屋内でのライブは一言で表すと、すごかったの一言に尽きる。辺り一面人で埋め尽くされていて、アーティストがステージに立った瞬間、溢れんばかりの喝采が巻き起こった。
そして力強く鳴り響く楽器の音。鼓膜が破れてしまうのではないかというほどの大きな音に、僕はただただ圧倒されるばかりだった。周りの人たちはタオルを振り回していたり、手を斜め前に突き出してリズムを取っていたりで、各々が精一杯音楽を楽しんでいた。
例に漏れず多岐川さんも、普段の柔らかな雰囲気とは打って変わって、手を突き上げたり叫んだりしていた。酔いが多岐川さんをそうさせているのかとも思ったが、きっと彼女も音楽が大好きだから、こんなにも楽しめることができているのだ。そうして僕はまた、多岐川さんの魅力を知る。
初めはなんとなく恥ずかしくて上手くのれなかったけれど、気付けば僕も多岐川さんと一緒にライブを楽しんでいた。ほとんどが知らない曲だったけれど、リズムに乗って体を動かすのがとても楽しい。ふとした拍子に多岐川さんの目が合って、一緒に笑い合えることが嬉しかった。
ライブが終わればすぐに多岐川さんに手を引かれ、別の会場へと連れて行かれる。普段からあまり運動をしていないから、正直体の限界が近かったけれど、彼女の笑顔を見ているとそんな限界も吹き飛んだ。
気付いた時には日が沈んでいて、大トリのライブも終わっていた。本当に楽しくて、楽しくて、こんな休みの日がいつまでも続けばいいのにと、また子どものようにふと思う。
僕らはそれから、もう帰ろうかという提案をせずに、ずっと芝生の上に座っていた。ライブが終わって、日雇いのアルバイトの人たちが後片付けを始めても、帰ろうとはしなかった。
「楽しかったですね」
囁くように多岐川さんが言う。僕も「本当に楽しかった」と言って、彼女に同意した。
「最近ちょっと荒んでたので、ちょうどいい息抜きになりました」
「なにかあったの?」
「また合評会に向けて、作品を提出しなきゃいけないんです」
僕は彼女と出会った当時のことを思い出す。泣きそうな顔を浮かべながら、必死に美大へ走っていたあの姿。思えばあの時引き返したりしなければ、おそらく多岐川さんと出会うことはなかった。僕らは通っている学校も趣味も住んでいた場所も、目指している方向性も何もかもが違うから。こんな言葉をあまり使いたくはないけれど、敢えて言うとするならば、奇跡のような巡り合わせだ。
「今回は、しっかり間に合いそう?」
「はい。以前からの反省があったので、いつもより早くから制作に取り掛かったんです」
それなら、また期限ギリギリということにはならないだろう。アルバイトにもあまり出ていないし、おそらくその時間を制作に使っているのだと思う。
「前は桜だったけど、今回は何を書いてるの?」
「アサガオです。たくさんアサガオが咲いているのを見つけて、一目惚れしたんです。写真も撮ったんですよ」
多岐川さんはスマホを取り出して、紫やピンクのアサガオが咲いている写真を見せてくれる。それはとても綺麗で、一目惚れしたというのも頷けた。
「絵が完成するの、応援してるよ。多岐川さんなら、きっと素敵なものが描けると思う」
「そんな、応援なんて申し訳ないです」
「夢を見つけるのを応援するって、言ったでしょ。僕には、こんなことしかできないから」
きっと多岐川さんなら、いつか素敵な夢を見つけられると思う。そのためなら僕は、どんな些細なことでも応援してあげたい。好きになったんだから当然だ。
「というより、最近荒んでたんだね」
「締め切り前は本当に忙しいので……こんな風に息抜きをしたくなるんです」
その息抜きの相手に、僕を選んでくれたことが嬉しかった。休みの日を一緒に過ごすことを、選んでくれたことが。
「前にもギター弾いてたし、多岐川さんは音楽が本当に好きなんだね」
「好き、なんですかね。両親がよく音楽を聴く人だったので、幼い頃から音楽に触れる機会が多かったんです」
「お父さんやお母さんも、ギターを弾いてたりしたの?」
「いえ。二人とも、聴くことが専門なんです。そもそも私がギターを始めたのは、大学の部活動紹介の演奏を見てかっこいいって思ったからですよ」
「へぇ、そうなんだ」
それから多岐川さんは恥ずかしそうに俯いたあと、意を決したようにもう一度こちらを見つめてきた。
「今年の学園祭、私の組んでるバンドでライブするんです。それで、お時間があればなんですけど……」
その言葉を彼女が言い終わる前に、僕は答えた。
「行くよ。絶対見に行く」
「ほんとですか?!」
「この前の弾き語り、すごく楽しかったから。また演奏してるところが見たいって、思ってたんだ」
あの頃から胸に抱いていた本心を伝えてあげると、多岐川さんは本当に嬉しそうに口元を緩めてはにかむ。子どもっぽいその仕草が、とても彼女らしいなと思った。
そして辺りを見渡してみれば、僕らと同じように座っていた人たちも、だんだんと立ち上がって数を減らして行く。ずっと居座るのは邪魔になるかもと思い、「そろそろ帰ろうか」と言って立ち上がる。彼女は頷いて、芝生の上から立ち上がろうとした。
けれどそれは上手くいかずに、膝が折れてがくんと倒れこみそうになる。僕は慌てて、多岐川さんのことを抱きとめた。
「大丈夫?」
「あ、すみません……なんか、疲れが一気に来ちゃったみたいで……」
「仕方ないよ。あれだけ動き回ってたんだから」
それにお酒も飲んだから、いつもよりテンションが上がって、あまり疲れを意識しなかったのかもしれない。
「家までおぶるよ」
「えっ?!」
「前に酔っ払った時、家までおぶったことがあるから気にしないで」
「あの、あの時のことはあんまり覚えてなくて……」
申し訳なさそうな声で、僕に寄りかかる多岐川さんは呟く。正直息を吸うたびに彼女の甘い匂いが鼻腔を通り抜けていくけれど、冷静なフリを続けた。
「そうは言っても、明日は大学があるでしょ? 早く帰らなきゃだし、やっぱりおぶるよ」
半ば強引に話を進めると、多岐川さんは顔を真っ赤にしながらも、仕方なく頷いてくれた。きっと僕がこんなに積極的になれたのは、彼女のことが好きだからなのだろう。
恐る恐るといった風に、多岐川さんが僕の肩から腕を回す。この前も思ったけれど、女の子というのはびっくりするほど軽い。
「それじゃあ、帰ろっか」
「……はい」
それから僕は、彼女をおぶりながら歩き始める。もう深夜のため、大通りを走る車の数は少なく、まるで二人だけの世界に迷い込んでしまったように錯覚してしまう。
耳に届くのは夏の虫の鳴き声と、多岐川さんのわずかな息遣い。緊張しているのか、彼女は歩き始めてから一つも声を発しなかった。
このまま静かに歩くのも、それはそれでいいなと思ったため、僕は多岐川さんが何かを話すまで黙り続けている。沈黙が破られたのは、車が一台も通らない信号を、律儀にも青に変わるまで待っていた時。彼女は僕だけに聞こえるような小さな声で、囁いた。
「もう、片思いの答えは出ましたか?」
信号機が青に変わっても、僕は歩き出さなかった。
「多岐川さんのおかげで、答えが出たよ」
信号機が再び青から赤に変わるのを、僕らは見届ける。
「それなら、よかったです」
多岐川さんは、安心したように息を吐いた。きっと彼女が相談に乗ってくれなければ、僕は今でも悩み続けていただろう。彼女に向ける思いの正体も、わかっていなかったかもしれない。
「ちょっと、公園に寄ってもいい?」
「はい」
僕は信号が次の青に変わるのを待って、公園への道のりを歩き出した。
そして力強く鳴り響く楽器の音。鼓膜が破れてしまうのではないかというほどの大きな音に、僕はただただ圧倒されるばかりだった。周りの人たちはタオルを振り回していたり、手を斜め前に突き出してリズムを取っていたりで、各々が精一杯音楽を楽しんでいた。
例に漏れず多岐川さんも、普段の柔らかな雰囲気とは打って変わって、手を突き上げたり叫んだりしていた。酔いが多岐川さんをそうさせているのかとも思ったが、きっと彼女も音楽が大好きだから、こんなにも楽しめることができているのだ。そうして僕はまた、多岐川さんの魅力を知る。
初めはなんとなく恥ずかしくて上手くのれなかったけれど、気付けば僕も多岐川さんと一緒にライブを楽しんでいた。ほとんどが知らない曲だったけれど、リズムに乗って体を動かすのがとても楽しい。ふとした拍子に多岐川さんの目が合って、一緒に笑い合えることが嬉しかった。
ライブが終わればすぐに多岐川さんに手を引かれ、別の会場へと連れて行かれる。普段からあまり運動をしていないから、正直体の限界が近かったけれど、彼女の笑顔を見ているとそんな限界も吹き飛んだ。
気付いた時には日が沈んでいて、大トリのライブも終わっていた。本当に楽しくて、楽しくて、こんな休みの日がいつまでも続けばいいのにと、また子どものようにふと思う。
僕らはそれから、もう帰ろうかという提案をせずに、ずっと芝生の上に座っていた。ライブが終わって、日雇いのアルバイトの人たちが後片付けを始めても、帰ろうとはしなかった。
「楽しかったですね」
囁くように多岐川さんが言う。僕も「本当に楽しかった」と言って、彼女に同意した。
「最近ちょっと荒んでたので、ちょうどいい息抜きになりました」
「なにかあったの?」
「また合評会に向けて、作品を提出しなきゃいけないんです」
僕は彼女と出会った当時のことを思い出す。泣きそうな顔を浮かべながら、必死に美大へ走っていたあの姿。思えばあの時引き返したりしなければ、おそらく多岐川さんと出会うことはなかった。僕らは通っている学校も趣味も住んでいた場所も、目指している方向性も何もかもが違うから。こんな言葉をあまり使いたくはないけれど、敢えて言うとするならば、奇跡のような巡り合わせだ。
「今回は、しっかり間に合いそう?」
「はい。以前からの反省があったので、いつもより早くから制作に取り掛かったんです」
それなら、また期限ギリギリということにはならないだろう。アルバイトにもあまり出ていないし、おそらくその時間を制作に使っているのだと思う。
「前は桜だったけど、今回は何を書いてるの?」
「アサガオです。たくさんアサガオが咲いているのを見つけて、一目惚れしたんです。写真も撮ったんですよ」
多岐川さんはスマホを取り出して、紫やピンクのアサガオが咲いている写真を見せてくれる。それはとても綺麗で、一目惚れしたというのも頷けた。
「絵が完成するの、応援してるよ。多岐川さんなら、きっと素敵なものが描けると思う」
「そんな、応援なんて申し訳ないです」
「夢を見つけるのを応援するって、言ったでしょ。僕には、こんなことしかできないから」
きっと多岐川さんなら、いつか素敵な夢を見つけられると思う。そのためなら僕は、どんな些細なことでも応援してあげたい。好きになったんだから当然だ。
「というより、最近荒んでたんだね」
「締め切り前は本当に忙しいので……こんな風に息抜きをしたくなるんです」
その息抜きの相手に、僕を選んでくれたことが嬉しかった。休みの日を一緒に過ごすことを、選んでくれたことが。
「前にもギター弾いてたし、多岐川さんは音楽が本当に好きなんだね」
「好き、なんですかね。両親がよく音楽を聴く人だったので、幼い頃から音楽に触れる機会が多かったんです」
「お父さんやお母さんも、ギターを弾いてたりしたの?」
「いえ。二人とも、聴くことが専門なんです。そもそも私がギターを始めたのは、大学の部活動紹介の演奏を見てかっこいいって思ったからですよ」
「へぇ、そうなんだ」
それから多岐川さんは恥ずかしそうに俯いたあと、意を決したようにもう一度こちらを見つめてきた。
「今年の学園祭、私の組んでるバンドでライブするんです。それで、お時間があればなんですけど……」
その言葉を彼女が言い終わる前に、僕は答えた。
「行くよ。絶対見に行く」
「ほんとですか?!」
「この前の弾き語り、すごく楽しかったから。また演奏してるところが見たいって、思ってたんだ」
あの頃から胸に抱いていた本心を伝えてあげると、多岐川さんは本当に嬉しそうに口元を緩めてはにかむ。子どもっぽいその仕草が、とても彼女らしいなと思った。
そして辺りを見渡してみれば、僕らと同じように座っていた人たちも、だんだんと立ち上がって数を減らして行く。ずっと居座るのは邪魔になるかもと思い、「そろそろ帰ろうか」と言って立ち上がる。彼女は頷いて、芝生の上から立ち上がろうとした。
けれどそれは上手くいかずに、膝が折れてがくんと倒れこみそうになる。僕は慌てて、多岐川さんのことを抱きとめた。
「大丈夫?」
「あ、すみません……なんか、疲れが一気に来ちゃったみたいで……」
「仕方ないよ。あれだけ動き回ってたんだから」
それにお酒も飲んだから、いつもよりテンションが上がって、あまり疲れを意識しなかったのかもしれない。
「家までおぶるよ」
「えっ?!」
「前に酔っ払った時、家までおぶったことがあるから気にしないで」
「あの、あの時のことはあんまり覚えてなくて……」
申し訳なさそうな声で、僕に寄りかかる多岐川さんは呟く。正直息を吸うたびに彼女の甘い匂いが鼻腔を通り抜けていくけれど、冷静なフリを続けた。
「そうは言っても、明日は大学があるでしょ? 早く帰らなきゃだし、やっぱりおぶるよ」
半ば強引に話を進めると、多岐川さんは顔を真っ赤にしながらも、仕方なく頷いてくれた。きっと僕がこんなに積極的になれたのは、彼女のことが好きだからなのだろう。
恐る恐るといった風に、多岐川さんが僕の肩から腕を回す。この前も思ったけれど、女の子というのはびっくりするほど軽い。
「それじゃあ、帰ろっか」
「……はい」
それから僕は、彼女をおぶりながら歩き始める。もう深夜のため、大通りを走る車の数は少なく、まるで二人だけの世界に迷い込んでしまったように錯覚してしまう。
耳に届くのは夏の虫の鳴き声と、多岐川さんのわずかな息遣い。緊張しているのか、彼女は歩き始めてから一つも声を発しなかった。
このまま静かに歩くのも、それはそれでいいなと思ったため、僕は多岐川さんが何かを話すまで黙り続けている。沈黙が破られたのは、車が一台も通らない信号を、律儀にも青に変わるまで待っていた時。彼女は僕だけに聞こえるような小さな声で、囁いた。
「もう、片思いの答えは出ましたか?」
信号機が青に変わっても、僕は歩き出さなかった。
「多岐川さんのおかげで、答えが出たよ」
信号機が再び青から赤に変わるのを、僕らは見届ける。
「それなら、よかったです」
多岐川さんは、安心したように息を吐いた。きっと彼女が相談に乗ってくれなければ、僕は今でも悩み続けていただろう。彼女に向ける思いの正体も、わかっていなかったかもしれない。
「ちょっと、公園に寄ってもいい?」
「はい」
僕は信号が次の青に変わるのを待って、公園への道のりを歩き出した。