その紫乃の言葉に、朝陽は珍しく目に見えて取り乱していた。
「ちょっと待って、消えてしまうって、どういうこと……?」
「そのままの意味だよ朝陽くん。紫乃がいなくなれば、彩ちゃんが戻ってくることが出来るから。だから、紫乃が消えるの。乃々さんも、お姉ちゃんが戻ってきた方が嬉しいでしょ?」
「乃々は……」
突然話を振られた乃々は、言葉を濁しながら視線をそらした。それも仕方がない。彼女の望むことはただ一つ、姉である彩が戻ってくることなのだから。
「彩ちゃんに、たくさん迷惑をかけた……だから紫乃はもう、迷惑をかけたくないの。もう、誰にも迷惑なんてかけたくない……朝陽くんにも……」
「僕は迷惑って思ったことなんて、一度も……」
「朝陽くんは、優しいからね」
紫乃は薄い微笑を浮かべながら、朝陽の言葉を遮った。まるで、全てを理解していると言うように。
「朝陽くんは、紫乃よりも彩ちゃんのことが好きなんだから。そうだよね?」
「それは……」
そう問われて、返答に迷う。それは朝陽自身が迷っていたことなのだから。自分は紫乃のことが好きなのか、彩のことが好きなのか。
それを決めてしまえば、両方助けたいという意思が歪んでしまう。だから、考えないようにしていた。
「思い出してみて。朝陽くんも、分かってることだから」
思い出したくなんてなかったが、朝陽の脳は彼女たちと出会った頃からの記憶を再生し始めていた。いつ、彩のことを好きになったのか。その瞬間は、驚くほどあっさりと見つかってしまった。
一目惚れ。
大人っぽい君を見て、一目惚れだった。
それを自覚して、朝陽は他ならぬ彼女に伝えてしまっていた。どうして、彼女のことを好きになったのか。
「やっぱり、僕が告白した時って……」
「うん。彩ちゃんじゃなくて、紫乃が話してたの。だから本当はあの時から、もう紫乃は消えようって考えてた」
あの告白の翌日、彼女は、紫乃は彩にお祭りを楽しんできてという内容のメールを出した。花火さえ見られれば、後はそれでよかったから。
紫乃が隠していたのは、自分はもう消えるのだということ。それを彩に伝えてしまえば、きっと反対される。だから紫乃は隠し事をした。
だけど彩は、おそらく紫乃の思惑が分かっていたのだろう。理解していたから、彩は朝陽の部屋で涙を流した。
バラバラになっていた二人の思考が、ようやく点と線で繋がる。全く気付いてあげられなかったことを、朝陽は酷く悔やんだ。もっと早く気付いてあげられれば、三人で解決策を見つけることができたのにと。彩も、自分の殻に閉じこもることがなかったのにと。
紫乃は近付いて、朝陽の手を取った。
「お願い朝陽くん……紫乃は、もう誰にも迷惑をかけたくない……ううん。大切な朝陽くんと、彩ちゃんにこれ以上迷惑をかけたくないの……」
それは彼女の、心からのお願いだった。
その決意に朝陽は、首を縦に振ることも横に振ることもできない。自分だけが何も決められていないことに気付いて、酷く弱い人間であるということを思い知らされた。
二人を救いたい。口ではそう言っているものの、具体的な解決策は何一つ思い浮かんでいないのだから。
でも、それでも……
「……それでも僕は、」
君に生きていてほしい。
その言葉を口にする前に、朝陽の隣にいた乃々は閉ざしていた口を開いた。
「紫乃さんは、やり残したこととかないのですか?」
「いや、ちょっと待ってよ乃々さん」
「乃々は、紫乃さんがいなくなることに賛成はしてません。お姉ちゃんが救われることで誰かが犠牲になるなんて、やっぱり本当の解決じゃありませんから。ただ、せっかくの人生延長期間なのですし、せめてやり残したことがあるなら、それをやってしまってもいいと思ったんです」
そう言って、乃々は朝陽へと目配せする。
彼女の言わんとしていることは、それだけでなんとなく伝わった。このままでは、紫乃は自らいなくなってしまう。もし自分の意思で消えることが出来ないと分かれば、自ら病院へと足を運ぶだろう。
紫乃に心残りがあるならば、わずかな時間だけでもそれを食い止めることができる。
「心残り……」
彼女は思いつめたような表情で呟いた。もう十分だと紫乃は言っていた。だから望みは薄いと朝陽は考えていたが、どうやらまだ彼女にやり残したことがあったらしい。
「何か、心残りがあった?」
「うん……お父さんと、お母さんに、会いたい……」
両親に会いたい。
おそらく、遺骨が埋められているお墓へ行きたいということなのだろう。一家全員が交通事故に巻き込まれ、最後のお別れすらも言えぬまま、両親は死んでいったのだから。
「それじゃあ、紫乃のご両親が眠っている場所へ行こうか。他にやりたいことはある?」
「他にやりたいこと……」
最後にやりたいことを考えているようにも見えるが、紫乃は遠慮をしているのだろう。自分ばかりが得をしていいのかと。
そんな彼女のことを気遣って、乃々は良いことを思いついたというように手のひらを合わせた。
「打ち上げ花火を見るというのはいかがでしょうか?昨日は結局見られなかったので」
その提案に紫乃は一瞬だけ興味を示したが、すぐに表情は沈んでいく。
「でも、もうお祭りは終わったから……」
「インターネットで探せば、花火大会を開催する地域が他にも見つかると思いますよ。お金も、日帰りだとそれほどかかりませんし。朝陽さんは、どこか心当たりがありませんか?」
乃々に話を振られて、すぐに花火大会を開催する場所の心当たりがあることを思い出す。しかしその日を提案することに、ためらいを覚えた。
何も言わずに朝陽が黙っていると、乃々は小首をかしげる。紫乃は期待と申し訳なさの混じった表情を浮かべながら、俯いて床を見ていた。
そんな彼女の姿を見て、結局朝陽は複雑な感情を押し込め、口を開く。
「僕と紫乃が住んでた地域で、来週花火大会があるんだ。たぶん、そこに行くのが一番ちょうどいいんだと思う」
「そうですね。では来週、お墓参りと花火大会へ行くことにしましょう」
「そうしよう」
これでよかったのだと、朝陽は自分に言い聞かせる。今更自分の私情を持ち込むわけにはいかないのだから。
話がまとまってすぐに、昼食の準備ができたから下りておいでと母が部屋へ伝えに来た。今日は乃々が突然やってきたため、カレーを多めに作ったようだ。
母が一階へ下りて行った後、朝陽は紫乃の様子をうかがう。今まで対人コミュニケーションは全て彩に任せてきたが、今日からしばらくはそういうわけにもいかない。
最悪、紫乃は調子が悪いから部屋で休んでるという言い訳を用意しようと考えたが、彼女は不安げな表情を見せながら、それでも小さな笑顔を見せた。
「ありがとね、朝陽くん。乃々さんも、紫乃のために本当にありがとう……随分と遅くなっちゃったけど、これからは迷惑をかけないように頑張るから」
「いえ、乃々も朝陽さんも全然気にしていませんので。助け合える時は、お互いに助け合いましょう」
「うん……」
そう返事をして、紫乃は両手を強く握りしめる。やはり知らない人と話すのは苦手なのだろう。朝陽と初めて出会った時も、彼女は布団に隠れてずっと身を隠していたのだから。
しかし今は前に進もうとしている。死んでしまって、自分は彩のために消えるのだと決めていても、それでも紫乃は前へ進もうとしている。だから、それを朝陽は精一杯支えてあげたいと思った。
たとえ、彼女がいなくなる選択肢しか残っていなくても。最後に、人と触れ合うことの大切さを知ってほしかったから。
「ちょっと待って、消えてしまうって、どういうこと……?」
「そのままの意味だよ朝陽くん。紫乃がいなくなれば、彩ちゃんが戻ってくることが出来るから。だから、紫乃が消えるの。乃々さんも、お姉ちゃんが戻ってきた方が嬉しいでしょ?」
「乃々は……」
突然話を振られた乃々は、言葉を濁しながら視線をそらした。それも仕方がない。彼女の望むことはただ一つ、姉である彩が戻ってくることなのだから。
「彩ちゃんに、たくさん迷惑をかけた……だから紫乃はもう、迷惑をかけたくないの。もう、誰にも迷惑なんてかけたくない……朝陽くんにも……」
「僕は迷惑って思ったことなんて、一度も……」
「朝陽くんは、優しいからね」
紫乃は薄い微笑を浮かべながら、朝陽の言葉を遮った。まるで、全てを理解していると言うように。
「朝陽くんは、紫乃よりも彩ちゃんのことが好きなんだから。そうだよね?」
「それは……」
そう問われて、返答に迷う。それは朝陽自身が迷っていたことなのだから。自分は紫乃のことが好きなのか、彩のことが好きなのか。
それを決めてしまえば、両方助けたいという意思が歪んでしまう。だから、考えないようにしていた。
「思い出してみて。朝陽くんも、分かってることだから」
思い出したくなんてなかったが、朝陽の脳は彼女たちと出会った頃からの記憶を再生し始めていた。いつ、彩のことを好きになったのか。その瞬間は、驚くほどあっさりと見つかってしまった。
一目惚れ。
大人っぽい君を見て、一目惚れだった。
それを自覚して、朝陽は他ならぬ彼女に伝えてしまっていた。どうして、彼女のことを好きになったのか。
「やっぱり、僕が告白した時って……」
「うん。彩ちゃんじゃなくて、紫乃が話してたの。だから本当はあの時から、もう紫乃は消えようって考えてた」
あの告白の翌日、彼女は、紫乃は彩にお祭りを楽しんできてという内容のメールを出した。花火さえ見られれば、後はそれでよかったから。
紫乃が隠していたのは、自分はもう消えるのだということ。それを彩に伝えてしまえば、きっと反対される。だから紫乃は隠し事をした。
だけど彩は、おそらく紫乃の思惑が分かっていたのだろう。理解していたから、彩は朝陽の部屋で涙を流した。
バラバラになっていた二人の思考が、ようやく点と線で繋がる。全く気付いてあげられなかったことを、朝陽は酷く悔やんだ。もっと早く気付いてあげられれば、三人で解決策を見つけることができたのにと。彩も、自分の殻に閉じこもることがなかったのにと。
紫乃は近付いて、朝陽の手を取った。
「お願い朝陽くん……紫乃は、もう誰にも迷惑をかけたくない……ううん。大切な朝陽くんと、彩ちゃんにこれ以上迷惑をかけたくないの……」
それは彼女の、心からのお願いだった。
その決意に朝陽は、首を縦に振ることも横に振ることもできない。自分だけが何も決められていないことに気付いて、酷く弱い人間であるということを思い知らされた。
二人を救いたい。口ではそう言っているものの、具体的な解決策は何一つ思い浮かんでいないのだから。
でも、それでも……
「……それでも僕は、」
君に生きていてほしい。
その言葉を口にする前に、朝陽の隣にいた乃々は閉ざしていた口を開いた。
「紫乃さんは、やり残したこととかないのですか?」
「いや、ちょっと待ってよ乃々さん」
「乃々は、紫乃さんがいなくなることに賛成はしてません。お姉ちゃんが救われることで誰かが犠牲になるなんて、やっぱり本当の解決じゃありませんから。ただ、せっかくの人生延長期間なのですし、せめてやり残したことがあるなら、それをやってしまってもいいと思ったんです」
そう言って、乃々は朝陽へと目配せする。
彼女の言わんとしていることは、それだけでなんとなく伝わった。このままでは、紫乃は自らいなくなってしまう。もし自分の意思で消えることが出来ないと分かれば、自ら病院へと足を運ぶだろう。
紫乃に心残りがあるならば、わずかな時間だけでもそれを食い止めることができる。
「心残り……」
彼女は思いつめたような表情で呟いた。もう十分だと紫乃は言っていた。だから望みは薄いと朝陽は考えていたが、どうやらまだ彼女にやり残したことがあったらしい。
「何か、心残りがあった?」
「うん……お父さんと、お母さんに、会いたい……」
両親に会いたい。
おそらく、遺骨が埋められているお墓へ行きたいということなのだろう。一家全員が交通事故に巻き込まれ、最後のお別れすらも言えぬまま、両親は死んでいったのだから。
「それじゃあ、紫乃のご両親が眠っている場所へ行こうか。他にやりたいことはある?」
「他にやりたいこと……」
最後にやりたいことを考えているようにも見えるが、紫乃は遠慮をしているのだろう。自分ばかりが得をしていいのかと。
そんな彼女のことを気遣って、乃々は良いことを思いついたというように手のひらを合わせた。
「打ち上げ花火を見るというのはいかがでしょうか?昨日は結局見られなかったので」
その提案に紫乃は一瞬だけ興味を示したが、すぐに表情は沈んでいく。
「でも、もうお祭りは終わったから……」
「インターネットで探せば、花火大会を開催する地域が他にも見つかると思いますよ。お金も、日帰りだとそれほどかかりませんし。朝陽さんは、どこか心当たりがありませんか?」
乃々に話を振られて、すぐに花火大会を開催する場所の心当たりがあることを思い出す。しかしその日を提案することに、ためらいを覚えた。
何も言わずに朝陽が黙っていると、乃々は小首をかしげる。紫乃は期待と申し訳なさの混じった表情を浮かべながら、俯いて床を見ていた。
そんな彼女の姿を見て、結局朝陽は複雑な感情を押し込め、口を開く。
「僕と紫乃が住んでた地域で、来週花火大会があるんだ。たぶん、そこに行くのが一番ちょうどいいんだと思う」
「そうですね。では来週、お墓参りと花火大会へ行くことにしましょう」
「そうしよう」
これでよかったのだと、朝陽は自分に言い聞かせる。今更自分の私情を持ち込むわけにはいかないのだから。
話がまとまってすぐに、昼食の準備ができたから下りておいでと母が部屋へ伝えに来た。今日は乃々が突然やってきたため、カレーを多めに作ったようだ。
母が一階へ下りて行った後、朝陽は紫乃の様子をうかがう。今まで対人コミュニケーションは全て彩に任せてきたが、今日からしばらくはそういうわけにもいかない。
最悪、紫乃は調子が悪いから部屋で休んでるという言い訳を用意しようと考えたが、彼女は不安げな表情を見せながら、それでも小さな笑顔を見せた。
「ありがとね、朝陽くん。乃々さんも、紫乃のために本当にありがとう……随分と遅くなっちゃったけど、これからは迷惑をかけないように頑張るから」
「いえ、乃々も朝陽さんも全然気にしていませんので。助け合える時は、お互いに助け合いましょう」
「うん……」
そう返事をして、紫乃は両手を強く握りしめる。やはり知らない人と話すのは苦手なのだろう。朝陽と初めて出会った時も、彼女は布団に隠れてずっと身を隠していたのだから。
しかし今は前に進もうとしている。死んでしまって、自分は彩のために消えるのだと決めていても、それでも紫乃は前へ進もうとしている。だから、それを朝陽は精一杯支えてあげたいと思った。
たとえ、彼女がいなくなる選択肢しか残っていなくても。最後に、人と触れ合うことの大切さを知ってほしかったから。