街へ向かってすぐに、何か甘いものを食べようと僕は提案した。梓はメロンパンを売っている店を指差す。僕らはそこでメロンパンを買い、道に設置してあるベンチに座り食べ始めた。
世界で二番目に美味しいメロンパンと銘打って販売されているそれは、熱々のメロンパンにアイスが挟まれている。口に入れると二つの甘さが広がって、思わず頬が緩んでしまう。それは梓も同じだったのか、一口食べるとすぐに「美味しい!」と言って、いつもの笑顔が戻っていた。
しばらく黙々と食べ続けていると、梓は言った。
「私、一人っ子なんです」
「そうなんだ」
「甘やかされて育った自覚、結構あります」
一人っ子だと、親からの愛情は自分一人に全て注がれる。だから甘やかされて育つと、聞いたことがある。
「幼い頃から、買いたいものは買い与えられて、少しでも結果を残せば褒められて……きっかけは、小学校の時の夏休みの宿題で提出した、ひまわりの絵でした」
昔を懐かしむように、彼女は自分の幼い頃の話をしてくれる。僕はただ静かに、その話を聞いてあげた。
「もしかして、金賞取っちゃった?」
「いえ、銅賞でした。でも両親はすごく喜んでくれたんです。銅賞だったけど、すごいすごいって褒められて。その時私は、絵を描くことの楽しさを知りました」
きっとその時に両親が手放しに褒めていなければ、今の梓は存在しなかったのだろう。
「それからたくさん絵を描いて、画家になるとか漫画家になるとか、笑っちゃうような夢を両親に語ってました。梓ならきっとなれるよって言われて嬉しかったのを、今でも覚えてます」
「嬉しいよね、子どもの頃にそういうことを言われるのは」
「はい。何も考えなくてよかったから、私も好き勝手言えてました。共学は不安だからっていう理由で中学高校は女子校に入って、そこでも絵の結果を残しました。けれど大きくなるにつれて、絵は描きたいけど、自分は本当は何をしたいのか、わからなくなってました」
美大へ行けば、本当にやりたいことが見つかるかも。彼女は以前、そう話していた。
「だから、美大へ行こうと思ったんです。もちろん両親も応援してくれました。でも……」
けれど、梓は美大の受験に落ちてしまった。悲痛な表情を浮かべる彼女は、それでも話を続ける。
「一回目からもう、一般の大学を受けた方がいいんじゃないかって、説得されました……初めてだったんです。両親が、あんな顔を見せたのは……けれど私には絵しかないってわかってたから、今さらそれ以外の道を行くことを、考えられませんでした。二回目は今まで以上に必死に絵に打ち込んで……それでも、ダメだったんです」
美大へ合格するためには、人によっては何度も浪人して努力しなければならない。何度も何度も落とされ、次第に自信がなくなって、諦めてしまうこともあるのだろう。
けれど……。
「でもさ、三回目の受験で美大に受かったんだから。二年間の努力は、ちゃんと報われたよ。今がダメでも、コツコツ努力していけば、きっといつかは結果に結びつくって」
「そう、ですかね……」
「自信持ちなよ」
僕は迷いなく頷いて、そう励ました。梓に発破をかけることはできないから、自分にできるのは応援することだけ。挫折しそうでも、支えてあげることができれば、彼女は何度でも立ち上がることができるはずだ。
梓は僕のあげた時計に視線を落とし、それから張り詰めていた表情を緩ませる。どうやら支えることができたようだ。
「美大に受かった時、お母さんが泣いて喜んでくれました。今でもその時のことは、すぐに思い出すことができます。甘えさせてもらった分だけ、私は精一杯頑張らなきゃいけないんです」
「頑張ろう。一緒に」
一緒に、頑張る。梓の夢を応援したいと、強くそう思う。
そして僕は、ポツリと口から言葉が漏れた。
「梓は、僕に似てるね」
「えっ?」
疑問に満ちた表情から一転、みるみるうちに梓の顔が赤く染まっていく。何かおかしなことを言ったのかと思ったが、すぐにその理由がわかった。
僕は自然と、梓の名前を口にしていた。
「ご、ごめん。梓の方が年上なのに、呼び捨てにしちゃって……」
「い、いえ! 梓がいいです! その……嬉しかったので……」
恥じらいを見せながら俯く梓を見ていると、僕まで顔が熱くなってくる。普段は落ち着いていて大人なのに、こういう素になるときは子どもっぽくて可愛い。それから梓は、上目遣いで僕に訊ねてきた。
「あの、悠くんって呼ばれるのは、嫌ですか……?」
僕は首を振る。名前で呼ばれて、嫌なはずがない。梓は遠慮がちに、僕へ質問をしてきた。
「悠くんは、どんな風に育ってきたんですか?」
「えっ、僕?」
僕の話をしても面白くないだろうが、梓の話を散々聞かせてもらったのだから、僕も話さないとフェアじゃない。
「兄と妹がいるんだよ」
「真ん中なんですね」
「うん。それでさ、兄は親の期待がすごくかかってて、妹はすごい甘やかされてるんだ。真ん中の僕はそれなりに放任されてたけど、勉強だけはしっかりしなさいって事あるごとに言われてた。褒められたことも、あんまりないんだよ」
そこまで話して、僕はきっと梓のことが羨ましいのだろうなと思った。親に愛情を注がれて、些細なことで褒められて。
「それはなんだか、悲しいですね」
「まあ、もう慣れちゃったんだけどね」
もう両親に期待されようとは思わない。期待するだけ無駄なのだから。僕の心はどうしようもないほどに、冷え切ってしまっている。
「でも、悠くんはしっかりしていると思います。そこは褒められるべきですよ」
「どうして?」
「だって国立の大学に合格して、今は一人暮らしをしてるんですから」
「それはそうだけど、親の脛はかじりまくりだよ。授業料を払ってもらってるし」
「それじゃあ、生活費は自分で負担してるんですよね? 授業料も自分で払ってる大学生は、そんなにいないと思います」
たしかに、彼女の言う通りだ。言われてみれば、授業料を自分で収めている大学生は少ない。
「……けど、生活費は奨学金から切り崩したりしてるから」
「奨学金は、そのために使われるものです。それに奨学金を貰えたのも、高校時代に悠くんが頑張ったからじゃないんですか?」
僕が何か反論をしようとしても、すぐに梓に言い返されてしまう。僕はどうして、自分のことを卑下して考えてしまっているのだろう。
「悠くんは、しっかりしてます。お父さんやお母さんが認めてくれなくても、私がしっかり認めますから」
真正面からそんなことを言われ、僕は思わず照れ臭くなり頬をかく。梓を励ますため外へ出たのに、逆にこちらが励まされてしまった。
僕は梓の言葉に、素直に「……ありがとう」とお礼を言った。
それから僕らは、溶けそうになっているアイスをスプーンですくいながら、最後までメロンパンを残さずに食べた。そして目的もなく歩いていると、いつの間にか駅前に着いていて、ショッピングモールの中をまたぶらぶらと歩く。五階にある本屋で、有名な恋愛小説の映画化決定のポップを見つけ、今度一緒に見に行こうと約束した。
初めてのデートみたいなものだから、もう少し値段の高いお店にしてもいいと思ったが、夜ご飯をどこで食べようかとなった時に、ファミレスにしましょうと真っ先に梓は言った。僕は特に断る理由もなかったため、それに頷き彼女に連れられてファミレスの中へと入る。
混み合う店内へ入ると、僕らを見つけた店員さんが真っ先にこちらへとやってくる。そして、彼女がいることに驚いた。
僕らに笑みを浮かべたのは、ファミレスの制服を着た水無月だった。そういえば、駅前のファミレスで働いていると言っていたのを、今更ながらに思い出す。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」
「あ、うん……」
「ではこちらの席へどうぞ」
梓はニコニコしながら水無月の後を着いていく。おそらく、最初からわかっていてここを選んだのだろう。
二人掛けの席へ案内してくれた水無月は、僕と梓の腕に巻かれている時計を見て、「あらためて、おめでとうございます」と祝福してくれた。
鼻の奥がツンとしたのと、気恥ずかしさで僕は「あ、ありがと……」と、うまくお礼を言葉にできない。
「本当に、お似合いのカップルだと思いますよ。末永く、お幸せになってくださいね」
「うん。ありがと、奏ちゃん。それと、私たちのプレゼントを選んでくれて」
「それは先輩たちが、中学生みたいな恋愛をしてるからですよ。私が動かなきゃ、いつまで経っても進展しないなって不安に思ったんです」
お節介な後輩だが、そこが水無月のいいところだ。僕らはそれから食べ物を注文して、たわいのない会話に花を咲かせた。そろそろ帰ろうかというときに、水無月は僕らのためにケーキを持ってきてくれて、梓は思わず泣いてしまっていた。
今日という日の出来事を、僕はこれから一生忘れることはないだろう。
世界で二番目に美味しいメロンパンと銘打って販売されているそれは、熱々のメロンパンにアイスが挟まれている。口に入れると二つの甘さが広がって、思わず頬が緩んでしまう。それは梓も同じだったのか、一口食べるとすぐに「美味しい!」と言って、いつもの笑顔が戻っていた。
しばらく黙々と食べ続けていると、梓は言った。
「私、一人っ子なんです」
「そうなんだ」
「甘やかされて育った自覚、結構あります」
一人っ子だと、親からの愛情は自分一人に全て注がれる。だから甘やかされて育つと、聞いたことがある。
「幼い頃から、買いたいものは買い与えられて、少しでも結果を残せば褒められて……きっかけは、小学校の時の夏休みの宿題で提出した、ひまわりの絵でした」
昔を懐かしむように、彼女は自分の幼い頃の話をしてくれる。僕はただ静かに、その話を聞いてあげた。
「もしかして、金賞取っちゃった?」
「いえ、銅賞でした。でも両親はすごく喜んでくれたんです。銅賞だったけど、すごいすごいって褒められて。その時私は、絵を描くことの楽しさを知りました」
きっとその時に両親が手放しに褒めていなければ、今の梓は存在しなかったのだろう。
「それからたくさん絵を描いて、画家になるとか漫画家になるとか、笑っちゃうような夢を両親に語ってました。梓ならきっとなれるよって言われて嬉しかったのを、今でも覚えてます」
「嬉しいよね、子どもの頃にそういうことを言われるのは」
「はい。何も考えなくてよかったから、私も好き勝手言えてました。共学は不安だからっていう理由で中学高校は女子校に入って、そこでも絵の結果を残しました。けれど大きくなるにつれて、絵は描きたいけど、自分は本当は何をしたいのか、わからなくなってました」
美大へ行けば、本当にやりたいことが見つかるかも。彼女は以前、そう話していた。
「だから、美大へ行こうと思ったんです。もちろん両親も応援してくれました。でも……」
けれど、梓は美大の受験に落ちてしまった。悲痛な表情を浮かべる彼女は、それでも話を続ける。
「一回目からもう、一般の大学を受けた方がいいんじゃないかって、説得されました……初めてだったんです。両親が、あんな顔を見せたのは……けれど私には絵しかないってわかってたから、今さらそれ以外の道を行くことを、考えられませんでした。二回目は今まで以上に必死に絵に打ち込んで……それでも、ダメだったんです」
美大へ合格するためには、人によっては何度も浪人して努力しなければならない。何度も何度も落とされ、次第に自信がなくなって、諦めてしまうこともあるのだろう。
けれど……。
「でもさ、三回目の受験で美大に受かったんだから。二年間の努力は、ちゃんと報われたよ。今がダメでも、コツコツ努力していけば、きっといつかは結果に結びつくって」
「そう、ですかね……」
「自信持ちなよ」
僕は迷いなく頷いて、そう励ました。梓に発破をかけることはできないから、自分にできるのは応援することだけ。挫折しそうでも、支えてあげることができれば、彼女は何度でも立ち上がることができるはずだ。
梓は僕のあげた時計に視線を落とし、それから張り詰めていた表情を緩ませる。どうやら支えることができたようだ。
「美大に受かった時、お母さんが泣いて喜んでくれました。今でもその時のことは、すぐに思い出すことができます。甘えさせてもらった分だけ、私は精一杯頑張らなきゃいけないんです」
「頑張ろう。一緒に」
一緒に、頑張る。梓の夢を応援したいと、強くそう思う。
そして僕は、ポツリと口から言葉が漏れた。
「梓は、僕に似てるね」
「えっ?」
疑問に満ちた表情から一転、みるみるうちに梓の顔が赤く染まっていく。何かおかしなことを言ったのかと思ったが、すぐにその理由がわかった。
僕は自然と、梓の名前を口にしていた。
「ご、ごめん。梓の方が年上なのに、呼び捨てにしちゃって……」
「い、いえ! 梓がいいです! その……嬉しかったので……」
恥じらいを見せながら俯く梓を見ていると、僕まで顔が熱くなってくる。普段は落ち着いていて大人なのに、こういう素になるときは子どもっぽくて可愛い。それから梓は、上目遣いで僕に訊ねてきた。
「あの、悠くんって呼ばれるのは、嫌ですか……?」
僕は首を振る。名前で呼ばれて、嫌なはずがない。梓は遠慮がちに、僕へ質問をしてきた。
「悠くんは、どんな風に育ってきたんですか?」
「えっ、僕?」
僕の話をしても面白くないだろうが、梓の話を散々聞かせてもらったのだから、僕も話さないとフェアじゃない。
「兄と妹がいるんだよ」
「真ん中なんですね」
「うん。それでさ、兄は親の期待がすごくかかってて、妹はすごい甘やかされてるんだ。真ん中の僕はそれなりに放任されてたけど、勉強だけはしっかりしなさいって事あるごとに言われてた。褒められたことも、あんまりないんだよ」
そこまで話して、僕はきっと梓のことが羨ましいのだろうなと思った。親に愛情を注がれて、些細なことで褒められて。
「それはなんだか、悲しいですね」
「まあ、もう慣れちゃったんだけどね」
もう両親に期待されようとは思わない。期待するだけ無駄なのだから。僕の心はどうしようもないほどに、冷え切ってしまっている。
「でも、悠くんはしっかりしていると思います。そこは褒められるべきですよ」
「どうして?」
「だって国立の大学に合格して、今は一人暮らしをしてるんですから」
「それはそうだけど、親の脛はかじりまくりだよ。授業料を払ってもらってるし」
「それじゃあ、生活費は自分で負担してるんですよね? 授業料も自分で払ってる大学生は、そんなにいないと思います」
たしかに、彼女の言う通りだ。言われてみれば、授業料を自分で収めている大学生は少ない。
「……けど、生活費は奨学金から切り崩したりしてるから」
「奨学金は、そのために使われるものです。それに奨学金を貰えたのも、高校時代に悠くんが頑張ったからじゃないんですか?」
僕が何か反論をしようとしても、すぐに梓に言い返されてしまう。僕はどうして、自分のことを卑下して考えてしまっているのだろう。
「悠くんは、しっかりしてます。お父さんやお母さんが認めてくれなくても、私がしっかり認めますから」
真正面からそんなことを言われ、僕は思わず照れ臭くなり頬をかく。梓を励ますため外へ出たのに、逆にこちらが励まされてしまった。
僕は梓の言葉に、素直に「……ありがとう」とお礼を言った。
それから僕らは、溶けそうになっているアイスをスプーンですくいながら、最後までメロンパンを残さずに食べた。そして目的もなく歩いていると、いつの間にか駅前に着いていて、ショッピングモールの中をまたぶらぶらと歩く。五階にある本屋で、有名な恋愛小説の映画化決定のポップを見つけ、今度一緒に見に行こうと約束した。
初めてのデートみたいなものだから、もう少し値段の高いお店にしてもいいと思ったが、夜ご飯をどこで食べようかとなった時に、ファミレスにしましょうと真っ先に梓は言った。僕は特に断る理由もなかったため、それに頷き彼女に連れられてファミレスの中へと入る。
混み合う店内へ入ると、僕らを見つけた店員さんが真っ先にこちらへとやってくる。そして、彼女がいることに驚いた。
僕らに笑みを浮かべたのは、ファミレスの制服を着た水無月だった。そういえば、駅前のファミレスで働いていると言っていたのを、今更ながらに思い出す。
「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」
「あ、うん……」
「ではこちらの席へどうぞ」
梓はニコニコしながら水無月の後を着いていく。おそらく、最初からわかっていてここを選んだのだろう。
二人掛けの席へ案内してくれた水無月は、僕と梓の腕に巻かれている時計を見て、「あらためて、おめでとうございます」と祝福してくれた。
鼻の奥がツンとしたのと、気恥ずかしさで僕は「あ、ありがと……」と、うまくお礼を言葉にできない。
「本当に、お似合いのカップルだと思いますよ。末永く、お幸せになってくださいね」
「うん。ありがと、奏ちゃん。それと、私たちのプレゼントを選んでくれて」
「それは先輩たちが、中学生みたいな恋愛をしてるからですよ。私が動かなきゃ、いつまで経っても進展しないなって不安に思ったんです」
お節介な後輩だが、そこが水無月のいいところだ。僕らはそれから食べ物を注文して、たわいのない会話に花を咲かせた。そろそろ帰ろうかというときに、水無月は僕らのためにケーキを持ってきてくれて、梓は思わず泣いてしまっていた。
今日という日の出来事を、僕はこれから一生忘れることはないだろう。