Voice -君の声だけが聴こえる-

「ったく、猪狩のヤツ……チビのくせに態度だけはでけぇんだよなー。ダメだわ、オレ。ああいうタイプの女とは友達にすらなれる気がしねぇ」

「友達も何も、猪狩華絵はもう……」

 そう言いかけて、詠斗はハッと顔を上げた。

「……巧、今何て言った?」
「は?」

 詠斗の真に迫る顔に、巧は少しうろたえながら眉間にしわを寄せた。

「なんだよ、急に……」
「紗友」

 巧の言葉を遮り、詠斗は紗友へと視線を移す。

「猪狩華絵ってどんな外見してる?」

「外見? うーん……背の低い菜々緒、みたいな感じかな」

 口に出したそのままのことを、紗友は相関図の中の『猪狩華絵』の文字の下に書き込んだ。
「菜々緒? 女優の?」

「そうそう。目がぱっちりしてて、長いストレートの黒髪で」

「背が低いって、身長は具体的にどれくらい?」

「そうだなぁ……私が一六〇センチだけど、私よりも小さかったから、高く見積もっても一五五センチってところじゃないかな?」

「一五五センチ……」

 小さく紗友の言葉を繰り返し、今後は書きかけの相関図に目を落とす。しばらく眺めてから、新たに浮かんできた情報を黙々と書き足していく。

「紗友、もう一つ聞いていいか?」
「うん、何?」

「神宮司隆裕って左利き?」
「え?……うん、そうだけど……?」

 だよな、と呟いた詠斗は紗友から傑へと視線を移した。目が合った傑は、自信に満ち溢れた顔で口角を上げている。
「兄貴、これって……?」
「あぁ。それが真実だとしたら、羽場美由紀の事件が事故に見せかけられた理由にも一応の説明がつくな」
「いや、でも……」

 言葉を失い、詠斗は兄から視線を外して俯いた。

 もしも今頭に浮かんでいることが真実なら、これほどまでに信じたくないものはない。こんな真実のために奔走してきたのかと思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになった。

「……なぁ、兄貴」

 そっと顔を上げ、詠斗はまっすぐに兄の目を見る。

「一つだけ、わがままを聞いてもらいたいんだけど」

 これが真実なのだとしたら、受け止める以外に選択肢はない。

 ならば、せめて終わらせ方だけでも選ばせてほしい。

 できることなら、少しでも救いのある終わりを迎えさせてやりたい。

 この一連の事件に関わる、すべての人達のために。

「一つでいいのか?」

 立ち上がりながら、傑は詠斗に微笑みかけた。

「お前のわがままならいくつでも聞いてやるぞ?」

 その偽りのない笑みから視線をそらし、詠斗はくしゃりと髪を触った。
 五人はその後も事件についてしっかりと話し合い、会議を終えた傑は詠斗からの頼み事を叶えるべく颯爽と自宅マンションを後にした。詠斗達三人の高校生もそれぞれ帰宅すると穂乃果に告げると、「残念ね、またカレー食べにいらっしゃい」と本当に残念そうな顔で見送られた。

「じゃあな、詠斗」

 マンションの駐輪場から自転車を引っ張り出しながら、巧は片手を上げて自転車に跨った。

「巧、紗友のこと家まで送ってやってくれないか?」

「おいおい、何言ってんだよ? そりゃオレの役目じゃねぇだろ」

「はぁ?」

 詠斗が睨むと、巧からニヤリと意味ありげな笑みが返って来た。

「とにかく、お前の兄貴から連絡があったら知らせてくれ。じゃあなー」
「おい、待てって……!」

 詠斗が引き留める声に振り向きもせず、巧は瞬く間に遠く小さくなってしまった。朱に染まり始めた薄青の空を見つめ、詠斗は小さく息をつく。
「あれ、巧くんは?」

 少し遅れて自転車を押しながらやって来た紗友は、詠斗の肩をぽんと叩いてキョロキョロと辺りを見回した。

「帰った」
「帰った? もう?」

 紗友は巧の消えていった西の方角を見つめ、「早いなぁ」と呟いたようだ。

「送るよ」

 残された詠斗は紗友に向かってそう言うと、「えっ」と驚いた顔を向けられた。

「いいよ、すぐそこだし」
「俺、駅に行くから。お前んちのほう通って行く」
「駅? どこ行くの?」

 心配の色を滲ませた紗友の瞳が詠斗をそっと覗き込む。

「美由紀先輩の事件現場。……先輩に会いに行く」
 そう答えると、詠斗は紗友の家に向かって歩き始めた。しかし、すぐさま自転車のサイドスタンドを立てた紗友に腕を掴まれ、強引に体の向きを変えさせられる。

「ねぇ……大丈夫?」

 やっぱり心配そうな顔をして、紗友はそう口にした。

「……わからない」

 その答えに一番驚いたのはたぶん自分だろうと詠斗は思った。

 わからない、なんて曖昧な言葉を紗友に対して口にするなんて。そんなことを言ったら、間違いなく紗友は自分にくっついて離れなくなるというのに。

「一緒に行こうか? 私も」

 詠斗の予想に反することなく、一歩踏み出しながらそう言う紗友。詠斗は首を横に振る。
「ごめん、心配かけるつもりじゃなかった。一人で大丈夫だから」
「ほんと?」
「ほんと」

 もう一度「大丈夫」と口にして、詠斗は紗友に笑みを向けた。完全には納得していない様子の紗友だったが、最終的には詠斗の意向に沿い、詠斗に見送られながら自宅へと帰っていった。


   *


 紗友を家まで送り届けたその足で、詠斗は再び電車に乗り、美由紀の殺害現場へと向かった。到着する頃には西の空が真っ赤に染まり、日暮れまであまり時間がないことを告げていた。
「美由紀先輩」

 そこにいるのかいないのか、見た目にはわからない。
 けれど、何故か今日は自信があった。

 先輩は今、俺の目の前にいる――。

『こんばんは、詠斗さん。どうしたんです? こんな時間に』

 やっぱり、と心の中で呟きながら詠斗は微かに笑みを零した。

「こんな時間と言うほどでもないでしょう」
『そうですか? もう日が暮れますよ?』
「たまには夜遊びしたっていいじゃないですか。小学生じゃないんだし」
『夜遊びと言うにはまだ少し早い気が』
「先輩が『こんな時間』なんて言うから」

 姿こそ見えないけれど、きっと美由紀は楽しそうに笑っている。そう思うと、詠斗の顔にも自然と笑みが浮かんできた。
 こんな瞬間を楽しみたい――ただそれだけの理由で、ここへ来たいと思ったのかもしれない。

 もちろん、本当は違う。違うとわかっているのだけれど、そう思うことくらい許されてもいいじゃないか。そう誰にともなく反抗してみる。

 ひとつ息をついてから、詠斗はここへ来た真の目的を果たすべくいつものように斜め上を仰いだ。

「先輩に一つ聞きたいことがあって」

『はい、何でしょう?』

「猪狩華絵は駅前のラーメン屋でアルバイトをしていたらしいんです。それで、もしも先輩が猪狩華絵だったとしたら、バイトの行き帰りにはどの道を通りますか?」

『うーん……そうですねぇ、この辺りに住む人なら迷わず今いるこの路地を使うでしょう。華ちゃんも例外ではないと思いますし、そこの十字路を左に折れて少し行ったところが華ちゃんの自宅ですから』