自転車で通えれば通学にかかる電車賃を浮かせることができて親孝行なのだが、詠斗は自転車に乗れない。

 人間の耳というのは体のバランスを保つ役割も担っていて、詠斗の場合、まっすぐ歩くだけでも実はひと苦労なのだ。

 幼い頃から難聴と付き合ってきているおかげで完全に失聴した今でもよろけることなく歩けているが、自転車は危ないからと初めから練習させてもらえなかった。

 とはいえ、自転車に乗れなくても日常生活にさわることはなく、身の安全を守ることを優先しても特別後悔はしなかった。

 駅に着いた詠斗は、改札の中に入るといつもと反対側のホームへ続く階段を昇った。家に帰る前にどうしても寄りたいところがあったからだ。

 五分と待たされることなく電車はやって来て、三つ目の駅で降りる。

 創花高校と詠斗の生まれ育った家のある街の一つ隣の街。
 商店と住宅がほどよいバランスで立ち並ぶ片側一車線道路の歩道をゆっくりと歩き、事前に調べておいた花屋の前で一度立ち止まる。通学に使っている鞄の中からペンとメモ帳を取り出してから、詠斗は店の中へと入っていった。