思わぬ酒田先生の仕切り直しで、私たちはもう一度乾杯をすることになった。
考えたり、物思いに耽るのは後ででもできる。
今はせっかくの宴会の席だから楽しまなければ損だ。

私も今だけは、過去のことも、弘海先輩のことも忘れて、これまで約四ヶ月間の短い教員生活を振り返り、この時間をめいいっぱい過ごすことに決めた。

宴は、酒が進み、みんなが陽気になるに連れて、無礼講だと先生がお互いに暴露話を始めたり、しまいには植田先生が持ってきたビンゴゲームまでやると言う大盛り上がりを見せた。
ゲームに負けた二人で勘定折半という財布をかけた戦いは、働き盛りの佐藤先生と植田先生の敗北に終わり、お二人にご馳走になるという形に。

翌日が日曜日ということもあり、六時に始まった宴会は、そうして終電間際にお開きになった。
皆それぞれに家庭を持つ先生なので、二次会もなく帰路についたわけだが、私は弘海先輩と肩を並べて、静まり返った夜道を歩いていた。
香月先生の「お前ら同じ路線だろ。葛西はリハビリがてら、八城のこと送っていけ」という言葉からだった。国語科の先生たちは皆それぞれに「これ以上遅くなるとカミさんが怒る」というもっともらしい理由で、私を弘海先輩に押し付けたわけだ。

私はもちろんのこと、丁重にお断り申し上げたのだが、「女の子が夜道を一人で歩くのは危険よ」という婚約者持ちの花純先生の助言のもと、弘海先輩が私を送らざるを得なくなったというのが状況としては合っている。

二人っきりにさせられて、私は酷く困惑していた。
きっと弘海先輩だってそうに決まってる。病み上がりなのにこんなめんどくさいこと押し付けられて、弘海先輩の性格上断ることができないでいるのだろうけど、それをわざわざ断るのも自意識過剰な気がして気が引けてしまっていた。

車も人もまばらな夜道を歩いて、何事もなく駅に着き、改札を抜ける。
プラットホームには、私たち二人。時刻表の前に距離を開けて立った。
電車が来るまで、後十分。

二人の間をただ、風が通り過ぎて、一分が一時間のように感じられた。
五年前利用していた路線は同じだったが今はどうかなんて知らない。
栗林先生がああ言ったから同じなのだろうけれど、話しかけてもなんでもなかったように流されても辛いので、黙していた。