それは吉と出た。
塾に入れば自然と学校にいる時間も減ったし、休み時間も隙間時間を利用して勉強に勤しめば、雑念を払うことができた。
割と輪の中心にいたはずの私は、いつしか外野に立ち替わりしていて、ますますクラスメイトとの関係は軽薄な表面だけのものになっていったけれど、環境が変わればそんなことも気にする必要がないのだとひたすらに勉強に打ち込んだ結果、有名進学校に合格することができた。

合格はクラスにも報告されて、みんな「おめでとう」と祝福してくれたが、そこに気持ちがこもっていないのはすぐに分かった。
その証拠に、卒業式の後社交辞令でも「卒業しても遊ぼうね!」と声をかけてくれた子は一人もいなかった。

自らが招いたことではあったけれど、その頃の私は本当にまだ子どもで、家に帰ってお風呂で泣いた。
友達100人できるかな、と期待に胸を膨らませていた純真無垢な小学生の末路はそんなものだった。ろくに友情も築けないまま、終わってしまったのが残念だった。
他の子は別れの言葉を言うのにも涙ぐんでいたり、親に仲良しグループで写真を撮ってもらったり、校区の関係で中学校が離れてしまう仲良したちは「絶対遊ぼうね」なんて抱擁を交わしていて、私の卒業アルバムの寄せ書き欄だけが、真っ白だった。

相手に悔しいと思うのではなく、ただただ自分の不甲斐なさに涙した。
もうちょっとうまくできたはずなのに。
そしたら、楽しい思い出も作れたはずなのに。
アルバムの中で貼り付けたような愛想笑いを浮かべていた自分を、嘲笑した。


——もう、こんな思いはしたくない。