメロンパンを一口かじったところで、そんなことを言ってきた。
なにから、とは聞かなかった。
だって言葉にはしなくても〝私から〟という海月の気持ちがひしひしと伝わってきたから。
「逃げないよ」
きっと俺は海月の病気のことを半分も理解できてないし、深刻に考えたくないと否定してる自分もどこかにいる。
海月みたいに覚悟ができてるわけでも、海月がいなくなることを受け入れてもいない。
けれど、真実を知った今のほうが傍にいたい気持ちが強いし、分からないことが多かった昨日より、海月のことを近くに感じてる。
「俺は医者じゃないし、病気を消すこともできないけど海月が長く生きられる未来を諦めないから」
桜も見たいし海にも行きたいし、変わらずにこれからのことを考えたい。病気なんかに、海月を持っていかれてたまるか。
「ありがとう」
海月はそう言って、スカートのポケットから透明なケースを取り出した。
「だったら私ももう隠さない」と、見せてくれたのは以前ポーチの中に入っていた薬だった。